【お坊さんブックレビュー】『禅とジブリ』の読後感(野田芳樹)

彼岸寺読者の皆さま、こんにちは。私は愛知県春日井市にある、林昌寺というお寺(臨済宗)で副住職をしている野田芳樹と申します。

さて突然ですが、皆さまはジブリ映画はお好きでしょうか?私は大好きです。特に、小さい頃に『千と千尋の神隠し』を観たときの感動と衝撃は今でも忘れられません。

ジブリ映画には『もののけ姫』や『魔女の宅急便』など有名作品が数多くあり、一度はその名前を耳にしたことがあるという人は多いのではないでしょうか。ですが、それぞれの作品の思想的な背景までご存知という方はそんなに多くないと思います。(私自身もその一人です)

今回ご紹介する『禅とジブリ』という本は、禅の基本的な考え方が分かりやすく理解できるとともに、実は多くのジブリ作品の背景には禅的なものの見方が隠れているのだという、新しい視座を教えてくれるとても興味深い一冊です。

この本は、ジブリプロデューサーの鈴木敏夫さんと、3名の臨済宗のお坊さん(龍雲寺住職・細川晋輔さん/円覚寺管長・横田南嶺老師/福聚寺住職・玄侑宗久さん)との対談をまとめたもの。そのどれもがとても示唆に富んでいて、興味深い対話ばかりです。

今回はその中でも、私が特に印象的に残っているところをご紹介します。(※少しネタバレを含みます)

『禅とジブリ』の第1章は、鈴木氏と細川和尚との対談から始まるのですが、その中で『もののけ姫』と禅的な考えとの興味深いつながりについて話されている箇所があります。

『もののけ姫』のクライマックスに、主人公のアシタカに対して、ヒロインのサンの育ての親であるモロという山犬のキャラクターが「お前にサンが救えるか?」と問うシーンがあります。普通、主人公が「お前はヒロインを救えるか?」と聞かれたら、観客側は「救える」と答えてくれた方が気持ちいい。しかし、その時アシタカが答えたのは「わからぬ!しかし、共に生きることはできる。」という言葉でした。

実は禅宗のご開祖さまである達磨さんにも、これと重なるエピソードが伝わっています。その昔中国の皇帝に謁見に行った際に皇帝から「お前は何者だ?」と問われた達磨さんは、「不識(わからぬ)」と応えた、という話があるのです。ここに細川和尚は着目され、まさにアシタカとモロとのやりとりは禅問答に通じるものがあると言及されています。

私自身も禅僧であり、なおかつ『もののけ姫』は何度も見ているはずなのに、恥ずかしながらそんな視点は持ったことがなく、この対談を読んで新しい視野がひらけました。

『禅とジブリ』全体を読んでいて私が感じた禅とジブリ作品との共通点は、人間の強さや清らかさだけでなく、弱さや不確かさ、ドロドロした部分まで丸ごと大事にしていくという姿勢があるということ。その懐の深さがとても重なるところがあるなぁ、と感じ入りながらページを繰りました。

そして『もののけ姫』のように、「わからない。けれど共に生きることはできる。」と、最終的には希望につながっていくというところも、禅的なものの見方とジブリ作品との見逃せない共通点だと思います。そこに懐の深さや一筋の光明が見いだせるからこそ、禅もジブリも、多くの人を魅了してやまないのかもしれません。

今回はほんの一部しかご紹介できませんでしたが、横田老師と玄侑宗久さんの対談のくだりも大変面白いものです。皆さまもぜひ一度、お手に取って読んでみてくださいね。

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