「マインドフルネス」という言葉を聞いたことがあるでしょうか? マインドフルネスは近年、うつ病の臨床現場で活用されたり、アメリカのGoogleで社内研修のプログラムに採用されるなど、世界的にたいへん注目を集めているキーワードです。
仏教瞑想には坐禅をはじめ多くの方法がありますが、そのひとつにヴィパッサナー瞑想という瞑想法があります。これはミャンマー、タイ、スリランカなどの国で受け継がれてきたテーラワーダ(初期仏教・お釈迦様直系の教え)の瞑想法で、マインドフルネスのルーツとなった瞑想法です。ヴィパッサナー瞑想は初期仏教の伝統国を超え「マインドフルネス」という呼び名に変わり、アメリカやヨーロッパなどで大きなムーブメントとなりました。心理学や精神医学へも応用され、その効果を科学的に証明しようという動きも盛んです。日本でも、ヴィパッサナー瞑想は20年ほど前から学ぶことができるようになってきました。最近彼岸寺で松本紹圭さんによるインタビュー記事が話題になった山下良道さんも、かつてヴィパッサナー瞑想の修行をしたひとりです。
日本でも世界でも、お釈迦様直系の教えに価値を感じる人が増えてきたことで、仏教は今まさに新しいフェーズを迎えダイナミックに変化しようとしている、そんな面白い時代に入っているといえるでしょう。
2014年7月に(株)サンガから発売された『実践! 仏教瞑想ガイドブック』が、最近注目を集め、話題になっています。この本には現在の日本の仏教事情をはじめ、マインドフルネスと医療との関係など、多岐にわたる情報が簡潔に網羅されています。山下良道さんも日本で活躍する瞑想の指導者として本文に登場されていますし、哲学者の永井均さんと精神科医の香山リカさんの仏教瞑想対談も収録されているなど、仏教徒ではなかった人にまで仏教の教えが広がってきていることも実感できます。現時点の仏教を俯瞰できる本、仏教事情の旬がわかる画期的な本と言えるでしょう。
今回は、『実践! 仏教瞑想ガイドブック』を手がけた(株)サンガ編集部の川島さんと佐藤さんに、この本のこと、そして現在の仏教事情について深掘りすべく、お話をうかがいました。
2014年の地図を作る
原始仏教ガール 最近、彼岸寺では山下良道さんのインタビュー記事が話題になりました。「マインドフルネス」という言葉を耳にすることも増えてきています。山下良道さんにしてもマインドフルネスにしても、お釈迦様の直系の教えであるテーラワーダの流れをくんでいるものであり、それが世界でも日本でも改めて意味あるものとして見直されていることがたいへん興味深く感じられます。この本がたいへん注目を集め、話題になっているのは、世の中のタイミング的に、今まさにこの本を読みたいと思っていた人が多かったということではないかと思います。読者からの反響はいかがですか?
編集部 川島さん 予想以上の反響で驚いています。今、テーラワーダ仏教の実践であるヴィパッサナー瞑想のことを、一度きちんとまとめておくべきタイミングだとは思っていました。スリランカのスマナサーラ長老の活動をはじめとして、タイ、そしてミャンマーから瞑想指導者が日本にやってきて、毎週のように瞑想指導をしているという状況が、今の日本にはありますから。たぶんこれは、10年前では考えられないことだったのではないでしょうか。日本にテーラワーダ仏教を根付かせようという活動してきた方たちの成果が、結実しつつあるということではないかと思います。編集部としては、今現在の状況を、見える形にしておきたかったのです。
もう少し時間軸を広げて考えると、日本でヴィパッサナー瞑想が注目され始めたのは最近のことかもしれないですけど、欧米では1970年代に生きた精神文化としてミャンマーやタイの僧院から伝わっていました。それは1950年代のジャック・ケルアックの『ダルマバムス』に代表されるような仏教と深く結びついたビートニク・カルチャー、そしてそれに続くカウンター・カルチャーの系譜に捉えることができると思います。その精神文化の系譜の中にヴィパッサナー瞑想があり、最近特に話題になるマインドフルネスも位置づけることができるのではないかなという気がしています。
原始仏教ガール 40、50年前からの精神文化の流れというものがあるのですね。
編集部 川島さん 昨年暮れにインタビューして、サンガジャパンVol.17に掲載した、アメリカのサイコセラピストのマーク・エプスタイン氏は、ハーバード大学医学部で学んで精神科医になった人ですけれど、まさにそういう精神文化の蓄積過程の中から現れた、象徴的な世代の人だなと思いましたね。今回のガイドブックでは、井上ウィマラ先生の記事や、葛西賢太先生の記事から、そうしたことを読み取っていただけるのではないかと思います。もちろん多様な見方ができることではあるのですけど。
実は今回の『実践!仏教瞑想ガイドブック』を編集するに当たり、念頭においていた本に別冊宝島の『精神世界マップ』があります。これは1980年の初めに出版された本で、今はもう絶版かもしれませんが、ずっと増刷を重ねて30刷以上いっているはずです。
原始仏教ガール まあ! キッチュな表紙が素敵ですね。
