バンコクの僧院で脳が壊れ、日本で身体を取り戻していく

3年に及んだタイのバンコクでの僧院生活を終えて、日本に帰国したのが2014年6月のことであります。現在は2023年ですので、早くも約10年もの歳月が流れようとしています。

その間には、世界全体を混乱の極みに叩き落としたコロナウイルスの一連のパニック騒動があり、完全でないとはいえ何とか回復をして、これから平常な日々をやっと戻れそうな見通しが立つまでに回復してきています。

皆さま、本当に大変な日々でありましたね。お疲れさまでした。

私の方といえば、先日念願であったバンコクに行くことが叶い、やっと旅の自由を楽しむまでになっております。そしてこのコロナ禍を経験した今に至り、バンコクでの僧院生活を含めて過去に自分に何が起こり、そして今の自分が何故あるのかを振り返る余裕が出てきたようであります。

簡単にではありますが、ここに自分の心境を書き記しておきたいと思います。

2011年 「タイ国開教留学僧」 としてバンコクへ行くも……

私は高野山金剛峯寺の「タイ国開教留学僧」の制度を利用して、バンコクのお寺に派遣されたのは2011年のことでした。

それまでは大学院で研究者の端くれをしておりました。毎日大学院の研究室に行っては、たくさんの論文を読み込んで、当時取り組んでいた自分だけにしか書けないオリジナルかつ小難しい研究論文を執筆しておりました。日々難解な事象について頭の中で考えているからか、時には脳の中がしっちゃかめっちゃかになってノイローゼのような錯乱した精神状態に陥ってしまうこともありました。大学院生活のほとんどの日々を、文字と言語だけを追うことに没頭していたと言っても過言ではありません。

そうやって、くる日もくる日も文章を読んで脳に記憶させて、情報を頭の中に膨大に増やし続けることこそが、仏教や宗教をよりよく理解することにつながるんだと本気で思っておりました。

この頭中心の思考パターンは、タイに渡って上座仏教のお坊さん(テーラワーダ僧)になってからもしばらくは変わりませんでした。タイ語を勉強して、パーリ語のお経を出来うるかぎり暗記をして、しかも日本から持ち込んでいた論文の課題までも合間に取り組んでおりました。

そんな頭を使って考えに考えていた日々を送っていたタイの僧院生活も3年目を迎えた頃のことです。確か2013年のことでした。負荷をかけ続けた結果、自分の脳が壊れたような気がしました。ある日突然、自分の考えがまとまらなくなってしまったのです。

何やら恐怖が入り混じったネガティブな思考がこびりついて、頭の中を四六時中グルグルと回るようになりました。オプションとして夜まで眠れなくなってしまいました。先ほど脳が壊れたと言いましたが、もちろん自分の脳の一部が欠損したわけではありません。たぶん自律神経に不具合をきたしたというのが、本当のことだったのでしょう。ともかく私は何か思考することそのものが億劫になりました。そしてその日一日を何とかやり過ごすことだけで精一杯の精神状態にまでなってしまったのです。

高野山から派遣された任期はまだ一年残っておりましたので、途中で逃げ帰るわけにはいきません。日常生活を何とか立て直そうと藁をもすがる思いであれやこれやと解決策を見出そうと試みました。病院の精神科に行って向精神薬をもらってもダメ、日本から取り寄せた自己啓発本を読んでもダメ、般若心経を写経して状況を打開しようと試みてもダメでした。

絶望の淵に追いやられそうな気配が漂い始めたそんな時、バンコクの有名な大学で瞑想とヨーガを教えている先生を知人を介して紹介されて出会うことができました。

週3回ほど先生の研究室に通い、瞑想とヨーガを習いました。この時ばかりは我がメンタルはギリギリまで追い詰められていたので、お寺の僧坊に戻ってからも真面目に朝晩の反復練習を怠りませんでした。それで3ヶ月も継続したことでしょうか、何とか日々の日常を無事に過ごせるようになってきました。合わせてだんだんと眠れるようになってきました。翌年には単独でインド旅行も行けるほどに回復しました。

このことから、情報というものは自分のキャパシティーを越えて過剰にインプットし続けると、おのれのこころをも壊してしまう力をもっていて、とても気をつけなければならないことを理解しました。少しでも頭が良くなるように努力することよりも、日々自分の身体の感覚を繊細に感じとって、大切にケアしてあげないといけないんだと思い知ったのであります。

帰国し、仏教文化が溶け合った日本の風土を再発見する

タイの僧院生活を終えて日本に帰国してみると、自分の中の価値観やものの見方がガラリと変わっていました。

頭ばかり使う学術の世界から少し距離をとって、日本という国の風土をもっと知ろうと思い立ちました。それで、日本各地にある真言宗のお寺で短期で働かせてもらったり、お参りをしてまわりました。

関西をはじめ中国地方や四国、そして九州といったそれぞれの土地には、お寺や神社を中心として伝統的かつ個性的な仏教文化が多様なかたちで残っています。一見当たり前としか聞こえないこの現象は、常識として頭では理解していたつもりでいましたが、実際にその場に足を運んでみると、その感動は頭で知る情報とはまったく異なっていました。

それぞれのお寺の境内には四季折々の花々が咲き乱れており、その豊かな生態系の美しさが私の心を魅了します。瑞々しい自然と長年にわたって脈々と引き継がれてきた仏教文化が溶け合った美しい日本の風土を見出せるようになった感受性が、タイから帰ってきて育まれてきたのです。

そうやって過去の経験を思い返してみると、ネット等で時事刻々と変化し続ける新しい情報に振り回されるのは、そろそろ終わりにしたいものだなあと感じます。

それよりも日本の土地に根付く繊細で美しい風土を感じ取る感受性こそ取り戻すことが、これからの日本を生き延びてゆくための最重要課題なのではないでしょうか?

それは次世代を担う日本の若手のお坊さんたちにも当てはまります。

急激な少子高齢化や過疎化が進んで、仏教のお寺の存続が危うくなり、先行きが不透明な時代です。だから何でも手当たり次第目新しいものに飛びつくのではなく、むしろ仏教各宗派に1000年以上の長きにわたって脈々と引き継がれてきた祈りを地道に実践して力を蓄えていくことこそが、不確かな日本社会を生きる人々に必要とされるお寺の在り方へと繋がるのではないでしょうか?

今、私はそんなことを考えております。

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