「あなたにとっての仏像とは?」を訊ねる旅のはじまり

こんにちは! 四国で「よしだ造佛所」を運営している吉田沙織です。

仏師の夫と共に、仏像を新しく作ったり、壊れた仏像を直したりする「co-Buddhist」の一人です。

仏像は、仏さまの教えを身近にしてくれるだけでなく、そのお姿だけでしみじみとするものを感じさせてくれたりしますよね。

ここ彼岸寺はインターネット寺院ですので、実際の伽藍はなく、もちろんご本尊は祀られていませんが、彼岸寺をご覧のあなたは、きっと仏像にも親しまれている方ではないかと思います。

そこでお伺いしたいのが、「あなたにとって仏像とはどのような存在ですか?」ということです。

これは、彫刻刀ではなく「対話」で現代の仏像を浮き彫りにできないか?そんな試みでもあります。

でも、いきなり「あなたにとって仏像とは?」と訊ねられても困ると思いますので、まずは、なぜそんなことを聞くようになったのかをお話しましょう。

お茶でも飲みながら少し語らいませんか。よろしければ氷点てのお抹茶をどうぞ。

私はもともとは仏像と関係のない仕事をしていたので、6年前まで仏像の知識はほぼゼロでした。

現在は仏像と一緒に生活しておりますので、少しずつ知識は増えてきましたが、徐々に不可解なことが起こりはじめました。

知れば知るほど仏像というものがわからなくなっていくんです。どうしてなのでしょう?

最初に気づいたのは、同じ仏像を見ても人によって反応がずいぶん異なるなぁ、ということでした。

たとえば弊所にいらした人でも、ある阿弥陀様をみて、喜んだり、怖がったり、分析的に見たり…本当に千差万別で、それは投影という心理的な現象でもあるんでしょうけど、疑問がどんどん膨らみはじめました。

「仏像とはなんだろう?」

仏像誕生のルーツは本で知ることができましたし、お坊さんや学者さんによる仏の三身の解説や、文化財として様々な側面からの捉え方にも触れてきました。寺院や地域で、昔から仏像が大事にされてきたこともよくわかります。

たくさんの人が仏像を愛し、語り合っているのを読んだり聞いたりするのもとても楽しい。

でも、「仏像とは何か?」のモヤモヤは大きくなるばかり…。

そんなある日でした。

2歳の娘が観音像の前を通り過ぎようとして、不意に足を止めたかと思うと御像にむきなおり、手を合わせて「なむ、なむ」と頭を下げました。

驚いて娘に訊ねました。

「なぜそうしたの、大切なことだって思ったの?」

娘は笑うだけで答えてくれません。

キャラクターの人形には抱きつく子供が、観音様には合掌して頭を下げた、その姿を見てハッとしました。

「そうだ…現代を生きる個人である『あなた』と仏像の関係、私はそれを語り合いたいんだ。」

これが「あなたにとって仏像とは?」を訊ねる出発点となりました。

といっても、今のところ私にはその対話にたどり着ける関係性の人があまりいないというのが現状で、仏像の話ができても「そんなの分からないよ」「考えたこともない」という人も少なくありません。

それは、風化して無関心になっているのか、仏像が心に溶け込んでしまったがゆえの無意識なのか、人によって違うのでしょう。

いずれにせよ言えることは、現代は、平安・鎌倉時代のような造仏全盛期とは状況が大きく違って、仏師のなり手も周辺の職人も消えゆく一方で、新しく造る機会も減り、あちこちで修理できない・管理しきれない仏像が増えつつあり、ある面では仏像受難の時代ということです。

しかしながら、彼岸寺のように時代に合わせながら仏教を伝え、仏道を歩もうとする人がいる限り、仏像もまたそこに寄り添い続けるはずです。

そう信じているので、私は今の状況を過渡期と見てあまり悲観していません。

たしかに、この流れの中で個人と仏像の関係を訊ねることは、あまりインパクトはないかも知れません。

ただ、語らいによって、私とあなたには見えてくるものがあるかも知れない、語らいを分かち合うことで誰かの心が1mgでも軽くなることがあったら、それは造仏の功徳とも言えるんじゃないか、そんな風に思うのです。

それでは次回から早速、対話による彫刻作業をはじめましょう。

来月また、この「えんがわ」にぜひ遊びにいらしてください。

お茶でものみながらお話しましょう。

吉田沙織

よしだ造佛所運営。四国で生まれ、お坊さんや牧師さんに説法をねだる子供時代を過ごす。看護師/秘書を経て、結婚を機に仏像制作・修復の世界へ。2017年に東京から高知へUターンし、今日も四国のかたすみで奮闘中。文化財保存修復学会会員。趣味は弓道、龍笛。