音を通して「体感としての仏教」を起動する。松本紹圭×遠藤卓也「音の巡礼 山の巡礼」キックオフ対談

昨春、お寺の朝を楽しむ会「Temple Morning」のオンライン版としてはじまった「Temple Morning Radio」。松本紹圭さんとゲストのお坊さんとのトークと、全国のお坊さんによる読経から成る30〜40分のポットキャストプログラムです。すでに配信回数は200回を超え、ゲスト出演した全国のお坊さんは40人。Spotifyでの番組フォロワー数は1000人以上、全プラットフォームでの総再生回数は48,700回になりました(2021年1月10日現在)。

Temple Morning Radioの配信を担当する遠藤卓也さんは、番組の編集をするうちに「音としてのお経のおもしろさ」に開眼。お経と読経するお坊さんを紹介する連載「音の巡礼」もスタート。2020年2月には、雑誌『Samga JAPAN』の出版社であるサンガと音の巡礼で『オンライン連続講座「音の巡礼 山の巡礼 〜身延山編〜』の開催も予定しています。

今回は、お坊さんの声を聴き続けてきた発見した「音で感じる仏教」のおもしろさ、そして「音の巡礼 山の巡礼」に至った経緯について、おふたりにお話を伺いました。

コロナ禍の“良き習慣の道場”として始まったポッドキャスト

ーーまずは「Temple Morning Radio」をはじめた経緯から、あらためて聞いてみたいです。

松本: 今はYouTube全盛で、わかりやすさを求めて動画をつくり込むじゃない? でも、宗教領域でやりとりされるのは、「こんな新しいことを知りました」「すごいわかりやすかったです」というものじゃないので、音メディアはいいだろうなということは漠然と思っていました。

昨春は新型コロナウイルスの感染拡大でスケジュールが全部飛んだので、「今まで手をつけられなかったことをやろうよ」とTemple Morning Radioをはじめることにしました。

平日の朝6時に配信される「Temple Morning Radio」。SpotifyやApple Podcastで聞けます。

遠藤:まつけい(松本さん)から突然連絡があって「すぐに録るから、配信方法や編集は任せた」って言われたんですよ。とりあえず録りながらいろいろ決めていったあのスピード感も、立ち上げにはすごく重要だったと思います。

ーーコロナ禍によって、お寺の朝を楽しむ活動「Temple Morning」を開けなくなったので、その代わりになるものをという発想もあったそうですね。

松本:そうそう。「お寺は良き習慣の道場」というコンセプトで、隔週くらいのペースで集まっていたのに、「コロナ禍でできなくなりましたから、みなさんさようなら」というのはちょっと違うんじゃないかと思ったんです。

お寺に集まれないなら、別な方法で良き習慣を続けるきっかけ、毎朝起きて「よし、やるかな」と思える仲間感を出すのに何がいいのかなと考えていて、ポッドキャストをはじめるいいタイミングなのかなと思いました。

ーーTemple Morning Radioは、ゲストのお坊さんとのトークと、全国各宗派のお坊さんによる読経という番組構成になっています。あの構成はどうやって決めたんですか?

ゲストのお坊さんとお経のお坊さんの組み合わせの妙もTemple Morning Radioの面白さです。

松本:そもそもTemple Morningの基本構成要素は、お経と掃除、お茶を飲みながらのおしゃべりなんです。オンラインで掃除は再現しにくいので、それ以外のお経とおしゃべりがいいんじゃないかと考えました。続けることも大事だからシンプルなほうがいい。

お経は音源を送ってもらえばいいし、おしゃべりは一発録りすれば5日分を配信できる。最初の頃より、おしゃべりがどんどん長くなってきちゃったけど、今は1話につき15〜20分くらいがちょうどいいのかなと感じています。

ありがたいことを言わなくてもお坊さんの“素の声”には仏教がある

ーーはじめた頃より、今のほうがより型がなくなっている気がしています。聞き手としてのまつけいさんの意識に変化はあるのでしょうか。

松本:最初は、対談やインタビューのニュアンスがあり「聞き手」だったんです。最近は「おしゃべり」と言っていて、どっちがどっちでもないということを徹底しているかな。あとはできる限り「みんなはこの先生からこういう話を聞きたいんじゃないか」という考えをもたずに、本当に出てくるままに任せています。たぶん、意図がないほうがよい音がするはずだと思っていて。

