【お掃除インタビュー】〜「どうぞご自由にお掃除ください。」と看板を立てたお寺/横浜・妙法寺

横浜にすごいお寺がある!
毎週日曜日、Temple Morningを30年続けていて、
「お掃除ご自由に」もすでに実践!
これはアンバサダー、行くしかない!

こんにちは。
東京の神谷町にある浄土真宗のお寺・光明寺で、平日の早朝、月に2回ほど僧侶の松本紹圭さんが開催する「Temple Morning(テンプル・モーニング)」に参加しています。
「一般人」のユミです。

2019年2月8日(金)で開催39回を数えた「お寺の朝掃除の会」に皆勤賞で参加していたら、「Temple Morningアンバサダー」というお役目をいただき、こうしてレポや日誌を書いているのですが、ある日、松本さんから心が浮き立つようなご連絡をいただいたのです。

添えられた写真には、竹箒と「どうぞご自由にお掃除ください。~妙法寺 住職」と書かれた看板が。

神奈川県横浜市の戸塚にあるそのお寺「日蓮宗 宗門史跡 妙法寺」のご住職・久住謙昭(くすみ・けんしょう)さんに、お話をうかがってきました。

 

◼︎実は、あんまりこのお寺を掃除したことがないんです

久住:
松本さんが始められたのは横文字のTemple Morningですけども、うちのお寺はそもそも30年以上前からTemple Morningの状態だったんです。毎週日曜日の朝6時に、多い時には15人ぐらい集まってお経を読んで、そのあとお茶をして、本堂や客殿の掃除とか庭の掃除をしてもらって、みんなで朝ごはんを食べて解散っていう会を、僕が物心ついた時には始まってたんで、もう35年ぐらいやってると思うんですよね。

だから実は僕、このお寺をあんまり掃除したことがないんです(笑)
なので今日はユミさんが来るから、ちょっと庭を掃かないでねって。

——そう、落ち葉がいっぱいあるなって(笑)ワクワクしながら階段登って。

久住:
だから。とっといたの(笑)

——先代のご住職だったお父様は、どんなきっかけで始められたんですか。

久住:
聞いたことはなかったけれど…
うちは土曜・日曜の朝、お経読んだ後に掃除をしてたんです。だいたい法事って土日が多いので…キレイな境内やお堂で法事を営みたいじゃないですか。で、朝のお経をあげにきた檀家さんが「手伝いますよ」みたいな感じで始まったようです。〝心が整う〟みたいなことは思ってなかったのかもしれないですね。

 

◼︎「なんかスッキリしました。明日から頑張ろうと思います」

久住:
「どうぞご自由にお掃除ください」っていう看板を出させてもらったきっかけは、朝のお掃除の会に急に来なくなっちゃった方がいて…しばらく経って「ご住職、相談があるんです」って来られた時。仕事や家族の問題とか色々お話しをされて、最後「ちょっと掃除してっていいですか」って掃除を始めて、「なんかスッキリしました。明日から頑張ろうと思います」って帰っていったんです。

「掃除してっていいですか」って言われてちょっと驚いたんだけど、無心で掃除してるその姿を見た時、掃除するっていいなって思ったんです。みんなでするのもいいけど黙々と一人、それこそ坐禅をするかのように掃除するのもいいのかな…と。

——その方はそれからも、ふらっと一人で来られたり。

久住:
ふらっと。檀家さんだからピンポーンって押して「掃除道具借りていいですか」って声かけて、掃除して帰っていく。でもそれは檀家さんじゃない人には結構ハードル高いじゃないですか。だからじゃあどうぞ、誰でもここで勝手に掃除してってくださいっていう看板を出すようになったんですけど。ま〜そんなにはいませんけどね。

——でも全然関係なく立ち寄られる方が多少は…?

久住:
多少はいらっしゃいます。あ、やってる!っていう(笑)

——偶然、通りかかってとか。

久住:
ウォーキングしてる人とか。御朱印を書いてる間とか。
昨日は僕のところに相談に来られた人を、前のお客さんが長引いてしまって、ちょっとお待たせしちゃったんだけど、外で待ってるのかなと思ったら掃除してました(笑)「待ってるだけでもなんだったんで、掃除してました」って。「いいですね、掃除」みたいな感じで。

お寺の庭の掃除をすることで自分の心も落ち葉と一緒に掃き清められる。この爽快感をみんなに味わってもらうのはいいなと、あらためて思いました。

 

◼︎修行時代の「掃除は戦い」!?