編集部 川島さん この本を編集したのは翻訳家で昨年亡くなられた吉福伸逸さんです。この本は彼と彼を中心に集まった多彩な人たちによって1980年当時の精神文化の実際がうまく紹介され、マッピングされています。そこに紹介されているのはやはりカウンター・カルチャーから派生してきたニューエイジの文化ではあるのだけど、それが水平的に切り取られて、あたかも精神世界の断層面を提示されたようなつくりになっているんです。まさしくマップとなって、あとに展開してく精神文化の見取り図の役割を果たしているんですね。まあ展開した先が、80年代、90年代と続いていってある種の精神世界バブルのような感じにもなり、バブルがはじけるようなことにもなるので、地図は手にした人しだいということではあると思うのですが。
サンガの中で瞑想をテーマに一冊作ろうという企画があがったときに、ヴィパッサナー瞑想やマインドフルネスを1950年代から今に続く精神文化の時間軸のなかで捉えていこうとするなら、この『精神世界マップ』を更新するような意識をもつべきなんじゃないかな、と思ったのです。もっともブッダの教えなので2600年の時間軸でもあるわけで、たかだか60年やそこらを云々しても、という尺度もあると思うのですが、たぶんそのどちらもリアリティをもつような時間感覚が、ヴィパッサナー瞑想が伝わっていく中にはあるような気がするんですね。
まあ、そんなことを思いつつ、今の実際の状況をありのままに伝えることができたら、と思って作りました。考え方としてはマップ、地図ですから、編集部のバイアスをかけずに、ヴィパッサナー瞑想が日本に入ってきた流れをちゃんと押さえて、どれだけきちんとした情報を提供できるか、ということを主眼においています。地球儀サイズの見取り図と、できるだけ小さな路地も書き込んだ地図と、秘境探検のような地図などが詰め込まれていますから、どのように使って旅に出るかは読者の方にお任せです。
今は異常な過渡期
原始仏教ガール 『瞑想ガイドブック』の中で青野貴芳さんから「テーラワーダ仏教が正しく大乗仏教はニセモノとなってしまうよりは、双方の良い点を取り入れるのが穏当」という意見が出てきていたり、彼岸寺で山下良道さんのインタビュー記事が注目されていたりするのを見ると、日本の伝統的な大乗仏教の僧侶にとっても、最近の仏教の新たな動きは、非常に気になるものではないかと思います。今後この流れはどうなっていくと思われますか?
編集部 川島さん 山下良道さんは、いま注目を集めていらっしゃいますよね。大乗仏教の出自から、テーラワーダを通過して、そうした自身の来歴を新しい形で成り立たせようとされて、仏教3.0という形で示した、その新鮮さが既存の日本仏教に飽き足らない人たちの支持を集めていらっしゃるように思います。ある意味、今の日本の仏教が象徴されているのかもしれないですね。では日本の仏教がこれからどうなっていくのか、というと、これはかなり大きな質問ですね。僧侶でもない、仏教の周縁にいるだけの私には、お答えできることではないですが、まあ多少無責任にお話しさせてもらうと、「分からない」、ということじゃないでしょうか。
本書でテーラワーダ仏教の日本への伝来史をまとめましたが、明治時代に一度入ってきているんですね。しかしそれは途絶えてしまって、今の流れはスマナサーラ長老の登場によって生まれた流れが大きく育ってきているのだろうと思います。長老は30年前に来日されて、一般的に知られるようになったのはこの10年くらいでしょうか。長老の登場によるインパクト、「スマナサーラショック」という表現を『アップデートする仏教』を編集した幻冬舎の穂原さんはしていますが、まさにそのショックが、山下さんの提起を含め今の状況を作ってきているのだと見ることができる気がします。日本の仏教の歴史から見ると、538年に伝来して1500年近い歴史の積み重ねの上にあるこの30年というのは、とてもすごい30年なのかもしれない。しかも、まだまだ最近のことに過ぎないわけです。
今年の2月にインドシナ半島に取材をかねたツアーに行ってきたのですが、南伝仏教といわれるインドシナの地域では民衆のレベルでテーラワーダの文化が深く根付いているのを実感しました。国家権力のレベルではいろいろ移り変わりがあるのですけど、民衆のレベルではテーラワーダ仏教が深く息づいているんですね。そして、そういうテーラワーダ仏教の精神性というか、テーラワーダ仏教が生きて紡がれて続いている社会というのが、とても良いものなんです。遅くとも13世紀ぐらいにはテーラワーダ仏教が入ってきていて根付いていたようです。800年とか1000年に近い歴史が生んでいるどっしりした仏教が東南アジアにはあります。もちろん日本にはそれ以上に深い歴史があるのだけど、現在は日本仏教はそういう安定感とは違うフェーズにいるという気がしますね。
逆に言うと、いろいろなアプローチができるというか。何かすれば、次の展開が起こる。アクションを起こせば、ダイナミックな展開が起きる、という先の分からないポテンシャルとダイナミズムが、今の日本の仏教の状況かなと思います。ですから今は本当に1000年単位の過渡期なんじゃないかな、という見方もできるでしょうね。またそういう風に見ると、仏教への興味もわくし、いろんな人が主体的にコミットしてみようという感じにもなって、面白いじゃないですか。実際、原始仏教ガールさんもそういう関心を持って主体的にアクションを起している一人なんじゃないですか?
