大小のハナシ

突然ですが、お檀家さんの件数を人前で大きな声で言う事は滅多にありません。
よほど気心が知れている人に話すことはありますが
お檀家さんの数をどうこう言うのは少し抵抗があります。

よく会話の中で「あそこのお寺は大きい・小さい」という内容が飛び交うのですが、ここでの大小はお寺の土地面積以外に「お寺の財力」を指すようです。簡単に言えば、お檀家さんが沢山いるお寺は支える人も多い分、財力もあるのでしょう。クリスチャンとして育った私は、教会の大小は単に建物の大きさとして会話してきたので、財力に気を留めた事がありませんでした。

そんなにお寺の大小って大事なこと?

と不思議に思います。
それくらいお寺の大小のハナシはよく飛び交うのです。

お寺の大きさではなく、お寺として果たすべき役割をしっかり全うしていて、人としてお坊さんとして尊敬されるようなお寺こそ評価されるべきなのに、そういう話より優先して耳に入ってくるような気がします。もちろんお寺にとってお檀家さんの数は生命線で、多くのお寺が寺檀制度によって成り立っているので仕方ない部分もあると思います。それに、大小のハナシをする人もそこまで深く考えて話しているわけではなく「お檀家さんは沢山いらっしゃるの?…大きいお寺なんやねぇ。」というように社交辞令レベルで登場することもあります。

でもなぜお寺に限って大小のハナシがこんなにも飛び交うのだろう。

私が思いつくのは、一般的に「お寺=お坊さんの家」と認識している人が多いからだと思います。「お寺=お坊さんの家」という感覚から派生して、多くの人の目にお寺が「自営業」のように映ってしまい、結果的に大小のハナシに結びつくのかもしれません。

一方キリスト教(カトリック)の場合、神父さんも教会に住んでいますが「教会=みんなのもの」という認識がありました。そこには神父さんとお坊さんの役割の違いが挙げられます。教会の掃除は信者間で順番に回し、会計係、教育係、墓地管理係、典礼係(礼拝の準備などをする)など細かに係が分かれていて、それぞれ信者の係長がいました。なので、みんなで関わって教会が成り立っていて、運営は神父さんだけでは行われていませんでした。お寺の場合は基本的に寺族でそれらを一任されてしまいがちです。

…とここへ来て、システムについてとやかく言ってはいられません。

一人でも多くの人が「ここは自分のお寺」と誇りを持ってお寺と関われば、きっと大小のハナシも自ずと減少していくのでは無いかなぁと思います。そのためにはやっぱりお寺サイドが頭をひねってしっかり種まきしないと始まらないのかもしれません。

ボヤボヤしてられないなぁ。

こじま あゆみ

滋賀県出身。キリスト教(カトリック)を熱く信仰する家庭で育つ。6人兄弟の長女でクリスチャンネームはマリア。 2014年春、お坊さんと恋愛結婚しお寺に嫁ぐことに。現在名古屋市にある真宗大谷派・開闡寺(かいせんじ)の若坊守として日々奮闘中。京都の老舗木版画店「竹笹堂」の元店長。