久住:
日蓮宗の中では「掃除」への教義とか作法とか、そういうものはほとんど無いと思います。僕は中学を卒業して、先代住職の車に乗せられて、日蓮宗の総本山・身延山に連れて行かれ、ここで6年修行しなさいって(笑)高校、短期大学時代の6年間、その身延山久遠寺の「在院生」っていう僧堂で寮生活を送ったんです。

いわば、お坊さんの訓練校みたいなところなんですけど、1年生の時は、ほぼお経も教えてもらえませんでした。1年間ずーーーーーっと掃除ばっかり。もちろんトイレも素手で便器の下の方まで洗うの。

修行時代は「給仕第一」って教えられるんです。仏様や日蓮聖人の像にご飯をお供えしますよね。

——あ、はい。

久住:
お供えするけど、実際には食べないんだよ?(笑)
食べないんだけど、仏様にお供えするし掃除もするしお経もあげる。お釈迦様や日蓮聖人に対して、本当に生きている方のようにお給仕をするっていうことを修行時代は徹底的に教え込まれる。一生懸命お給仕をしながら自分自身を高めていく。

これから掃除ですよ~!って板木(ばんぎ)の合図があると、もう、学僧たちみんな、とてつもない勢いで走って登場するみたいな感じでした。そこには、たとえば「心清らかに」みたいなロジックなんかなかったです。掃除は戦いでした。

——「戦い」…一般人の方が、お掃除にポジティブなイメージ持ってるのかも(笑)

久住:
掃除っていうのは心の塵や垢みたいなのを払う要素があるんだなっていうのは、最近あらためて感じますね。

——最近なんですね。

久住:
日蓮宗では「荒行堂」っていう修行に入ると、11月1日から2月10日まで100日の間、午前3時、6時、9時、12時、午後3時、6時、夜11時、計7回の水行があって、水をかぶって身体を清めるんです。食事は朝と晩の2回、お粥とお味噌汁だけで食べるのもあっという間。水行・食事・写経以外の時間はずーーっとお経あげ続けてる。

100日間、お経の声と木柾(もくしょう)の音が止まることはないんです。で、そこで「空腹・眠気・寒さ・正座している足の痛さ」っていうギリギリの極限状態に至って、初めて得られるものがある修行なんです。

身延山の掃除も厳しい荒行も、当時は目の前のことをこなすだけで精一杯だったから、掃除の意味とかお粥の意味なんてあんまり理解してなかった。でも、修行が終わってから何年か経って初めて、掃除に取り組む姿勢や、荒行の修行の意味や深みが、ひとつひとつわかってきたりする。

やっぱり修行って時間をかけて身につけるものなんだな〜って、感じます。 

 

◼︎好きなように掃除して、帰る人は帰る。そのスタンスは仏教らしいかなと

久住:
この写真は、年に2回ぐらいみんなでやる大掃除。でも普段もこんな感じで掃除してます。
最初に40分ぐらいお経読んで、15分ぐらいお茶して。たまに「どこどこに旅行に行って来たんだよ〜」みたいなお土産のせんべいとかをみんなで食べながらね。で、じゃあお掃除しようかって本堂から客殿から、やってくれるわけですね。

——お掃除が終わるのは?

久住:
「朝ごはんできたよー!」(笑)って。
声かけないとエンドレスなので…だいたいのところでもういいんじゃない、ごはんできたよーって。みんなで朝ごはんたべて、で終わり。そんな感じです。

——普段のお掃除の会はどんな方たちがいらっしゃるんですか。

久住:
この間の日曜日に3人来たんだけど、一人は檀家さんで信仰心の篤いおじいさん。この人ね、掃除やりすぎて、一回崖から落ちたの。

——ええ!?ここのお寺でですか?

久住:
本堂の裏に崖があるんだけど、掃除してる最中にガラガラって落ちて、偶然、木に引っかかったおかげでケガしないで済んだの。だからもう「85歳になってまで掃除しなくていいよ」って止めるんだけど「やらしてくれ、やらないと寂しい」って。これは仏道修行だ、奉仕するご利益で亡くなったあとに仏様の世界に行けるんじゃないか、っていう思いを持っていつも掃除してる。

もう一人は、別に信仰はしてないし檀家でもないけど、掃除したら自分もなんだかキレイになったように思う、っていうおじさん。その上、みんなが気持ちよくお参りできるキレイな環境を自分が施せて嬉しい、みたいなスタンス。

——でもそのおじさんは仏教を信仰してるわけじゃない?

