柳衛法舟のインド探訪記

仏教伝道協会(以下、「BDK」と略)の職員でもある、柳衛法舟です。

9月15日から21日まで、インド亜大陸のちょうど真ん中に位置するナーグプルという街に出張し、BDKが発刊している『仏教聖典』を約40,000冊、お寺や学校に寄贈して参りました。寄贈されるものは勿論、日本語で書かれたものではなく、英語とヒンディー語で書かれたものになります。

インド仏教復興の端緒となった町・ナーグプル

ところで皆さんは「ナーグプル」という街の名前を聞いたことはありますでしょうか?聞いたことがある方は、「仏教通」と自称して間違いないと思います! 

仏教の発祥の地であるインドでは、様々な要因が重なって、13世紀の初頭に(※ごく限られたコミュニティを除いて)仏教は滅びてしまいました。しかし、1956年10月14日に不可触民(アンタッチャブル・ダリット)出身で、英国で学んでインドで法務大臣も務めたビームラーオ・アンベードカル博士(1891-1956)が、凡そ38,000人の同じくカースト制度のなかで差別を受け続けた方々とともに仏教に改宗しました。その改宗がおこなわれ、インドにおける仏教復興の端緒となった町こそがナーグプルであり、改宗がおこなわれた場所は「デークシャ・ブーミー(改宗の場)」として、美しく巨大なストゥーパ(仏塔)が建てられております。

その後、日本出身の佐々井秀嶺師の活躍もあって、ナーグプルを中心にヒンドゥー教から改宗して仏教徒になる方は年々増えているとのことです。彼らが「バイブル」として仰ぐのが、アンベードカル博士による『ブッダとそのダンマ』という本です。スリランカ伝来のパーリ語で書かれた経典に基づいた仏伝が中心ですが、巻末には日本人にも馴染みのある「四弘誓願(*)」や天親菩薩『浄土論』の一節が引用されております。こちらは光文社さまから和訳も出ております。

(*)四弘誓願:しぐぜいがん
菩薩が仏道を求めるとき、最初に立てる四つの誓いであり願いのこと。
菩薩が普遍的に追求すべきものであるとされているため、全ての菩薩の共通の誓願とされる。

インドのお寺、法要の儀式は?仏教徒の法要

色とりどりの花で、とても鮮やかなのがインド仏教寺院の特徴。

お寺は平日も開かれております。仕事が終わってから集まるため、夜の7時ぐらいから法要が始まります。白い正装に着替えてから参詣に来られる方が多く、40〜-50代の女性が目立つ印象でした。

訪問時、まず足を水で洗います。次いで、私たちの歩く道に花を散らし、また花びらを私たちに手渡します。私たちは、その花びらを仏さまの前にお供えし、3回額を地面につけて礼拝いたします。その後、マリーゴールド(?)で出来たオレンジ色の花輪を、仏さまとアンベードカル博士の像(または額縁)にお掛けします。

法要の儀式は(※私がご一緒したコミュニティに限っていえば)基本的にはパーリ経典に基づくテーラヴァーダ(上座部仏教)の作法に基づいているようでした。

法要の最初には必ず「ナモータッサ バガバートー アラハートー サンマーサム ブッダサー」(阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼したてまつる)という礼拝文を唱えます。実はBDKでも年に数回この礼拝文を唱える機会があるのですが、節が全然違います。また法要で「ブッダン サラナン ガッチャーミー」(私は仏陀に帰依いたします)というパーリ語三帰依文を唱えますが、こちらも日本の仏教系の学校で唱えられるような節回しとは全然違います。

法要では信徒さんもお勤めの内容は暗記しておられて、一緒に唱和されます。そして、法要の最後は信徒さんの「サドゥー サドゥー サドゥー」という言葉を三回唱和して三回唱和で終わります。また、仏教徒のご挨拶は「ジャイ ビーム」。これは「ビームラーオ・アンベードカル万歳!」という意味だそうです。

量にビックリ! 甘さにビックリ! インドのご飯事情

さて、お腹が弱い私にとって、インド出張は緊張の連続だったわけですが、不思議とお腹を下すことはありませんでした。というのも、信徒さんのお宅に寄せていただき、同行の僧侶方とともに食事を供養していただいたからです。

