小林玄徹和尚(高知県・まきでら長谷寺)にとっての仏像とは?(後編)

ようこそ!造佛所のえんがわへ。

ここでは、「あなたにとって仏像とは?」という質問を彫刻刀に、対話で仏像を浮き彫りにしていこう、そんな試みをしています。

造仏の工程でいえば、まだまだ「荒彫り」の段階です。お像のお姿が決まる山場といったところ。少しずつお姿が見えてきたような見えないような……ですが、どんどん行きたいと思います!

前回に引き続き、まきでら長谷寺(ちょうこくじ)の小林玄徹(げんてつ)和尚にお話を伺います。

前編では、仏像修復がきっかけで消滅集落に子供・孫世代が法要にいらっしゃるようになったエピソードを初め、仏像と関わり始めた雲水時代から現在までのお話を伺いました。

後編では、改めて「玄徹和尚にとって仏像とは?」に迫っていきます。

ご本尊クラスのお像が集まってきた観音堂

玄徹:お茶を淹れなおしますね。

吉田:あぁ、ありがとうございます(美味しい…)。ところで、こちらは臨済宗ですが仏像が多いですね。

玄徹::もともとは天台系のお寺で禅寺ではなかったんですよ。ここも含めて他の臨済宗のお寺では、基本的に禅堂には文殊さんが祀られていますが、場合によっては達磨さんが祀られていますね。本堂やご本尊さんとかはお寺さんによって色々です。ただ、ここまでお像(の員数)のあるところはあまりないんじゃないでしょうか。

吉田:十一面観音様に千手観音様、お地蔵様、その他にもたくさん…それぞれご本尊としてお祀りされてもおかしくない御像ばかりですよね。

玄徹:そうですね。何かしらの事情でこのお寺に集まったんでしょう。傷みが心苦しいですけども。

吉田:ボロボロになるまで守られてきたことが尊いと思います。時間を積み重ねた古さが荘厳になって……。この御像はどんな歴史の移り変わりを見てきたのだろうと想像が掻き立てられますし、ずっと拝んでいたくなります。

玄徹:昔と違って、今はなかなか見ていただく機会もないのが残念ですね。わざわざ山を登ってこないといけない。

吉田:暮らしが変わって人の流れも変わりましたものね。ただ、「わざわざくるから余計にありがたい、功徳がある」という考え方もあります。行きにくいところにあるお寺や神社ってご神気というか霊気みたいなものが保たれていていいという人って結構いらして。

確かにここは、独特の空気感がありますよね。呼吸が深くなるというか、心が透明になっていくような。そういう空気にいろんな人に触れて欲しいなと思います。

玄徹:この間、蓮沼良直さん…臨済宗黄檗宗連合各派合議所の役員、南禅寺の宗務総長をされている方なんですけど、わざわざここまで来てくださって、本当に感激されていましてね。「本当のお寺や」と、ありがたいお言葉をちょうだいしました。

吉田:極楽とか桃源郷だとおっしゃる方もいますね。やはり、そういう場所はお守りしていきたいと理屈なく思います。

書院前の景色

玄徹和尚にとっての仏像とは?

吉田:ここまでお話を聞いていて、玄徹和尚にとって「どうにかしないと」という気持ちに動かされて来られたエピソードが多い印象を受けておりますが、改めて玄徹さんにとって仏像とはどんな存在でしょうか。

玄徹:そうですね……。禅宗って結構荒っぽい宗派でね、唐の時代の話で、寒くてご本尊さんを火にくべて暖をとったという「丹霞焼仏(たんかしょうぶつ)」というのがあります。

仏像を燃やした丹霞というお坊さんは「そんな仏さん燃やして罰当たりな!」って言われたんですけど、「それじゃ骨を拾ってやろう」なんて返すんです。当然仏舎利なんて出て来ませんから「こんなもののどこがありがたいんじゃ」と言った、というエピソードがあるんだけども(笑)。私にとってはやっぱり見守ってくださる存在ですね。