遠藤:なんか、フリージャズのインプロビゼーションのセッションをするミュージシャンみたいなことを言うよね。「この曲を演奏しましょう」とかじゃない。

松本:意外と、お坊さんってそういうおしゃべりに慣れていなくて、ひとしきり話して「じゃあ今日はこのへんで」と言うと「まだ、何もありがたいことを言ってないんだけどいいのかな?」みたいな雰囲気になる。その落ち着かなさも面白いところです。やっているうちにみなさんも慣れてきて、最後のほうはけっこういい感じの音が仕上がってきます。

ーーいい感じの音が仕上がってくる。まつけいさんはそのプロセスにどう関わっているんですか?

松本:お互いの音が重なってくる感じ、チューニングなのかなと思っているけど。

そういうときって、自分もむき出しになっていくんだと思う。主客はなくて、本当にお互いをお互いにチューニングしあうような感じです。収録は「zoom」を使っているけど、画面をオフにして耳に集中しながら相手の存在を感じるようにしているし、僕も目をつぶってしゃべっていたりもする。何の意図ももたないこと、何かのためにしないことを一所懸命にやっている。全力でおしゃべりしているんだよね

遠藤:チューニングがうまくなってきているよね。2日目で合ってきて、3日目でエンジンがかかってくる。だいたい4、5日目は安心して聞いていられます。

ーーおしゃべりのなかにある「意図がない音」ってどんな音なんでしょうか。

松本:安心してしゃべる音を求めているね。みなさんは「お坊さんです」と言って人前で話すことが多いから、なかなかそこから降りることに慣れていない。何かを演じようとすると、どこか声のなかに緊張感が入ってくると思うんです。そこから降りたときの素の声を出してもらうと、意外とそこにもちゃんと仏教があるような気がして。特に仏教の話をしていなくてもね。

なかにはお話が上手で立て板に水で話してくれる人もいるけれど、何かを突き抜けていく感じはないんです。もっと素の声が出てくる方が面白いし、聞いている人もスリリングだと思います。

遠藤:そういう場がセッティングされたからこそ出せる声もあるし、そういう声を出してみたことでその人のなかでも変わるものがあると思う。もしかしたら、その後の行動も変化するかもしれない。

お経は「情報」ではなく「音」で感じるものだ

ーー言語情報に頼らずに、聴覚あるいは五感で感じようとするのは、どこか仏教にも通じるような気がします。読経するときのお坊さんは、意味を理解することよりも自らの声に集中されているように見えますし、少なくとも聞いている側としては「情報」として捉えるのではなく音として捉えている感覚があります。

松本:うん。「正信偈」を専門に研究された、真宗学に精通した浄土真宗お坊さんであっても、毎朝「正信偈」を読まれているときにはその意味を考えてはおられないと思いますね。

ーーTemple Morning Radioを始めてから、全国各地のいろんな宗派のお経を編集しながら聞いてきた、えんちゃん(遠藤さん)はお経に何を感じてきたんですか?

遠藤:単純に、お経の音を聞いていて「いいなあ」と思ったんですよね。お寺に関わるお仕事をさせてもらっていても、こんなに多様なお経を聞いたことはなかったです。宗派の違いだけでなく、地域によって同じ宗派でも節が違ったりしますし、もちろんお坊さんの個性によっても、ひとりで読むか大人数で読むかでまた違いますよね。

僕もお経の意味をよくわかっていないから、言葉のわからない国の音楽を聞いているのに似た感覚があるんです。その感覚で聞くと、お経には現代のポピュラーミュージックに通じるものがあるというか。「このお経の展開はプログレ音楽っぽい」「反復が早いからテクノみたいだ」「早い感じがドラムンベースのようだ」とかね。

ただ、お経は聖典ですから「こんな風に聞いていいのかな?」という気持ちがあって、自分のなかに秘めていたんですけれども。お経の音源を送ってくれるお坊さんに伝えたり、Twitterでつぶやいてみると意外と共感が得られたりするので、なんか楽しくなってきちゃって。