久住:
わけじゃない。

——それは、お坊さんから見て不思議だったりします?仏教を信仰してるわけでもないのに、お寺キレイにして気持ちがよくなってる。

久住:
うーん…松本さんも最近言ってるけど、信仰っていう言葉をもうあんまり使いたくないかなっていう。信仰じゃないかどうかは自分で決めたらいいんじゃないかな。

そのおじさん、檀家でもないし「自分は信仰してるつもりはない」って言うんだけど、毎週日曜日お寺に来てお参りして、掃除して、最後みんなで朝ごはん食べて、スッキリして帰っていく。それでも自分は信仰してるって思ってない。信仰者じゃないって言うんだから、そこを強制するのはすごくヤダなって思うんだ。

好きなように来て、好きなように掃除して、帰る人は帰っていいし、やれる人はやってもいいし。そのスタンスは仏教らしいかなと。

——私も、飄々と現れ、飄々と掃除して、飄々と去っていくのがTemple Morningの理想なんです。

久住:
ね。

——それは仏教的とも言える?

久住:
まあ、それは僕的なのかもしれないけど。来るものは拒まず去るものは追わず。それもご縁かなと思うんだけどね。「あなたは今日から妙法寺の信仰者ですから、毎週日曜日に来てお経あげて掃除をしてお布施をしなさい」みたいになると、ちょっとカルトっぽくないですか?

——うん。それを言われるのが一番怖い。

久住:
怖いでしょ。そういうことをせずとも、来る人はくるし。妙法寺ではね。


◼︎信仰を問われない、第3の居場所としてのお寺

久住:
神谷町の光明寺さんで、松本さんはどんなふうに?

——7時半から、20分ぐらい正信偈を読んで。20分掃除をして、そのあと松本さんの近況報告や法話から始まって、みんなで20分間お茶をいただきながらお話しして。8時半頃にぱっと終わります。

久住:
なるほど。光明寺のTemple Morningとうちのお寺では、まず場所が全然違うと思うんです。光明寺さんはオフィス街だし、出社する前に心をキレイにしてなんかこう一日清らかにいきましょう、みたいな感じなのかな?

でもここは昔から周りが農家の檀家さんだったり、住宅街だったり。結果的に心が清くなるのは同じだけど、入り口はお寺に奉仕をするためという、昔ながらの感じなのかな〜って思います。なんかこう、仏様にお仕えする、給仕をするっていうことで…「利他行」っていう、誰かのために生きることによって自らの心を穏やかにしていく、「菩薩行」のためにみんな来てるんだろうなというイメ—ジはあります。

——入り口は、自分じゃなくて誰かのために生きてみる、こと。

久住:
そう。あと一人、奥さんを亡くされた方がいて。男一人だからどんどん部屋が荒れていくんだよね。そんな時に、お寺の掃除をするようになって、結果、自分の家もキレイになった。で、結局心も整うようになったっていうおじさん。

それでね、朝ごはん終わってもみんな帰らないのよ(笑)ここで知り合った人たちに会いに来てるっていうのもあるのかもしれない。だって家で独りでしょ。だから日曜日の朝はみんなでご飯食べて。みんなで掃除をしながらコミュニティを楽しみに来てるっていう感じもあるかもしれません。

今ほら、学校や仕事場じゃないサードプレイス——3番目の居場所、みたいなのよく言われるじゃないですか。確かにお寺も3番目の居場所かなっていう感じですね。

——それはあえて、これから3番目の居場所を作っていこうみたいな感じじゃなくて。集まってくる人が勝手に3番目の居場所にしてるみたいな。

久住:
っていう感じの方が良くないですか?