常に柔らかい雰囲気の和尚さん

手を合わせる対象がないと、しょっちゅう手を合わせているわけにもいかんし(笑)。本当は森羅万象すべてが尊いんですけど、そのシンボル的な存在です。

そうそう、檀家さんたちは、本堂の中にどんな仏像が入っているかをほとんど知らないんです。仁王さんだけは、いつも見えるし「子供の頃怖かった」っていう印象があるんですけど、本堂の仏さんは格子戸から見てもほとんどわからないんです。だから、出来るだけ、お参りに来てくれた人に中に入って見ていただきたいと思います。「何がおわすか知らねども」じゃなく…ね。

人がきていただけるというのがありがたいと本当に思いますね。10〜20年後を考えると、山に永住する人が何組かあったら……さぁ面白い展開になるでしょうけどね。

吉田:実際に今、高知では山の方に人が動きつつありますよね。沿岸部からどんどん山の方に家を建てたり会社や学校を移動したり。山のくらしが見直されたり。山間地域がまた盛り上がっていくような流れになれば面白いですね。

玄徹さんが描いている未来を私も覗いてみたいんですが、こちらの仏像を修復していく先に、どんな未来がくるといいなと思われますか?

玄徹:そうやねぇ。ここは観光寺ではありませんが、山に上がってきていただいて、少しだけでも身を置いて心が洗われたっていう場所になるといいですね。静かな気持ちの良い場所を提供したいです。ここから見る景色も絶景なんですよ。

玄徹和尚の奥様:留守番していると、時々誰かが上がっていらっしゃるんです。鐘をつく音が聞こえたり、いつの間にかお賽銭が入っていたり。庫裡から出てお話をしてみると、景色を見たいとか、お参りしたいとか、地元の人におすすめされて、とか理由は様々です。

平成21年に再建された鐘楼(梵鐘は室町時代のもので、昭和60年高知県保護有形文化財に指定)

吉田:そういう感じでわざわざきてくださる人もいらっしゃるんですよね。修復がスタートしたら、檀家さんだけじゃなく、そういう人にもぜひ修復の様子をご覧いただけたらと思います。

玄徹:そうですね。

吉田:それについて、お寺さんのご意見を伺いたいんですけど、仏像修復の工程を見せないほうがいいんじゃないかという意見もあるんです。仏像の制作途中、修復途中はある種生々しくて有難いイメージが損なわれると。それも分かるんですが、私はどちらかというと共有したほうがいいのではないかという立場なんです。玄徹さんはいかがですか?

造仏・修復の過程は見せる時代?

玄徹:私は見たいし見ていただきたいと思いますね。いきなり完成品っていうのではなく、これだけ手間暇かかっているっていうのを分かち合いたいです。

吉田:以前、弊所(よしだ造佛所)に手伝いにきてくださった人から、台座の裏を見て「ちょっと冷める」という反応があって。「作り物なんだな」と。他にも「舞台裏を見せないほうが神秘性をキープできるんじゃないか」という意見をいただいたこともあります。

もちろん、途中経過を知ることで、拝観するときにより深く感じられるようになった、と言った好意的な意見もありますので、人それぞれでしょうけど、現代はこういうこと(制作・修復過程)も分かち合って、一緒に守っていく時代かなと思っていて。

玄徹:私もそう思います。

先代の頃からお寺で使われている火鉢

吉田:仏像を”見る”ということについて、飯泉太子宗さんの「仏像のお医者さん:誰も知らない仏像修復のウラ話」という本にあったエピソードを思い出しました。盗難されて戻ってきた仏像の話です。檀家さんたちは恐れ多くて見たことがなかったというお像だったんだそうですが、一人だけ「目が潰れてもいいから拝みたい」という人がいて、思い切って見た方がいらしたんだそうです。それで、いざ盗難にあったとき、誰も仏像について説明できなかったんですけど、唯一見たその人が証言ができて被害届が受理されたんですって。(飯泉太子宗 著『仏像のお医者さん:誰も知らない仏像修復のウラ話』PHP文庫,2014,p.123~124)

畏怖の念は大事ですけど、それが強すぎて「見れない、触れない」となると、どんどん朽ちてしまったり犯罪に巻き込まれたり……という弊害もありますね。今は、見守ってくださっているという畏れ多い気持ちも大事にしつつ、親しんでもらうというのがいいかもしれませんね。