今回、準備など色々とお骨折り頂いたエージェントの方に伺ったところ、「レストランだと作り置きをしている場合もあるけど、こうした信徒さんが提供(供養)してくださる食事はその日に合わせて調理しているから大丈夫」とのことでした。

写真をご覧ください。こちらは、寄せていただいた信徒さんのお宅の玄関に描かれていたお花です。私たちを歓迎して下さっている気持ちをしみじみと感じました。ですから、そうしたお気持ちと相まって、一つ一つのお料理の味は本当に格別でした。お目当てのカレーも沢山ごちそうになりました。ただし、おっかなびっくり、おかわりすることなく必要最小限の量でセーブしてしまったのも事実です。今思えば、少し残念だったかもしれません。

逆にビックリしたのが、同行させていただいたインド人のご僧侶がパクパク本当によく食べることです! 

このことについてもエージェントの方に伺ったところ、インド文化全体、特に僧侶はタマゴ以外にエネルギー効率の良い肉類を食べることがないため、過酷なインドの風土にを耐えられるよう、大量の食事を召し上がるとのことです。彼らは彼らで、日本人の胃の小ささにビックリした模様です。

インドの気候はサトウキビの栽培に向いており、甘いお菓子が沢山あります。カレー色したゴマ団子を口に入れたら、日本では考えられないような甘さでビックリしました。さらに牛乳の濃さにも驚きました。日本で飲む牛乳とは全く質の異なる濃厚な牛乳の味に、本当にビックリいたしました。乳糖不耐症ゆえに、ゴクゴク飲めなかったことが悔やまれます……

違いを超えて、互いに学び合う「心の種まき」

今回の出張の目的は、BDKの出している『仏教聖典』を寄贈させていただくことでした。インドの仏教徒は「ダンマ(法)」をとても大切にしており、彼らは『仏教聖典』を「ダンマが形をとってくださったもの」と受け止め、寄贈を心より喜んでくれました。日本で、このような受け止めを聞くことは滅多になく、逆にこちらが感銘を受けました。

浄土真宗で大切にされる『浄土論』はインドで出来た論書ですが、サンスクリットでは残らず、漢訳でのみ伝わっております。それを英訳したのは、日本の宗教学者の草分け的存在である姉崎正治(あねざきまさはる)。姉崎の訳した『浄土論』の一節に感銘を受け、『ブッダとそのダンマ』の末尾に引用した方こそ、アンベードカル博士その人です。このように、まさに言葉や伝統の違いを超えて、日本で編纂された『仏教聖典』が、インドの仏教徒の心に伝わっていく事実が、本当に嬉しくてなりません。

また、私が勝手に感じた感想かもしれませんが、インドの仏教徒は、一度伝統が途切れたという事情もあり、他の仏教徒との連帯を深めて、そこから学んでいこうという気持ちがとても強いように感じられました。実際に、インドの大学から仏教を学びにミャンマーなどに留学する方もいるらしく、「日本で仏教を勉強したいが、どうしたら良いだろうか?」という相談も受けました。

インドの仏教徒は、アンベードカル博士自身が苦学されたという背景もあって、子供への教育をとても大切にします。また科学的な物の見方と矛盾しない宗教としても、仏教に期待するところが大きいようです。当の子どもたちは「写真とって!」「サイン頂戴!」と大人の思いなどどこ吹く風。けれど、そんな屈託ない笑顔がとても印象的でした。高田好胤さんの受け売りになりますが、彼たち彼女たちに「仏さまの心の種まき」のお手伝いをさせていただけたこと、本当に勿体なくいことだなぁと嬉しく感じ入る旅ことでした。「日本来てね!!!」とお別れしたことです。

特に仏教を通じて、インドと日本との距離は今後ますます近しいものになっていくだろうと思います。このコラムを通じて、インドの現在の仏教に関心を持っていただけたら幸いです。そして、いつの日か『仏教聖典』を手にした子どもたちが、日本を訪れることを心より念じてやみません。

ジャイビーム 合掌

彼岸寺

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