——していいんだなって思えたらすごくいいなって。

久住:
「ここはあなたにとって3番目の居場所」って言われた瞬間、引かない?(笑)
3番目の居場所にするかどうかは僕決めますから。それ、あなたに言われることじゃないです、みたいなとこはあるかなと思って。

——ただ「このお寺は3番目の居場所にしていいですよ」って、アナウンスはあるといいな…。入っていいお寺、入っちゃいけないお寺がまずわからないし、信仰心がなくてぷらっと来た者は、御本尊へどう挨拶するのか、しなくても失礼じゃないのか、そこら辺もわからないんです。

久住:
でも「信仰心」ていう言葉がイマイチふわっとしてるし、「信仰心」は宗派によっても違うと思うんで。「何をもって信仰となすか」は曖昧な言葉で定義できないし。それはその人自身に任せてるから。自分を信仰者だと思えば信仰者だろうし、すごく信仰してるように見えてるんだけど、信仰者じゃないって言うんであれば、ない、でいいんじゃないかな。

——そういえば以前インタビュー記事で、学校ですごく勉強したけど、信仰心だけは芽生えなかったっておっしゃってましたね。

久住:
そう、芽生えなかった。今、僕自身が持ってる「確固たる信仰心」が芽生えたのは、僧侶として現場に出て何年もしてから。長い時間、辛い経験とか悲しい経験とか悔しい経験とかをしてきて、そこでやっと信仰というか、仏教や日蓮聖人の教えに救われたというか、理解できるようになった感じです。

仏教や信仰を理解するうえで必要なものはなんですか?って聞かれたら、人生の中で苦しみとか悲しみとか、辛いこととか。そういうことがないと、仏教ってわからない…とは言わないものの、深みみたいなものはわからないかなって思う。

だって僕、6年間修行して、身延山大学出てからもう一回立正大学に入り直して、大学院まで一生懸命勉強しました。

——トータル何年ですか!?

久住:
ねえ。それだけ勉強と修行を続けてても最終的には信仰ってなんなんだろうって、わかんなかったんだよね。でも親父を交通事故で亡くしたり、檀家さんの苦しい姿や悩んでる姿とかを見て、仏様っていうのはこういうことを教えてるんだなってことが入ってきたというか。

机の上で一生懸命勉強してても、仏様の教えっていうのは現場を通じないと、人生を通じないとわかんないんだなって思いましたね。

 

◼︎信仰心があってもなくても「自灯明」

久住:
「どうぞご自由にお掃除ください」って看板を出すようになったきっかけも含めて、僕がお経をあげるとか、いろいろ悩みを聞いてあげるのも大事だけど、自分で掃除するっていう自分の行為で、心が清らかになっていくんであれば、こんないいことないなって思うんです。

仏教にはお釈迦様の遺言で「自灯明・法灯明(じとうみょう・ほうとうみょう)」っていう言葉があります。法灯明っていうのは仏様の教えを自らのともし火として生きなさい、ということ。で、自灯明は自らの心もともし火として生きなさいと。

お釈迦様の命令通り、教えの通りに生きなさいっていうことじゃなくて、お釈迦様の教えを受け取って、自分のなかで理解して消化して。で、それを自らのともし火として生きなさいと。

神様がこう言ったからこうしなさい、神の命令に従って生きなさいっていうことじゃないところが、仏教が他の宗教と大きく違うところじゃないかなって僕は思うんです。だから、修行と思って掃除をするのも自灯明だし、信仰がないけど掃除をするのも自灯明。あとは自分たちで考えてやんなさいっていうのが仏教のいいとこかな。

その人に任せますってさっきから再三繰り返してるのは、毎回、お寺の行事の時、仏教法話をするんだけど、「とっても心に沁みました」と言う人もいれば、そうでも無い人もいる。仏教の教え、考え方は檀家さんに伝えるけれど、それは自分が受け止めるように受け止めてもらって、人生に活かしてもらえばそれでいいと思うからです。

——それは久住さんの願い?

久住:
これは法華経の中にある「三草二木(さんそうにもく)」っていう教えの考え方なんです。
日蓮宗だから「お題目」を唱えることが大切だし、その理念や生き方もお話しするけど、あとは自分の生活の中でうまく仏教を活かして、人生を豊かに送れればそれでいいんじゃないかな。

——お題目って「なんみょーほーれんげーきょー」ですよね。

久住:
「南無妙法蓮華経」ね。教義的にいろいろ意味はあるけど、まずは「与えられた人生を受け入れ、慈悲と敬いと感謝で生きる」。

——それをたくさん唱える。

久住:
日蓮宗は、日蓮聖人の〝このままでは日本はダメだ!〟っていう熱い思いから「お題目信仰」に辿り着いて、立ち上がった宗派なんです。だから日蓮宗のカルチャーは、たとえば松本さんの、あの〝何にもとらわれてませ~ん〟みたいな感じとは、かなりこう…真逆なんじゃないかな(笑)

