お寺に嫁いだことで、お坊さんと接する機会がめっきり増えた。
それまでお坊さんとは無縁だったので劇的な変化のひとつかもしれない。
そんな中で「色んな人が世の中にいるように、お坊さんも様々やなぁ」と正直なところ思うのですが、個性豊かなお坊さん方のある共通点を見つけました。
それは会話の途中で「いただく」という言葉を頻繁に使う事。
例えば法話の最中に「お経のこの部分の言葉は○○のようにいただくわけですが…」とか
「どのようにいただくかは人によって違いますが…」等々。
もしかすると自坊の宗派のお坊さんに限る話なのかもしれませんが、「いただく」という言葉をサラッと自然に発するお坊さんに、なぜかずっと新鮮味と違和感がありました。法話の際は、話をするお坊さんのフィルターを通した仏教観で語られるので、「自分はこう解釈する」とか「こう味わう」という意味を「いただく」と表現しているのだと思います。
それでも何だか腑に落ちず、思わず「いただく」という言葉を辞書で調べてみました。
【頂く】常用漢字
・「大切にする・敬い扱う」の意
・「食べる・飲む」の謙譲語
例)ご馳走を頂く
【戴く】
・「ありがたく受ける」の意
・「もらう」の謙譲語
例)特別賞を戴く
【いただく】
・補助動詞として使い、「しらもらう」の謙譲語は「していただく」
例)会場に来ていただく
日常的には常用漢字が「頂く」となっているので、それで通せば間違いではなさそうです。(横着かな?)また行為に対しては「頂く」、物品に対しては「戴く」と使い分ける場合が多いようです。目上の人から大事なものをもらう場合は「戴く」と表記した方が改まった感じがしてスマートかもしれません。そしてお坊さんの使っている「いただく」はニュアンス的におそらく「戴く」の方だなと感じるのです。
有難く受けるときに使う「戴く」という言葉。
通常なら、贈り物や食べ物など「目に見えるモノ」に対して使うのでしょうけど、お坊さんはモノではなく感情や思想に対して「戴く」と表現しています。たぶんそこに私はずっと新鮮味を感じていたのかもしれません。
戴く、戴く、戴く。
今こうやって色々感じたり、思ったりすることも賜った「自分」という存在のお陰。
そういう風に捉えていくと、日々沢山のことを戴いているなと気づかされます。
2015年、沢山の戴きものが見つけられますように。