日本はこの先、人口がどんどん減って100年後には人口4,000万人になるという数字もあるくらいです。どうしたって檀家が減ってお寺のあり方も変わっていかざるを得ないのではないでしょうか。模索期だと思いますね。青野貴芳さんとも話していたのですが、仏教は瞑想という巨大なコンテンツがあり、またお寺と言う素晴らしいインフラもるわけだから、それを開かれたものとして、瞑想センターを作るなりして、新しい価値観を提供するようにしていけば、とも思います。そういう意味でも日本の仏教は大きな可能性があり、どうなるかわからない。
まあ、個人的な希望を言わせてもらうと、赤い袈裟を着た比丘が朝托鉢し、普通に街を歩くような文化が生まれるといいと思っていますけど(笑)。
宗教性のない瞑想について
原始仏教ガール 最近、アメリカを中心に、うつ病の臨床現場でマインドフルネスが治療法として使われ始めていることを耳にします。従来の薬の治療の場合、再発率が高かったり、そもそも薬をいつやめればいいかやめどきがわからなかったりということが問題になっています。薬に頼らないマインドフルネスが、医療分野で発展していくことは世の中的にもよいことのように思いますが、仏教瞑想のメソッドが、宗教と切り離された医療分野で実践されるのは、仏教界から見ても歓迎すべきことなのでしょうか?
編集部 川島さん 要するに、それはアメリカの文化ですよね。宗教性がないところで仏教のメソッドの部分だけがひとり歩きする、それはいい面もあれば悪い面もあると思いますが、医療という文脈でメソッドを伝えるのも、それが心を成長させて、智慧を開発という瞑想の目的にかなうのであれば良いことなのではないでしょうか。仏教文化がもっている、戒を守って生き方を整えるというような豊かな伝統が、医療という文脈に置き換えられるのでしょう。つまり方法論を伝えていく文脈が、仏教なのか医療なのかという違いだと思うんですよね。背景にある文化を受け取れるか受け取れないかの違いなのだと思います。アメリカだと、仏教という文化のお皿に乗っているよりは、医療の文脈のお皿に乗っているほうが、受け入れられるのではないでしょうか。
原始仏教ガール 宗教と切り離された実践としては、医療のほかにビジネスへの応用という分野でも話題になっています。アメリカのGoogleをはじめ、最近は日本でも営利企業がマインドフルネスを研修プログラムに取り入れる動きがありますが、これについてはどう思われますか?
編集部 川島さん そうですね、ちゃんと問題として整理したことはありませんでしたけど、仏教と医療は共通性があると思うんですよね。心を楽にするとか、悩み苦しみがなっていくということとか。心を健全な状態にするという目標が同じですね。いわば価値のピラミッドの頂点が同じだということです。仏教では戒定慧という段階があって、まず戒で心の汚れをとって、それで初めて禅定が生まれて…という構造があります。医療でも、生活を改善していって、組まれたカリキュラムをやって、心をきれいに楽にして、苦しまない生き方ができるという構造でしょうから、同じピラミッドが作れるのだろうと思います。だけど、ビジネスは価値のピラミッドが違っていて、頂点はお金ですよね。医療とビジネスのマインドフルネスは両者とも宗教性がない、それは同じですが目的が違いますね。実際はどうなのか、興味深いですね。
編集部 佐藤さん 最終的には仏教の正しい実践が重要ですが、入口として、「それまで仏教瞑想を知らなかった人が、瞑想を実践してみた」ということは、とてもよいことだと思います。しっかりとした仏教瞑想であれば、少しの実践だけでも、人はよい方向に変わっていきます。『現代人のための瞑想法(サンガ)』という新書を作ったとき、アメリカにおいて、瞑想が技術として受け入れられているというトレンドを念頭におきました。仏教に興味があってもなくても、たとえば「いきいきとビジネスをするために瞑想をする」というような雰囲気でよいので、まずはヴィパッサナーのことを知ってほしいと思って作りました。とにかく、最初に仏教瞑想に触れるきかっけをたくさんつくりたかったのです。
原始仏教ガール メソッドとしてであっても、マインドフルに生きる人が増えれば、よりよい世の中になりそうですしね。いいことではないかとわたし自身も思います。ところで、この本は『瞑想がイドブック』の名の通り、テーラワーダの流れをくむ日本国内の瞑想センターや指導者の紹介もあり、お釈迦様直系の教えってどんな教えなの?と興味を持っている人にはとても参考になる内容になっていると思います。指導者や瞑想センターは複数取り上げられていますが、編集部としてのお勧めがもしあれば教えていただけますか?
