「死の体験旅行®」の僧侶が初の出版『てきとう和尚が説く この世の歩き方』 マメな僧侶が「てきとう和尚」と名のったワケ

皆さま、はじめまして。浄土真宗の僧侶、浦上哲也と申します。

ワークショップ「死の体験旅行」を主催している人、と聞くとご存知のかたもいらっしゃるかもしれません。

出版までの経緯はどんなものだったのですか?

今回は「死の体験旅行」と真逆のようなタイトルの本を出版したことを機に、彼岸寺さんで紹介させていただくことになりました。

大学では国文学科だったので、その頃から漠然と「いつかは本を書きたい」という思いがありました。

とはいえなかなか機会はなかったのですが、僧侶になって「死の体験旅行」で注目を浴びるようになり、ワークショップの書籍化という話は一時期たくさんいただきました。

ただ、このワークショップは書籍やオンラインではなく、対面で受けてほしいという思いが強かったので、その方向性では出版まで至ることはなく……

次に考えたのが、「死の体験旅行」受講者の感想をまとめた書籍。

「企画のたまご屋さん」という出版支援をしているNPOの存在を知り、そこを通じて企画書を配信していただくと、関心を持ってくださる出版社もあったものの、これも実現には至りませんでした。

そのNPOのスタッフ、おかのきんやさんが、「もう一度、企画書作りからやってみませんか」と声をかけてくださり、ゼロからの本書き修行がスタート。そうして生み出された新しい企画をPHP研究所さんが採用してくれ、ようやく出版に繋がりました。

「てきとう和尚」というネーミングの由来は?


最初はテーマを決めず、自由に原稿を書いてはおかのさんに送り、アドバイスをいただいては直す。それを続けていくうちに、私が伝えたいことは「真面目すぎず肩の力を抜く、良い意味での適当さが必要」だということに気づいたんです。

その時におかのさんから「てきとう和尚というキャッチフレーズはどうだろう」という提案があり、私も面白いと思って使うことになりました。

とはいえ中身は「テキトー」ではありません(笑)

お釈迦さまの悟りのきっかけになったという、竪琴弾きの話がありますね。竪琴の弦は、緩すぎても張りつめすぎていても良い音が出ない、という逸話で、そこから極端に偏らない「中道」を説かれたという話。

この「中道」を本来の意味の「適当」に置き換えて、あまり肩ひじを張らずに力を抜いてもらえるように、40のエピソードで伝えています。

本の中では、「適当」「テキトー」「てきとう」と使い分けていますね

どれも同じ音ですが、世間では高田純次さんのキャラクターに代表されるように、チャランポランな様子を「テキトー」だと捉えていると思います。けれど本来の「適当」は、「ちょうど良い、適切な」といった意味です。

日本人は真面目で勤勉ですが、それが行き過ぎて苦しんでいる人も少なくありません。

私は「自死・自殺に向き合う僧侶の会」で共同代表として活動していますが、自死遺族から話を伺うと、自ら亡くなっていった方は真面目な方が多いのです。

ですので、真面目すぎるがゆえに苦しむのではなく、「あなたにとって当(まさ)に適した生き方を探し求めてくださいね」という思いを、柔らかさも込めて「てきとう」という平仮名で表現しました。

私自身、マメというか細かい性格で、「てきとう」に憧れる部分もあります。

ぜひ皆さんもご一緒に、「てきとう」を探し求めていきましょう!

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