玄徹:そっちのほうが大事やね。

吉田:そういう時代になってきたんですね。

仏像が繋いだ一縷の望み

吉田:消滅集落のお堂の話に戻るんですが、「集落は消えたけど、手を合わせる場所とお像は残った」というのは、すごいことだとずっと思っていて。言語化できないんですけど、なんというかとても明るい気持ちになったんです。

玄徹:あそこは、住人として最後に残った男性が細々とお祀りされていて、出ていった人たちは「残った人がやっていたらいい」という感じでほとんどノータッチだったんです。最後の1、2年くらいで急に「引き継がんといかん」という動きがでてきて、私も一緒にお祈りし始めて。

ギリギリでバトンタッチできたんやけども、それからです。出て行った人たちが中心になっていろんな人に声かけして、仏像を修復しようとなった。消える直前でうまく引き継ぎができた例ですね。

吉田:集落は元の形に戻るということは難しいでしょうけど、

玄徹:まず無理でしょうね。でも若い世代が赤ちゃんを連れてきてくれて、あそこで皆でお経をあげて祈れたっていうのはね……。一縷ののぞみが繋がったなと思います。私たちも頑張って続けていかんといかんとねと思いました。

吉田:どうしてそういう話を聞くと救われる気がするんでしょう。希望を感じますね。

玄徹:そう。仏像修復がきっかけでそんな流れができたのは嬉しいですね。

吉田:そうですね!今日はどうもありがとうございました。

玄徹:これからどうぞよろしくお願いします。…あの、遅くなりましたし、皆さん一緒に晩御飯をいかがですか?

吉田:わ、いつの間にか外が暗いですね。お言葉に甘えさせていただいてよろしいでしょうか。

玄徹:ありあわせで作ったものですけど、良かったらどうぞ。

お麩やお揚げ、和尚がつけたお漬物、川に自生しているクレソンなどで薬石

吉田:いただきます!

まとめ

玄徹和尚のお話、いかがでしたか?

仏像は、自身を見守ってくれる存在という玄徹和尚。

そんな玄徹和尚のディレクションでお像が修復され、それがきっかけで若い世代が自分のルーツの土地に来るようになったり、文化財関係者や職人、檀信徒が横断的につながりをもつようになったりする様子に、「つなぐ」というキーワードが浮かんできました。

それは、人と人をつなぐ、土地の信仰を未来へつなぐ、バトンとしての仏像の姿でもあります。

また、お寺の書院でお話を伺う間、玄徹和尚が出家するきっかけとなった山本玄峰老師、その直弟子で強く玄徹青年を感化した増井玄忠老師が、私たちの対話にじっと耳を傾け、見守ってくださっているような、そんな気がしてなりませんでした。

仏像を介して繋がる様々な縁に生かされているんだと、温かな余韻が残っています。

次回は、石鎚山真言宗・光昌寺(愛媛県西条市)の住職、武田法龍氏を訪ねます。板前から出家に至った不思議なエピソードを含め、「あなたにとって仏像とは?」を訊ねていきます。

ぜひまた「造佛所のえんがわ」に遊びにきてください!

小林玄徹 住職 プロフィール
まきでら長谷寺・吸江寺(高知県)の住職。京都出身。高校時代に自然農法家の福岡正信氏の影響で百姓を志し、卒業後高知へ移住。香美市物部で百姓をしているときに山本玄峰老師の著作を通して禅の世界を知る。玄峰老師の直弟子であった護国寺の増井玄忠老師に出会って感銘を受け、30歳で出家、高知県下の複数の寺院の住職を経て現在に至る。2017年高知県立歴史民俗博物館にて「今を生きる禅文化」、2019年同館にて「吸江寺展」に特別協力。典座の経験から、精進料理のイベントも好評。

まきでら長谷寺ウェブサイト https://makidera.jp/

よしだ造佛所運営。四国で生まれ、お坊さんや牧師さんに説法をねだる子供時代を過ごす。看護師/秘書を経て、結婚を機に仏像制作・修復の世界へ。2017年に東京から高知へUターンし、今日も四国のかたすみで奮闘中。文化財保存修復学会会員。趣味は弓道、龍笛。