住職とヤンキーの成長物語!?Twitterで話題のマンガ、近藤丸さん『ヤンキーと住職』が発売!

この寄稿は僧侶でマンガ家の近藤丸さんよりご寄稿をいただきました。


はじめまして、浄土真宗本願寺派の僧侶でマンガ家の近藤丸と申します。

今ツイッターやコミチというマンガ投稿サイトで仏教をテーマにしたマンガを描いています。10月に初の電子書籍ヤンキーと住職が発売されました。

彼岸寺さんで私の書籍について紹介いただけるということなので、マンガのことを中心にお話させて頂きたいと思います。

なぜ仏教マンガを描き始めたのか

私は今年の3月まで5年間ほど、浄土真宗の宗門校等で宗教科の教員として働き、中高生たちと共に仏教に学んできました。

教員として子供たちと仏教を学ぶことにもやりがいを感じていたのですが、新たなことにチャレンジしたいと今年の3月で退職。お寺で法話をさせていただく等の活動をしながら、本格的にマンガを描くことになりました。

仏教というテーマで描きはじめたのは、教員をしていたことが大きく影響しています。

仏教系の学校では週に1回仏教の授業があります。自分はマンガや絵が好きで、仏教の授業中にたまに黒板に絵を描きながら説明をしていました。すると、普段は仏教に興味がない生徒が絵に食いついてくれることがあったのです

そこで、自分は得意な絵を生かして仏教を伝えていくのが良いのではないかと考えるようになりました。「難しいお経の話をマンガで表現する仕事は面白いし、より仏教も伝わりやすくなるのでは?」という思いから、下手なりに漫画を描き始めたのです。

https://twitter.com/rinri_y/status/1321078696271204355

どのようなマンガを描いているのか?

お経の教えが実生活・現代の人の生き方にどのような意味を持ちうるのかを描いていきたいと思っています。ただ、真面目すぎても読んでもらえないこともあるだろうということで、今は『ヤンキーと住職』というお坊さんとヤンキーのコンビを主人公にしたコメディタッチのマンガを描いています。この作品は読んでいくと徐々に仏教の知識が得られる仕組みにしているつもりです。言葉で説明するよりも、読んでもらった方が良いと思うので、もしよろしければ以下のサイトから読んでもらえたら有難いです。

https://comici.jp/articles/?id=27772

https://twitter.com/rinri_y/status/1318120156531322880

他にも、聴聞(法話を聞くこと)で気づかされたこと、教えを通して学んだことや日々の気付きをエッセイ漫画として描いています。

できれば、マンガを読んで終わりではなくて、マンガから仏教に興味を持ってもらい、そこから仏教の教えを聞いていってもらえたらと思っているのです。そういう願いを込めて描いています。

仏教のことをマンガにしたいと思った原体験

私が最も影響を受けた作品は手塚治虫先生の『ブッダ』です。思春期の頃に読んだのですが、「争いの心で人は傷つけあう。争いの心そのものを見つめることからしか平和は訪れない」という意味のことが描いてあり、衝撃を受けました。

それまで、人が幸せになるためには自分の外側の条件を整え、思い通りにしていかなければならないと思っていました(もちろん外の条件、環境を整えることは大切ですが)。

ですから当時の私は「嫌いなやつがいたら、その嫌いなやつを排除する」という形の思考を持っていたのです。しかし実は「思い通りにならないことを思い通りにしようとして人は苦しむことがある」、「争いの心で自他ともに傷つけている」という自己の心こそ問題なんだという視点を初めてもらった気がするのです。

「怨みに報いるに怨みをもってしたならば、ついに怨みのやむことがない。怨みをすててこそやむ」という「ダンマパダ」の有名な言葉がありますが、その視座をはっきりと教えてくれたのは手塚先生の『ブッダ』でした。

本格的に仏教を学ぶきっかけになったのは信頼できる僧侶や本との出会いでしたが、思春期に読よんだ『ブッダ』にかなり救われました。自分もマンガで仏教を伝えたい、特に、子供達に読んでもらいたいと思っています。

マンガで仏教を発信すること

ネットを使ってマンガで仏教を発信することは、思った以上の反響がありました。自分がマンガを描いてよかったなと思うことの一つに、多くの人が仏教に興味がある、ということを知れたことです。仏教の話を聞きたい人は、私が思っている以上に沢山おられて、
「こういうことを知りたかった」
「マンガで仏教のことを学べるのがうれしい」

という声をいただいています。

私が思うに、忙しい現代の人は昔の人に比べて、文字で読んで何かを学ぶことのハードルが高いのかもしれません。本当に興味を持ち始めれば文字だけの本を読んでくれると思うのです。できることならば、仏教書を読んだり、お寺で仏教のお話を聞いたりしたりしてもらえたらというのが一番の願いです。すでに優れた仏教書や、法話は沢山存在しています。でも、そのハードルはとても高いものです。

私の描いている仏教マンガは、教えの多くを伝えられるとは全く思っていません。それでも、興味と学びを繋ぐというか、仏教に興味はあったけれど、近づきがたかったという人に、一歩仏教に近づいてもらう、手に取ってもらう。そんなきっかけを作るための橋渡しの役割を持てたらいいなと考えています。

ただ、浄土真宗では「知的に理解することで分かったつもりになることが一番危ない」とも言われます。浄土真宗の開祖である親鸞聖人も「感動で救われたり、分かって救われるのではない(*)」という主旨のことをおっしゃっておられるように、分かりやすさというのは非常に危ないものであり、ただ感動で終わってはいけないのです。

(*)例えば、『歎異抄』九条を参照すると「喜びの心が起こらないのはどうしたことか」と尋ねたお弟子の円に対して、親鸞聖人は「喜べたから救われるのではない」という事をおっしゃっています。

そのあたりが仏教の厳しさです。マンガにすることは、そういう「分かりやすさの落とし穴」という部分でのリスクがあり、教えや他者の言葉をマンガに描く時には慎重にならないといけないとも感じています。

上記のことを心に留めながら、これからも『ヤンキーと住職』を中心に基本は面白おかしく、時に真面目に仏教を伝えるマンガを描いていきたいです。もちろんまだまだマンガの技術も、仏教の勉強も不足しているので、両方修行していきたいと思っています。そしていつの日か浄土真宗の主たる経典である『無量寿経』の教えをマンガ化できたら、などということも考えています。

最後に、反響の多かった仏教学者・中村 元 氏についてのマンガを下に掲載するのでお読みください。

気になった方はぜひ『ヤンキーと住職』もお読みいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします!

電子書籍『ヤンキーと住職』(著者:近藤丸)はコルク社から発売中です。¥330(税込み)Amazonや楽天ブックス、google books等で購入可能です。

近藤丸のマンガを見れるサイト

ツイッター:https://twitter.com/rinri_y
note:https://note.com/shinran
インスタグラム:https://www.instagram.com/kondoumaru/?hl=ja
コミチ:https://comici.jp/users/kondoumaru/

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