方向を指し示してくれた仏像の話

ようこそ、造佛所のえんがわへ。

前回は、「あなたにとって仏像とは?」を訊ねる旅のきっかけについてお話しました。今日からいよいよ対話による造仏です。

仏像に鑿を入れる前の状態
仏像に鑿を入れる前の状態

工程で言うと、今回は「鑿入れ(のみいれ)」と言うことになりますね。

鑿入れとは、仏様となる木材に初めて「鑿」という刃物を入れることです。実際に仏像を作るときには特別な儀式を行ったりもしますが、ここでは言い出しっぺの私が「鑿入れ(のみいれ)」として、最初にお話しをしましょう。

私にとって仏像とは?

一言でいうと「人生の方向を指し示してくれた存在」です。

20年ほど前に仏像との邂逅といえることがあり、人生が大きく方向転換しました。仏師の夫にも言ったことのない話ですが、その時のことをお話ししますね。

さぁ、まずはお茶でも一服どうぞ。

温かい緑茶をどうぞ

当時、私は消化器内科病棟の看護師として働いていました。

私がいたチームには重症の患者様が多く、お看取りの機会もそれなりにありました。休憩中にも「あの患者様はそろそろかも…」と自然とお顔を思い浮かべたりしていましたっけ。

ちょっと変わっていたのは、思い浮かべた患者様のお顔に、元気な赤ちゃんの声がかぶさることがあった、ということでしょうか。

想像上の赤ちゃんでは無く、本物の赤ちゃんの声ですよ。休憩室の真上が産科の分娩室だったんですね。

なので、夜勤で仮眠をとろうにも、母親のいきむ声、生まれた瞬間の赤子の啼き声が漏れ聞こえて眠れない(でも感動!)、なんてこともありましたし、新人看護師が心霊現象と思い込んで飛び出てきたこともありました。

今は建て替えられてそんなことも無くなったようですが、「生老病死(しょうろうびょうし)」を否でも考えてしまう環境は、休憩室として満点とはいえずとも悪くなかったと思います。

おかげで、私たちにとって「死」は避けようのない事実なのだと叩き込まれる日々を送ることになりました。

検診などで指摘されて精密検査にきた人がいて、最初は症状もほとんどなく元気。でも、徐々に病気が顕在化して症状が強くなっていく、死が迫ってくる…。そして、どんな人にも例外なく体の全機能が止まる時がきました。

今がどんなに健康だとしても、死を避けられる人はいないんだと、そんな当たり前のことに愕然としたのは看護師2〜3年目の頃です。

病に臥している人と看護する人

白衣を着て病棟を走り回っているうちに、「自分もいつか死ぬ、それは次の瞬間かもしれない」という思いに駆られるようになりました。

「せっかく生まれてきたのなら、あの人も、この人も、私自身も、死ぬ時にいい人生だったと思えたらいいのにな…」

死の瞬間に立ち会ううちに、そんな思いが泣きたいような気持ちと共に風船のように膨らんで、私を揺さぶり続けたんですね。

ある日、その膨らみ続けた風船が突然破裂したかのような衝撃が走ります。

一通の手紙

病棟で亡くなられたSさんの奥様からの手紙を読んだ時でした。

Sさんご夫婦は敬虔なクリスチャンで、入退院を繰り返した数年にわたって大変可愛がってくださいました。

最期は雪の降る夜で、今でもよく覚えています。

「これ以上治療をしないのなら静かにしてあげてほしい」という奥様の希望で、モニター類も点滴も全て外していました。

血圧は弱いながらも保たれていて、あと数日はもつだろうと言われていたSさんでしたが、奥様がぐっすり眠り、私も仮眠に入った1時間の間に、そうっと旅立ってしまわれました。

奥様に知らせると、「あぁ、あら、あらそうなの…。あなた、こんな雪の夜に旅立つなんて素敵じゃない。なんて気持ち良い時間だったの。あなたらしいわ。早いクリスマスね。」とお顔や頭を撫で続けておられました。

後日、奥様が来院され、一通の手紙を私にくださいました。

…この辺りでは珍しい雪夜に、夫と二人だけでぐっすり眠れたあの日は、なんだかとても不思議に温かく、夢のようなひとときで、今思うと神様からのプレゼントだったんじゃないかと思います…

なぜその手紙を読んだ時だったのかわかりません。

「仏教でいう諸行無常って本当だ。『自分』と思っていたものはないんだ」という理解がふつふつと湧き上がり、下腹が熱くなりました。

それはどのくらいの間だったのが分かりません。『私』と思っていた肉体の営みや言葉、感情などの一つ一つが、手のひらに舞い降りた雪のように溶けていく、儚く無常に消えゆくさまをただただ見送る時間がすぎました。

この理解の正体はなんだったのでしょう。「こうしてはいられない」という程に、私を突き動かしました。

これがのちに、主人との出会いや造佛所の仕事に繋がっていくのですが、その時は「じゃあ何から始めたらいい?どこへ行けばいいの?」と突然迷子になったような頼りない気持ちでいっぱいになりました。

そんな折、知人から「マンダラ展」 (国立民族博物館@大阪) に誘われ、ほんの軽い気持ちで行くことになります。

仏像、仏画、マンダラをぐるりと拝観していると、菩薩を解説した小さいキャプションが目に飛び込んできました。

「菩薩とは、自分自身の悟りを求めると同時に、自分以外の人々を悟りに導くように努力する者

その言葉を反芻しながら見上げた、数多くの菩薩様のお姿…!

これが運命の出会いになりました。今でも目に焼き付いています。

観ているうちに、何とは無しに扉が開かれたような、不思議と目の前が明るくなったような、そんな気がしてスーっと心が軽やかになりました。

そうか、老いや死は避けられないけど、霊的な悦びや悟りというものがあるなら、そこを目指せばいいんだ、と。

これからの生き方や方向性を、菩薩達が指し示してくれたように思えて、自然と手を合わせておりました。

このときに仏像が指し示してくれた道を歩いた先には、辛いことも苦しいこともありましたが、仏縁と言えるご縁が広がっていました。

「仏像とは人生という道の方向を指し示してくれた存在」

これが、私にとって「仏像とは何か」です。

あれから時が経って自分も変化し、仏像との関係はより柔らかく心に根をはり、彩りのあるものになりました。きっと、これからも変わっていくだろうと思います。

あのタイミングで仏像に出会わなければ、それほどの感応はなかったかもしれません。少しでもずれていたら、今こうしてあなたと出会うこともなかっただろうことを思うと、本当に不思議に思います。

私の話を聞いてくださりありがとうございました。今日はここまでにしましょう。

次回は、坐禅でお世話になっている城満寺(徳島県)の田村航也住職にとっての仏像とは?です。

「木の塊をなぜ拝むのか?」と疑問に思っていた住職に訪れた気づきとは…どうぞお楽しみに。

また、この「えんがわ」でお会いしましょう。

吉田沙織

よしだ造佛所運営。四国で生まれ、お坊さんや牧師さんに説法をねだる子供時代を過ごす。看護師/秘書を経て、結婚を機に仏像制作・修復の世界へ。2017年に東京から高知へUターンし、今日も四国のかたすみで奮闘中。文化財保存修復学会会員。趣味は弓道、龍笛。