楊木:「周りの状況によって、自分の行動が決められる」、いいですね。今のご時世、なにかと自分で決めろという圧力があるような気がしています。「自分のやりたいことを突き詰めていくべき」とか、自立が大事という空気がある一方で、自分のやりたいことが見つからなくてモヤモヤしている人は多いと思います。そんな人たちにとって、心強い言葉ではないでしょうか。人は一人で生きているのではなくて、周りの人や環境があるから、生きていけるんですよね。
そんなふうに行き着いたところが「僧侶」という道だったのが、まさに英月さんだと思うのですが、「仏教は人生の種明かしのようだった」と本のなかでおっしゃっています。これってどういうことなのでしょうか。
英月:『真宗聖典』(本の中に素敵なイラストがあります)という本があるのですが、これを手にした時、心底、ビックリしたんです。私がアメリカ生活で経験したこと、気付かされたこと、漠然と感じていたことが、理路整然とその本の中に、言葉となって並んでいたんです。では、本には何が書いてあるの?といえば、お経さんです。お経さんや、浄土真宗を開いたとされる親鸞さんの著書が、その1冊にギュッと収まっているんです。それを読んだ時、「え? なんで、うちのこと知ってはるん?」と驚いたんです。自分のことを、見事に言い当てられたような気がして、それだけじゃなく、まるで問題集についてくる解答集のようで、答え合わせをしているような感覚になったんです。
悲しかったこと、怒ったこと、辛かったこと、色々あったことの根っこ。なぜ、悲しかったのか? なぜ、怒ったのか? なぜ、辛かったのか? その答えが、そこにはあったんです。そうして、根っこに気付かされたことで、悲しみ、怒り、辛さの種明かしがされたんです。つまり、人生の種明かしです。
種明かしというのは、マジックのそれと同じです。なぜ?と思っていたことが、なんだ!に変えられる。そして、種が明かされると、もう同じようにはみられません。不思議だと思っていたことが、不思議ではなくなるのです。それと同じです。色々あったことの根っこに気付かされることで、なぜ、こんなに悲しむの?と、思っていたことが、なんだ、だから悲しんでいたのか!に変えられる。怒っていたこと、辛かったこと等も同じです。
じゃあ、もう二度と悲しまなくなるのか?怒らなくなるのか?といえば、残念ながら、答えは「NO」。悲しいことがあれば悲しむし、嫌なことがあれば腹もたつ。けれども、種明かしをされていなければ、闇雲に悲しみ、怒るだけです。種明かしがされると、一呼吸入るというか、立ち止まれるんですね。
楊木:悲しんだり怒ったりすること自体はやめられないけれど、根っこを知っているだけで向き合い方が変わるんですね。そして、その根っこを教えてくれるのが、仏教。
正直、お坊さんになる人って、家が寺だから継ぐという人が多いのかなと思っていました。さらにいえば、お坊さんというと、「聖職」という感じがして近寄りがたく、何を考えているんだろう…と思っていたこともあります。お坊さんを目指す人の気持ちがどういうものなのか、今まで全く知らずにおりました。ですが、こうして心から仏教に動かされてお坊さんになる方もたくさんいますよね。英月さんから色々とお話をうかがって、自分らしく生きる道を探し続けたらお坊さんになっていた、というところにすごく人間味を感じ、仏教にも興味が湧いてきました!
最後になりますが、英月さんがこの本で一番伝えたいことを教えていただけないでしょうか。
英月:最初に私たちが考えた、この本の読者層って、20代後半以降の女性だったと思うんですよね。でも、この本が出て、実際に手に取ってくださった方たちは、私たちの思惑を超えてしまっているんです。「ズッコケ奮闘記にみせて哲学書。悩ましき心のヒダに触れる箇所も多くて『なんで知ってるの?』というのは読者の言葉でもありますね」と、感想をお送りくださったのは、一般企業にお勤めの50歳代男性。
その話を知人のお坊さんとしていたら、「40歳代男子の琴線に触れまくり」と仰ってびっくり。書き手が女性のエッセイだから、対象は女性だと私たちが勝手に思い込んでいただけなんです。先日も、会社を経営されていた70歳代の男性が「自分の過去の経験が重なる」と仰り、しみじみと嬉しかったです。経験してきたこと、生まれ育った環境は、人それぞれ違います。表面的には違いますが、何に苦しみ、何に迷うか、その根源的なところは同じなのです。そして、その苦しみ、迷いに寄り添う教えも、当然、同じです。
この本で伝えたいこと、それは、「大丈夫」ということです。「大丈夫? こっちはコロナで大変!」と、お叱りを受けるかも知れません。ぶっちゃけ私も、コロナの影響を真正面から受けています。軒並み講演会がキャンセルになり……おまけに宗教法人だから、何の保証もない。って、話しが生々しくなりました。ゴメンなさい。
まぁ、それぞれが、それぞれの立場で大変です。行き詰まることもあります。けれども、行き詰っているのは、私の思いであり、私の都合。自分にとって都合がいいからとアメリカにまで家出をした私ですが、結局それも、仏さまの手のひらの中で暴れていたにすぎなかったと気付かされました。親鸞さんも、仰っています。「摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる」と。
これは親鸞さんがつくられた和讃という歌の一部です。「摂(おさ)め取って捨てないはたらきを、阿弥陀とお名付け申し上げる」。ザクッとした訳ですが、そんな意味です。ここで注目したいのは「摂取」という言葉。親鸞さんはこの言葉に、「摂はものの逃ぐるを追はへとるなり」と、左訓(さくん)と呼ばれる語釈を記しています。阿弥陀さまのはたらきは、阿弥陀さまに背き、逃げる者をも追いかけて捕まえるって言うんです!まさに私です!捕まえられてしまったのです。
そして、「そういうはたらきを阿弥陀という」のです。阿弥陀という存在があって、そのスペックのひとつとして、そういうはたらきがあるのではないのです。だから、「大丈夫」なんです。この私を救うはたらきは、あるのです。
と、ちょっとアツく仏教を語ってしまいましたが、この本を通して私が伝えたいことは、所詮、私の都合。みなさんは、みなさんで、好き勝手に読んでいただけたらと思います。そのなかで、立ち止まり、ご自身の人生と向き合うご縁になったとしたら、とっても嬉しいです。これは私に仮託した、あなたの物語です。
こちらもぜひご一読ください!
「第一回 結婚、仕事、人間関係…不安ばかりの人生、どうしたら?」
https://higan.net/now/2020/06/eigetsu-newbook1/
「第二回 踏ん切りがつかないなら、それが答えです。」
https://higan.net/now/2020/06/eigetsu-newbook2/
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