11月12日に、仏教伝道協会が主催する第30回BDKシンポジウム「争わない生き方~宗教の役割を問う~」が開催されます。疾病、災害、戦争が「日常」となってしまった現代社会の中で、争わない生き方を貫くことは可能か、そして宗教はどのような役割を果たすことができるのか。テロと紛争の解決をミッションに活動するNPO法人アクセプト・インターナショナルの代表理事・永井陽右さんと、同志社大学神学部教授の小原克博さんのお二人とともに考えるシンポジウムです。
今回は、ご登壇をいただく小原克博さんから「争わない生き方」について考える一助となる一文を頂いております。ぜひこちらをご一読いただき、シンポジウムにもご参加くださいませ!
「争わない生き方」について
11月12日に予定されている第30回BDKシンポジウム(仏教伝道協会)は「争わない生き方~宗教の役割を問う~」というテーマを掲げている。そして、そのテーマのもと「疾病、災害、戦争が「日常」となった現代社会の中で争わない生き方を貫くことは可能でしょうか」という問いが立てられている。永井陽右氏(アクセプト・インターナショナル代表理事)と共に、このシンポジウムの登壇者となっている私は「「争い」を激化させないためにできること── 一神教の歴史と現実から考える」というテーマで話す予定である。
私の考えの一部をここで紹介する。それを「争わない生き方」を考える一助としていただければと思う。
旧約聖書(ヘブライ語聖書)には、戦争・飢饉・疫病が、大量の人の命を奪う災厄として繰り返し言及されている。それらは現代社会になって「日常」となったわけではなく、太古より「日常」であったことを考えれば、「争う」ということも人類史と同じくらいの長さを持っていることに気づかされる。
信仰を含む、人間の信念は時に過激な暴力を生み出してきた。国家に対する信念、ナショナリズムもその一角をなしており、問題を宗教に限定する必要はない。どのような形をとるにしろ、人間の共同体は暴力装置として機能することがある。それがどのように機能するかを分析することは、暴力を抑止し、「争わない生き方」を見出すために必要であり、そのために宗教の歴史は多くの素材を提供してくれる。イスラーム過激主義が近年もたらしてきたもの、またキリスト教がその歴史の中で残してきた教訓は、いずれも振り返る価値がある。
キリスト教やイスラームのような一神教と比べると、日本社会はうまく「争い」を回避することのできる寛容な社会であると言われることがある。
「争わない生き方」はどの国、どの社会にも必要とされる普遍的な課題である一方、社会によって受けとめられ方が大きく異なる課題でもある。日本社会では「争わない」ことが美徳とされるため、協調性が尊ばれ、場の空気を読むことが不可欠であり、集団の中では言いたいことがあっても我慢することが求められる。「出る釘は打たれる」ことにより、集団的に「争わない生き方」が維持されるような同調圧力の強さがあるとすれば、それが結果として「争い」を防いだとしても、個人としての人間を生かすものになっているのか大いに疑問である。
助けを求めることも、異議申し立てをすることもはばかれるような社会には、むしろ健全な「争い」を許容するような変化が必要なのかもしれない。
小原克博(同志社大学 神学部 教授)
第30回BDKシンポジウム「争わない生き方 ~宗教の役割を問う~」
講師:永井陽右(NPOアクセプト・インターナショナル)
テロ・紛争における新たなアプローチ ~対話ができないテロ組織に何ができるか?~
講師:小原克博(同志社大学神学部教授・神学研究科長・良心学研究センター長)
「争い」を激化させないためにできること ~一神教の歴史と現実から考える~
開催日:2022年11月12日(土)
時間:13:00~16:00
参加費:2,000円(会場・オンライン共/クレジット事前払い)
会場:仏教伝道センタービル(東京都港区芝4-3-14)
定員:会場60名 オンライン100名(参加者限定見逃し配信有)
お申込先:公益財団法人仏教伝道協会
https://www.bdk.or.jp/event-2/symposium30.html