わが家の中学3年の息子は、運動会の予行演習で腰の骨を折ってしまいました。200m走、全速力でコーナーに入った時、バキッと音がしたそうです。中学最後の運動会は、入場行進すらできず、最後までひとりで応援席に座っていました。病院で痛みがやわらいで我にかえった息子がまず言ったこと。
「なんで、ぼくだけが、こんなめに、あうんだろう」
骨折なんて想定外です。よもや松葉杖だなんて。
しかし、ものごとというものは、思いがけずに起こってしまうことがあります。他の誰のせいにもできない、自分の過去のせいにもできない、どうしようもなく避けがたく、それがあたり前であればあるほど、損なわれたり失われたりした結果の苦しみは大きいものです。
あたり前って何でしょう。あたり前のことだと思っていることは、自分が勝手に作ってきた枠組みです。そしてそれが壊れると、自分の思い通りにならなかったと感じて苦しいのです。つまり自分を基点にした思い込みに縛られ、自分とはちがう仕組みに気がつかないから苦しいと感じるのです。
息子は言いました。
「たまたまだよね。」
それは、たまたま遇ったのだということ。たまたまの縁で、そうなったのだ、ということ。「たまたま」という言葉には、やわらかなおおらかさと、未来を向くほのかな明るさが感じられます。「たまたまだ」と息子は前向きになれたようです。
中学男子の骨折はいささか牧歌的で、あなたの今の苦しみとは比べようもないかもしれません。でも、自分の思い込みを解放し、意識を変えてみませんか。いつか、ちがうものを感じたり思ったりできるでしょう。息子は骨折のおかげで、いろいろなことに遇っています。担任の先生は2キロ離れた学校から置き去りになった息子の自転車に乗ってきてくれました。友達は教室移動には必ず荷物を持ってくれます。話したことのない女子に「お大事にね」と言ってもらいました。整形外科の先生のきっぷのよい診察や最新の医療機器に感心しています。骨折前には思いもかけないことばかりでした。
母親の私は、学校の送迎や着替えの世話がだんだん面倒になり、もっと感謝してほしいよ!と言ってしまいました。ああ、これも自分勝手な枠組みですよね。
●畠山美佳子(はたけやま みかこ)さん プロフィール
富山県 浄土真宗東本願寺派 専念寺
一言自己紹介
人の話を聴くことが好きです。全ての世代ですが、特に80歳以上。また、仏教にまつわる文化や芸術、特に音や声に惹かれます。実は音楽教師でもありますが、かなり理屈派です。