変化する時代と彼岸寺と

彼岸寺の20周年、誠におめでとうございます。

浅草にある緑泉寺という浄土真宗東本願寺派の寺の住職をしている青江覚峰と申します。2003年に松本圭介さんと彼岸寺を立ち上げてから10年以上運営に関わっていましたが、その中でもとりわけ印象深かったものをいくつか記していこうと思います。

まず、お寺の音楽会「誰そ彼」です。こちらは不定期ながら、当時と同じ神谷町・光明寺で今も行われている企画です。
https://www.taso.jp/event

「お寺の本堂で音楽を聞いたら絶対面白い!」そんな声が同世代の友人から聞こえてきて始まったこの企画で、私は料理をお出ししていました。

音楽と音楽の合間、インターバルのタイミングでテラスに出てきたお客様に精進ずしやカレーをなどを振る舞いながら、様々な方と出会いお話ししたのが楽しい思い出です。

この誰そ彼がとくに心に残っているのは、「お寺で音楽という自由な空間」を楽しみにしている人がこんなにも多いことを目の当たりにしたからです。その経験から、自分もいろいろなことをやっていきたい! と思うようになりました。

誰そ彼のような不定期開催ではなく定期的に人と繋がりたいという声から始まったのが「神谷町オープンテラス」で、こちらも今も続いている企画です。

地域の人々が気軽に自由に立ち寄って寛げる場にしたいという思いから「光明寺オープンカフェ」ではなく「神谷町オープンテラス」と名付けたことが象徴的だと自負しているのですが、利用者の声に応えるかたちでまずお茶の提供が始まり、お菓子の提供が始まり、お坊さんへの相談コーナーができたりと、そこに集まる方の思いによって場が育っていった様子がとても心に残っています。

設立の際には本当に多くの方が関わってくださり、企画を考えたり、レシピを作ったり、器やコーヒーを選んだりと、手探りで場を作っていったのが良い思い出です。この神谷町オープンテラスがご縁となって木原さんが得度したのも感慨深いものです。

さて、このふたつは神谷町・光明寺という大都会にあるお寺が中心になった企画ですが、他のお寺でもできることを考えようと作ったのが「暗闇ごはん」です。

薄暗闇の中アイマスクを着け、目の前にあるものを見ることができない状態で食事をとるというもので、2009年の立ち上げから14年、国内外を問わず多くの方に体験していただきました。コロナ禍を経て開催スタイルに工夫を加え上がら、現在は大阪万博のプレイベントに導入されたり、大手企業の研修に用いられるなどしています。
https://panasonic.co.jp/ew2/pewbct/blog/seminar/2023/03/post-79.php

この他にも大小合わせ数多の企画を作ってましたが、10年ほど前に「諸行無常」という記事をもって彼岸寺を引退しました。

けれど、関わってきた多くの企画は私が退いた後の10年を経てた今も続いています。そのことが本当に嬉しく、この先も10年、20年と続いてくのだと想像すると頼もしい気持ちになるものです。

「10年ひと昔」とはよく言ったもので、10年経てば世の中も大きく変化します。

彼岸寺が始まった2003年、世の中にはiPhoneのようないわゆるスマートフォンというものはありませんでした。しかしその10年後である2013年には普及率が格段に高まっており、スポーツの試合や大きなニュースなの際には、多くの人がスマホでその決定的瞬間を写真に収めようという時代になりました。

さらにその10年後にあたる今年、2023年はちょうどコロナ禍が明けた年です。常にマスクを着け人との触れ合いを避けるという異常事態から抜け出すタイミングです。コロナ禍が明けたからといってコロナ禍の前と同じ状態に戻ることはありません。ここから世の中がどう変化していくのかは未知数です。

往々にしてお寺というのは長い歴史があるもので、それこそ1,000年を超えるようなお寺もあれば、800年、400年というところもあります。

しかし、どんなものもずっと遡っていけば、はじめの1年目、2年目から始まって10年、20年と続き、ようやく100年、数百年へと続きます。その間には、当たり前のことながらたくさんの世代交代があり、時代が変われば時代に合わせて変わっていく努力が求められます。長い歴史があるということは絶えず変化を続けてきた証であり、それだけの変化を続けながらも旨とする軸を見失わずにきたことの証でもあります。

どんな時代でも変わらない、人としての基軸を探求する場がお寺です。宗派や僧籍の有無などにこだわらず、集まった人々の思いで育っていく「お寺」としての彼岸寺にこれからも期待しています。

20周年誠におめでとうございます。

彼岸寺は、仏教とあなたのご縁を結ぶ、インターネット上のお寺です。 誰もが、一人ひとりの仏教をのびのびと語り、共有できる、そんなお寺です。