編集部 川島さん そうですね、先ほどもお話ししましたが、この本は地図だと思ってもらえればいいと思います。指導者もゴールや目的もバラバラですから、それぞれがフィットするところを選ぶのがよいと思います。結局みんな仏教の教えに基づいているわけですから、どんなアプローチであろうと、正しく伝えようとする指導者であれば、伝えているものの源泉は一緒です。数学の数式を誰が語ろうと噛み合うようにですね。どう伝えるかというスタイルが違うので、教えを請うその人が「何を必要としているか」でフィットするところも変わってくると思います。心が苦しい、それをどうにかしたい、と思っている人はそれに向いているところに行ったほうがいいでしょうし、そうしたらその実践によって心が解放されるでしょうしね。一方では、パワーあふれる人じゃないと向いていないようなところもあります。
編集部 佐藤さん 自分が信頼する一人の指導者のもとでの実践が重要だといいますが、現在は迷いなく実践されている方でも、そこにたどり着くまでは、さまざまな試行錯誤があったと思います。その試行錯誤を読めるところも、この本の魅力です。鈴木一生さんも長年瞑想に取り組んで、紆余曲折があって、今にたどり着いている。哲学者の永井均先生も、瞑想に出会って、いろいろとチャレンジしている。原始仏教ガールさんも一生懸命迷いながら、自分に適した瞑想法を探している。いま現在、迷いの中にある初心者の方には、その迷いから抜け出すために、この本に登場する先輩方の迷いの体験を知ることが、とても参考になるでしょう。
編集部 川島さん この本のPart4(P.262から)の「体験的ヴィパッサナー瞑想」という章はまさにそのためにあって、先人がこのように苦労している、というのを見ながら自分の実践の道を考える、そういう使い方ができますね。
原始仏教ガール お話をうかがって、日本の仏教がまさに今新しいフェーズの渦中にいることを実感しました。いち仏教徒として、またヴィパッサナー瞑想の実践者として、日本のこれからの仏教に注目していきたいと思います。スター性のある人の登場がきっかけになって、時代がダイナミックに変化するかもしれないですよね。この先だれが時代をリードしていくのか、それとも人がきっかけではないムーブメントが起きるのか、興味が尽きません。
編集部 川島さん 時代が動くときは「人が立っている」というのはあると思います。新しいスターが現れるのか、強いインパクトを持った人が出てくるのか、分かりませんよね。しかし「人」は一つのきっかけではあるかもしれないですけど、それでそのまま大きな変化が起きて太い流れになっていくのか、というとちょっと違うのかもしれないとは思います。「人」と言う意味ではスマナサーラ長老がすでに変化を起したわけですから、これからやるべきことは、この揺籃状態の中で何を育てていくか、かも知れないですよね。そのためには、本当の情報、本質的な価値をもった情報を、このゆりかごに流して込んでいくことが、ひとつ大切なことではないかという気がしています。先ほどお話ししたインドシナの仏教のことなど、本当に知らないわけですけど、私たちが吸収すべきことがそこには膨大にあるという気がしています。
原始仏教ガール なるほど。次の時代に向けて、何を残し育てていくかは、わたしたちひとりひとりの意思にもかかっているような気もしました。この先、どのように仏教が進化していくのか、楽しみです。このガイドブックはハードコアなページのほか、永井均さんと香山リカさんの対談のような気軽に読めるページもあり、知的好奇心でちょっと今の仏教世界をかじってみたい人にとっても、たいへん楽しめる内容だと思いました。新しい世界を覗いてみたい方、2014年の精神世界マップを見てみたい方にお勧めですね。今日は貴重なお話を本当にありがとうございました! たいへん勉強になりました。
(インタビュー:原始仏教ガール http://musicbuddha.hatenadiary.jp )