はじめに

どうもはじめまして。こじまあゆみと申します。
少し前までお寺や仏教とは縁遠いところにいた者です。
それどころか、わりと熱心なクリスチャン(カトリック)の家庭で生まれ育ちました。
幼い頃から、日曜日は家族で教会に行っていました。(中学生くらいからサボったりもしましたが)クリスチャンネームはマリアです。こんな私に転機が訪れたのは数年前のこと。趣味で通っていたギター教室で運命の人と出会ったのです。蓋を開けたらビックリ仰天、相手はお坊さんでした。紆余曲折ありましたが、5年間の交際を経て、めでたく2014年春に結婚しました。

 
お坊さんの彼と出会う前は、お寺といえば観光で訪れる程度でした。
仏教のことも全く知りません。お坊さんとお付き合いや結婚する中で、不安に思うことも沢山ありました。周りからは、「お寺って大変そう」とか「改宗するの?」とか、まぁとにかく色んなことを心配されました。ところが…予想以上に楽しいことで盛り沢山でした。
宗教の違いでトラブルになるどころか、むしろ認め合って、学び合っていました。
仏教のことを知れば知るほど、「キリスト教と目指すところは一緒?」と思う場面もありました。

 
『 木魚でメサイア 』

 

このタイトルは「結局は一緒なんだ」という私の想いから名づけました。
それは宗教に関わらず言えることかもしれません。
例えば正真正銘の「日本文化」だと思い込んでいるものも、辿ってみると中国から伝わって、日本で発展したというケースもあります。(私の前職「木版画」の技術もそうでした)
なんだか、お坊さんとお付き合いして、お寺に嫁いで、
ますます私の中で「大事なモノは一緒」という想いが込み上げるのです。

 
私の嫁いだお寺の宗派(真宗大谷派)では木魚は使いませんが、
一般人の仏教イメージのアイコンとして「木魚」。
そして、「メサイア」はヘンデルが作曲したキリストの生涯をテーマにした楽曲のことです。
(あの有名な「ハーレルーヤッ♪」もメサイアの一部)

 
少し前まで仏教・お坊さん・お寺と全く接点がなかった真っ白な私が
これまで経験したこと、日常で感じたこと、学んだことを
ここではゆるりと連載していきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。

滋賀県出身。キリスト教(カトリック)を熱く信仰する家庭で育つ。6人兄弟の長女でクリスチャンネームはマリア。 2014年春、お坊さんと恋愛結婚しお寺に嫁ぐことに。現在名古屋市にある真宗大谷派・開闡寺(かいせんじ)の若坊守として日々奮闘中。京都の老舗木版画店「竹笹堂」の元店長。