呼び名

お寺に嫁いで彼の両親と同じ住まいの生活がスタートした。

お義父さん。お義母さん。
普段はそういう風に呼んでいるけれど、お檀家さんの前や電話対応では「住職」もしくは「ご縁様」。お義母さんの事は「おくり」と呼んでいる。旦那のことは「若」もしくは「若院(わかいん)」と呼ぶ。結婚してすぐに「はじめは慣れないだろうけどそのように呼んでね」と教わった。言われた通りなかなか慣れなかった。(呼び名は宗派や地域によって変わってくる。自坊は「和尚」を使わない)

他の業種の家族経営の場合でも、同じように人前では父親を「社長」と呼んだりするだろうから、何も特別なことじゃないのかもしれない。でもゆくゆく旦那のことを「住職」と呼ばなきゃいけないと思うと、どこかこそばゆい気持ちになる。(ちなみに「住職」はお寺に一人で社長のようなもの。僧侶=住職だと勘違いしている人がたまにいる)

でも呼び方というのは非常に肝心だなと思う。

結婚前の職場でもそう思ったことがあった。仕事で小学生向けにワークショップをする依頼があり、職人(木版画)である社長と一緒に小学校へ出向いたときの事だった。学校につくと校長室へ通され、お茶をいただきながら校長先生が「どうぞ宜しくお願いします」とペコペコしている。隣の社長は堂々と振る舞っているけれども、私は単なる補助で来ているので、そうペコペコされても恐縮するばかり。でも校長先生にとってみりゃ、私も「お招きしている先生」として見られている。現に小学生からは短い時間だけど「先生」と呼ばれる。なので逆に恐縮してオドオドしていては相手に不安を与えてしまう。堂々と振る舞った方がお互いのためだ。そして何より「先生」という呼び名ひとつで私自身もシャッキリ背筋を正せる気がする。

呼び名というのはその人を敬い、またその人を正すための画期的なものだなぁと思う。

ついでに思い出したけれど、呼び名で苦労することがもう一つある。
それは他のお寺さんを覚えるというミッションだ。宗派での坊守会や近隣寺院の交流があると、人の名前だけではダメなのだ。「○○寺の○○さん」と覚えなければならない。もちろんそうすぐには頭に入らない。

これから先の長いおくり生活、何も焦ることないか!
と自分に言い訳している。

こじま あゆみ

滋賀県出身。キリスト教(カトリック)を熱く信仰する家庭で育つ。6人兄弟の長女でクリスチャンネームはマリア。 2014年春、お坊さんと恋愛結婚しお寺に嫁ぐことに。現在名古屋市にある真宗大谷派・開闡寺(かいせんじ)の若坊守として日々奮闘中。京都の老舗木版画店「竹笹堂」の元店長。