ーーその面白さを共有したくて、2020年夏から始まったのが「音の巡礼」なんですね。


遠藤:今は、ネット上でいろんなお経の音源が聞けるけれど、読経したお坊さんやそのお寺や地域の情報にまではつながらない。たとえ10分、20分のお経でも、そういう背景を知るともっと味わい深くなると思いました。

僕は音楽人生のなかで、偶然耳にした音が心地よかったときに、そのアーティストやその音楽が成立した背景や歴史を調べるということをさんざんやってきていて。その枠組みにお経がぽこんとハマった感じがあります。

松本:案外これは、遠藤卓也的宗教行為かもしれないって感じもするんです。宗教的要素が完全に切り落とされて、ただ音楽として楽しんでいるわけではない。遠藤卓也なりの宗教の関わり方という意味でも、まさに「音の巡礼」なんだろうね。

聖なるものとしての“音”に向き合う

ーー儀式(お勤め)の一環としての読経ではあるけれど、もちろんわたしたちの耳には“音”として入ってきている。その音に、音楽ファンとしてではなく「お寺とお坊さんに関わってきた遠藤卓也」として向き合うことに巡礼感がある気がしました。

松本:そう、聖なるものとして音に向き合いはじめたという感じがあります。

僕はトークの部分でより聖なる音を求めていますね。お坊さんが「お坊さんが今からありがたい話をします」という枠組みで語るときに現れてくる音ではなく、もっとその人自身の音を聞きたいんです。

遠藤:最初のゲスト・横山瑞法さんは「人前で話してくれって言われるとちょっと緊張するけど、お経はいつもやっていることなので自然に読める」と言われていて。お坊さんにとってお経は呼吸と同じような自然な所作。お坊さんの裸の部分を聞けるのがお経なのかなと思います。

ーー読経は聖なる音を出すメソッドなのかもしれませんね。儀礼のなかで読まれる、もっともreligiousなものでありつつ、not religiousかつspiritualなものでもあるというか。

松本:そう。変な話だけど、お経を読んでいるときは意外とお坊さんは油断しているんだよね。「法話は苦手で、お経を読むだけで精一杯です」というお坊さんのお経自体がすばらしい音を奏でているんじゃないかと思います。

遠藤:Temple Morning Radioでお経の音源を送ってもらうと、雨が降る音や蝉の声などの環境音も一緒にパッケージされてくるんですね

環境音と一緒に入っているから、アンビエント音楽のように自然にリラックスして聞けるのも、Temple Morning Radioで流れるお経の特徴で、それがいいというリスナーが案外多いんだなというのは発見でした。「そこにしかない音の面白さ」も「音の巡礼 山の巡礼」の企画につながりました。

日本仏教の良さは“アンビエント・ブディズム”にある

ーーいよいよ、今年2月にはサンガさんとの共催でオンライン連続講座「音の巡礼 山の巡礼」がはじまりますね。

松本:もともと、サンガさんからオンラインセミナーのオファーがあって。でも、すでにYouTubeでいろんな先生のレクチャーを見れるし、そこにもうひとつコンテンツを追加してもあまり意味がないなと思ったんですね。

それに、セミナーに参加すれば多少は仏教を知ることになるだろうけど、なんかいつもしっくりこなかった。日本仏教の良さは「アンビエント・ブディズム」にあるんじゃないか。特に意識されずに日本の風土のなかに埋め込まれているというか。

ーー西行さんの和歌「なにごとのおはしますかは知らねども」の世界ですね。

松本:そういうかたちで僕らは仏教に触れているからこそ、「私は仏教徒です!」「仏教を実践しています!」みたいなテンションではなく、「なんだかんだ言って仏教だよね」というのをまだ少なからず生きている。それは「学ぶ仏教」というより「感じる仏教」に近いのかなと思います。

今、僕らは言葉の意味よりも、アンビエント要素としての音の部分に心惹かれて注目しているわけで、そこで仏教を感じてもらうきっかけをつくれないかと考えると、音は体感の部分を起動させる入り口になるんじゃないかという発想がありました。

遠藤:ちょうどこの企画がもちあがった頃、たまたま山梨県にある日蓮聖人の聖地・身延山に行くことになって。環境音を含めたお経の音を録音しようと、マイク持参で登ったんです。すると、山は本当に音が豊かでいろんな音が聞こえてくる。そのなかに身延山久遠寺があり、お経を唱えたり太鼓を叩いたり、祈りの音を発しているんですね。

山全体の自然の音に溶け込むように、人々の祈りの音が聞こえてくるのをまさに体で感じました。

遠藤さんが身延山で撮影した写真。このときどんな音が聞こえていたのだろう?