——体育会系?(笑)

久住:
宗祖がもうすごいあっつい。

——眉毛がすごい(笑)

久住:
そうでしょ、眉毛すごい(笑)日蓮聖人がなにしろ情熱的だったから、門下たちもすっごい熱いのよ。熱いDNAが引き継がれてるから、修行の掃除も熱い(笑)体育会系かもしれませんね。

 

◼︎掃除をしない宗派もないし、掃除をしない人間もいない

久住:
「心は形に現れるし、形は心を整える」…昔、先輩僧から教わった言葉です。
掃除をしない宗派もないし、掃除をしない人間もいない。心を整えるために形を整えるし、形が整うと心も整うっていうのは禅的な考え方かもしれませんけども、僕はすごく大事にしてます。

心の状態は自分の周りの景色に現れてくるんです。
檀家さんの家にお経に行っても、家の中の状況や身なり、言葉遣いで、なんとなく心の状態を察することができるんですよ。たとえばトイレの履物って揃えるとちょっと、気持ちよくないですか?あんな感じ。で、掃除で自分の部屋が整ったら心も整うし、心が整うと人にも優しくなれる。

——そうやって客観的に説明していただくとなるほどって思います。なんでお寺の掃除してるんだろうって自問自答してるので。

久住:
やっぱ自分と向き合ってんじゃないかな。こうやって掃いてる落ち葉をさ、自分の悩みだったり、そういうものに何か置き換えてんのかなって。掃除しながらそれも一緒に捨ててるんだなと、ふと思ったりもしますね。そこにある思いもそれぞれ違うんだから、掃除とはこうあるべきです、みたいな定義づけするのはよくないのかもしんない。

ということで、お掃除しますか!
まずはお経を読んで。で、お昼ご飯ができたそうなので、食べてからお掃除です。ご一緒にどうぞ!

◇◇◇◇

平日の朝10時からお話をうかがって、気がついたら12時をまわっていました。
「集まってくる人が、なぜだかなかなか帰らないお寺」と奥様は笑っておっしゃいます。
30年以上続くお掃除の会にも人が集まり続けるのはどうしてか、久住さんに聞いてみたら

「その時の住職の心意気みたいものかな。お寺の方針とか、住職の心意気がないと集まんないかな~。だってうちの奥さんの、朝ごはん作りますよ!っていう心意気がないと、たぶんみんな最後まで残んないでしょ(笑)」

この日のお掃除は次回の「写真日誌」でご報告します。

◇◇◇◇

冒頭で紹介した、「どうぞご自由にお掃除ください」という看板と箒のセット。
インタビューさせていただいた去年の10月から3か月後の2019年お正月には、檀家さんでもない、ただ初詣の参拝に来られた全く知らない一般人のうち数多くの方が、箒を手にし、お寺を掃除をされていったそうです。親子で掃除をする姿もあったとか。
以来、このセットでお掃除をしていかれる方々が増え、久住さんも「驚いた」とおっしゃる展開になっています。

インタビュー中に出てきた「三草二木」。山に降り注ぐ雨が、大きな木、小さな花々それぞれにとって必要な量も質も違うように、平等に注がれるお釈迦様の教えも、人によって様々な受け止め方がある…という法華経のお話だそうです。
お経も、仏様のことも知らない一般人でも、「どうぞご自由に」と置かれた箒を、それぞれがそれぞれに、ふと降りかかった雨として受け止めて、人生に活かしているのかもしれない——

今日も妙法寺の境内の片隅には、箒とちりとりに姿を変えた雨が降り注いでいます。

 

… Temple Morning 開催データ …
◉日蓮宗 宗門史跡 妙法寺

 http://myouhouji.jp
毎週日曜日 朝6時から お参り・お茶・お掃除・朝ごはん(予約不要)
「自由にお掃除」はお寺が開いている時ならいつでも
○〒245-0051横浜市戸塚区名瀬町772-4(地図
 JR東戸塚駅からバスまたは徒歩(20分)

自宅兼事務所から東京・神谷町の光明寺まで徒歩1時間30分な、グラフィック・デザイナーです。仏教どころか宗教に関してまったくの「一般人」が、お寺で朝の掃除をする会——Temple Morningのアンバサダー(?)として、ゆるりとレポートします。