「彼岸寺」という「お寺」のはじまり

彼岸寺、20周年、おめでとうございます。

これまで宗派を超えて数えきれないほどのたくさんのお寺とご縁をいただいてきた者として、感じていることがあります。

それは、「お寺」と名付けられた何かとして、最も大切なのは、「続いていく」ことだということです。

数百年続くことも珍しくないお寺の世界で、20年という数字はまだ短いようにも見えますが、数百年続くすべてのお寺が20周年を経験してきたことを思えば、彼岸寺のこれまでの道のりもまた、かけがえのないものです。

これまで彼岸寺にご縁のあったすべてのグッド・アンセスターたちと一緒に、最初にその種を蒔いた私も、お祝いしたいと思います。

とりわけ、「インターネット寺院 彼岸寺」という、当時では極めて珍しかったコンセプトのお寺が、20年も続くなんて、私を含む誰も当時は想像しなかったのではないでしょうか。

私自身は北海道の田舎育ちながら、父の仕事の関係で、まだ珍しかったパソコン(NECのPC9801)が小学校低学年の頃から家にあったので、BASICマガジンなどを頼りに自作ゲームをコーディングするなど、独学でコンピュータのプログラミングには親しんでいました。

私がインタビューなどで自分の人生を振り返る際、「僧侶になる」という要素に関しては、1995年頃のオウムの地下鉄サリン事件をよく引用しますが、「インターネット」という要素については、中高生の頃からニフティサーブなどでパソコン通信を始めるなど、かなりそちら側の人間でもありました。

インターネットの黎明期に重なる大学生時代も、プログラミングやWebデザインにかなりのめり込んでおり、アルバイトも、アルバイトというよりは今でいうフリーランスのWebデザイナーのような動き方をしており、縁さえ整えばそのままIT業界に入っていっても誰も不思議に思わないところに立っていました。

しかし、大学3年の終わり頃、周囲の皆が就職か進学がで迷っている頃、どちらの道もしっくりこないと感じていた私は、ふと仏門を叩くという第3の道があることに気づきます。そして、どういうわけかその道にやたらとピンと来てしまい、ご縁が整い光明寺というお寺から浄土真宗で得度をさせてもらうことになりました。大学4年生の間は、「卒業後はお寺に内定している」という状態で過ごし、卒業と同時にお寺での住み込み生活が始まりました。

ちょうどその頃、アメリカで出始めたのが、「ウェブログ」というパッケージでした。それまでは、インターネット上で情報発信をするためには、一つ一つのページをHTMLでコーディングしてファイルをアップロードしなければならなかったのですが、ウェブログ(略してブログ)のパッケージを導入すれば、その作業をブラウザだけで完結させることができるのです。今では当たり前のことですが、当時はそれが画期的でした。早速、出始めたばかりの英語版しかないMovableType(懐かしい……)というパッケージをダウンロードしてきて、サーバにインストールして使ってみました。それはもしかしたら、世界で初めて僧侶がブログを始めた瞬間だったかもしれません。そうした作業の場所は、住み込み小僧として充てがってもらったお寺の離れの自室でした。

使っているうちに、何か自分でも発信してみたくなったのでしょうね。何かしら自分に発信できる「コンテンツ」はないだろうか。当時はまだインターネットに上がっている情報がごく限られていましたし、ホームページを持っているお寺もほとんどなく、ましてや現役の僧侶が仏教世界の内側からリアルタイムで情報を発信するようなコンテンツは、皆無と言ってよい状況でした。「中の人」(という言い方も、当時は無かったですが)系のコンテンツとして、宗教関連は最強に違いないと一人盛り上がり、始めたのが、higan.netでした。

ドメインにも、ひと顛末ありました。私は何事においてもシンプルなのが好きなので、できるだけ短くてわかりやすいドメインがいいなと思いました。仏教関係の単語で色々と空きドメインを探してみたところ、運よく「higan.net」が空いていました。早速、ドメイン契約・登録をしたのですが、使い始めてからあることに気がつきました。それは、higan.netがもともと空いていた訳ではなく、以前別の人が使っていたものだったということです。しかも、よくよく調べてみると、作家の島田雅彦さんが、ご自身のウェブサイトとしてお使いになっていたようですが、どういうわけか(更新期限切れ?)、それが空いていて私が取得してしまったのです。今だとあまり考えられないことですが、私は私で使い始めてしまったので、どうしたものかなと思いつつ、その後に立ち上がった島田雅彦さんの新たなサイトを見つけた際に、お詫びというか、顛末のご報告のようなメッセージを入れた記憶があります。

僧侶になりたて、MovableTypeをインストールしたばかりの頃、私が仏門を叩くといって光明寺の門を叩くことになったきっかけをくれた、大学の同級生だった小池龍之介さんも僧侶だったので、本当に最初の最初、ウェブサイトには「彼岸通信」という名前がついている時期がありました。コンテンツもそれぞれが持ち寄るような形で始まりかけたのですが、だんだんとそれぞれの動き方が出てきて、別の流れになっていきました。ドメインはそのままながら、区切りをつける意味でも、名前を少し変えようとなり、「読み物というだけでなく、いずれ、コミュニティになったら面白いな」と考えたのでしょう、「寺」という語がつきました。

とはいえ、いきなりコミュニティになる訳ではなく、最初は一人の「お寺の中の人」の発信ブログでした。今となっては若気の至りでしかない、自分勝手で一方的な視点の内容も多かったと思いますが、その当時の自分なりに感じた日々の気づきやモヤモヤを、毎日のようにブログ記事に綴って行ったものが出版社の目に止まり、書籍になったのが私の最初の本である『おぼうさん、はじめました。』(ダイヤモンド社)でした。まだ、僧侶になる前の木原さん(現 神谷町光明寺 僧侶 木原祐健さん)に相談して、名付けてもらったように記憶しています。

コンテンツとして特徴的だったのは、「ライフスライス」という首からかける定点観測カメラの写真とともに、日記を書いていたことでしょうか。僧侶の視点に映るのはどんな景色なのか、首から下げた小さなカメラが10分毎にシャッターを自動で切って、その写真が連続でアップされるという仕組みです。その頃、誰もそんなことをやっている僧侶はいなかったので、案外咎められることもなく、伝道院と呼ばれる京都・西本願寺の布教使養成課程の様子もどんどん発信していましたね。そうした情報が後に「私が僧侶になる時に役立ちました」と言ってもらえることもありました。

さて、その後、彼岸寺は、「寺」と名付けられたことによって、複数著者によるコミュニティ化が進んでいきます。その背景には、光明寺をステージにしたお寺の音楽会「誰そ彼」というイベントや、光明寺に開かれた「お寺カフェ・神谷町オープンテラス」という場所の存在も、大きかったと思います。私の振り返りは、ひとまずここまで、彼岸寺の最初の最初、自分しか語れなさそうなところで止めて、バトンをわたします。

彼岸寺の20周年は、私自身の僧侶歴の20周年でもあります。乾杯!

掃除ひじり。良き習慣づくりの道場、お寺でお坊さんと一緒にお参り・掃除・お話から一日を始めるテンプルモーニング。noteマガジン「松本紹圭の方丈庵」・ポッドキャスト「テンプルモーニングラジオ」・満月と新月の夜に開くオンライン対話の会「Temple」 #未来の住職塾 #postreligion #templemorning https://twitter.com/shoukeim https://note.com/shoukei/m/m695592d963b1