今、僕が暮らしている東京では、どこにいても工事の音や車の音など聞きたくない音が耳に入ってきてしまう。身延山で体験した「浸りたい」と思う音は、やはり山という異界にしかないんだなと思います

松本:「感じる仏教」は、オンライン講座である「音の巡礼 山の巡礼」で完結するとは思っていなくて。最後はやっぱり、本当に五感で聖地の音を感じに言ってほしい。あと、オンラインのコンテンツはどうしても視覚優位なものが多いので、あえて聴覚寄りのコンテンツで攻めてみたいという意図もありますね。

あらゆる人の声に聖性を見出す「聴聞」

ーーおふたりの話を聞いていて、「聖なる音」というのは声に現れる仏性とも言えるのかもしれないと思いました。浄土真宗では「聴聞」を大事にされますよね。「お念仏をする一人ひとりの声のなかに阿弥陀さまがいますよ」ということにも、通じているのかなと思ったりもしました。

松本:「南無阿弥陀仏はどこにいても聞こえるんじゃないか」と思うんです。どんな人が発する言葉からも聞こえてくる。だから「聴聞する」ということを、お寺という場に限定しすぎなくてもいいんじゃないかと思うんです。お寺に聴聞しに行くのもいいけれど、あらゆる人の声に聖性を聞き取ることができたら、それが本当の「聴聞」じゃないかと言いたい気持ちもあります。

ーー自分たちの興味の方向に降りていくなかで、おふたりが仏教の新しい語り口を見出しているのもすごく興味深いです。わたし自身も「仏教ってこう捉えられるのかも?」と思うことはたくさんありますが、それを自分の言葉として書くことは控えてしまう部分があって。こうして感じていることを自由に話せるのはありがたいです。

松本:如是我聞なのだからもっと自由に語ればいいと思います。誰にもブッダの真意はわからないんだから「自分はこう感じたよ」と言い合っていいはずですよね。

ーーそういう意味でも、えんちゃんが音楽を聴くときと同じやり方でお経への興味を深めながら、音で仏教を感じることを自分の言葉で発しはじめて。「音の巡礼 山の巡礼」を立ち上げるのは、すごく尊いことだなと思います。

遠藤:今回の企画は、いろんな人の意見を聞いたり、リスナーの支持や自分自身がこの番組をつくるという「良き習慣」を積み重ねてきたから実現したのだと思います。

「山の巡礼 音の巡礼」では、身延山の宿坊・端場坊の住職 林是幹師にお話を伺い、身延山の音も聞いてもらって、自宅にいながら聖地を巡る感覚を味わってもらえます。コロナ禍で心がざわざわするときだからこそ、「聖なる音」に触れてほしいですね。自分としては「こういうものが求められているんじゃないか」という予感はあります。

ーー今だからこそ、聖地の音を聞いてもらいたいし、自分自身の声にも耳を傾けてもらえるといいですね。ありがとうございました!

(インタビューここまで)

●オンライン連続講座「音の巡礼 山の巡礼 〜身延山編〜」開催のおしらせ|割引クーポンあり

日時:2021年2月17日(水)、24日(水)、3月3日(水)の20〜21時に開催。
参加費:各回3000円(割引クーポンあり)

※くわしくはこちらをご覧ください。

お坊さん、地域で生きる人、職人さん、企業経営者、研究者など、人の話をありのままに聴くインタビューに取り組むライター。彼岸寺には2009年に参加。お坊さんインタビュー連載「坊主めくり」(2009~2014)他、いろんな記事を書きました。あたらしい言葉で仏教を語る場を開きたいと願い、彼岸寺のリニューアルに参加。著書に『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』(フィルムアート社)がある。