『Amazonお坊さん便』取り下げの裏側と、“お寺の今後”の関係

 
これまで『お坊さん便の中の人より』と題しまして、「お坊さん便」のお客さまやお坊さんについての実情をさまざまな角度からご紹介してまいりましたが、今回がいよいよ最終回となります。
前回の記事から時間があいておりますが、この間に「お坊さん便」では3つの大きな発表をさせていただきました。
 
2)お布施の新しい形をポストプライシングで実現する「おきもち後払い
3)ご法事依頼の日程調整をLINEを使って劇的に短縮する「お坊さんスマート手配システム
 
ネット上では、取り下げは何らかの圧力ではないかというご心配や、結局LINEに移行しただけじゃないかというご批判など、わたしたちの意図する所や、思いについての誤解も多少あるようです。そこで、この場を借りて改めて狙いを自ら発信してみようと思います。
 
そしてまた、今回はこの取り組みの背景を入り口にしつつ、「お坊さん便」という少し角度のついた視点から、最終回らしく“「お坊さん便」から見たお寺をめぐる課題”という大きなテーマについても勇気を出して触れてみたいと思います。
 

大手ECサイト取り下げに至る議論

 
お坊さん便では、1年以上前からさまざまな仏教団体さま、個人さまと対話をする機会を意識的に増やしてきました。初回にお伝えしたように、Amazonで話題になった当時、反響がわたしたちの想定の範疇を超えていたため、まずは目の前のお客さまに集中しようと「お坊さん便」は長らく積極的な情報発信を行ってきませんでした。ですが、僧侶手配サービスとして成熟していく中で、説明不足の結果、関係者の方にさまざまな誤解が広がっていることが次第に課題となってきました。そこで、自分たちから各地へ出向いてお話をしてみよう、という取り組みをはじめたのです。彼岸寺の本連載は、その活動の一部でもあります。
 
いろいろな方とお会いする中で、ご紹介いただいたご縁で偶然お会いできたのが、日本仏教の主要伝統宗派が加盟する代表組織である公益財団法人 全日本仏教会の方々でした。幸いみなさま気さくな方々で、かつ「お坊さん便」への関心をお持ちくださっていたので、複数回懇談の場をいただいて、わたしたちの実情についてご紹介をさせていただいたり、仏教界として重要視していることや課題に感じていることについて意見交換をさせていただくことになりました。
 
ディスカッションでの議題は多岐にわたりました。例えばわたしたちからは、民間の僧侶手配サービスが登場した背景や、社会的意義について特にご説明をさせていただきました。一方みなさまからは、「お坊さん便」について、提携しているお坊さんはどのような人が多いのか、「お坊さん便」は菩提寺がある方のご依頼をどう扱うか、ご出仕の際にクレームが起きるとしたらどういう点か、など多数のご質問をいただきました。
 
その中で、わたしたちが改めて気づき、また双方ともに重要性を確認できたキーワードが「菩提寺がない方のグリーフケア」です。二回目の記事でもご紹介しましたが、わたしたちのお客さまには都会に出てきたご家族の二代目、三代目が多く、上世代の上京に伴ってお寺と縁が薄れた結果、ご葬儀やご供養の際に頼るお寺が無く、お困りになっているというのが典型の一つです。
 
「お坊さん便」をはじめとする民間の僧侶手配サービスは、こうした方々のご不安を解消して、グリーフケアにアクセスできるようにすることで、一つの社会問題の解決をお手伝いしています。菩提寺がない方は、都会の消費生活に慣れているので、お寺の檀家・門徒関係のような伝統的な仕組みはハードルが高く感じる一方、既存の多くのお寺には、こうした方々の受け皿になる仕組みがありません。ご供養としての仏事は、宗教者の助けを借りながらご遺族が悲しみを癒やしていく伝統的なグリーフケアの知恵であり、日本のライフエンディングにおける欠かせない要素です。ですから菩提寺がない方は、お寺と縁がないことによって、グリーフケアから切り離されやすい状況におかれている、と言えます。そこで民間の僧侶手配サービスは、都市生活で一般的なサービスの仕組みに似せた提供モデルを用いてお坊さんを呼ぶハードルを下げることで、グリーフケアへのアクセスを確保したのです。
 
「菩提寺がない方のグリーフケア」が議論の土台となったことで、双方の理解がぐっと深まり、結果として大手ECサイトの取り下げへと話が至りました。どういうことかと言うと、グリーフケアにおける必要性と意義があるサービスであるからこそ、大手ECサイトへの出品が、逆効果になっていると気づいたのです。大手ECサイトに出品すると他の様々な商材と横並びで仏事が取り扱われことになるため、仏事が死別の悲しみを癒やすことに貢献する、という事が伝わらず、逆に重要でないものであるかのように伝わってしまった、ということです。これは、わたしたちとしても望まない結果です。仏事が不要であれば、お坊さん便も不要になってしまいますから。こうした議論を踏まえ、わたしたちは「お坊さん便」の主体的な判断として取り下げを実行しよう、という事を決めたのです。
 

三方良しを目指す「おきもち後払い」

 
また、話し合いの中でもう一つ議論になったのが、「お坊さん便」の定額費用でした。仏教の教えや慣習では、周囲や他人に自発的に施しを行う「布施行」の一つ「財施」が現代のお布施の元であり、平たくいえば寄付行為です。施す側の主体性が確保されるべき、という考え方から、「お坊さん便」のように定められた金額があるのは不自然とも考えられるわけです。一方でわたしたちは、菩提寺がない方の費用に対する不安を解決するために定額という仕組みを導入した立場から、「お坊さん便」をお選びになる時点で、主体的な選択であるというふうに考えています。この点は、お客さまのために譲れない一線でもあります。
 
関連して頻繁に話に上ったのが、「お坊さんの資質」です。ご利用者さまや檀信徒・門徒さまからの支持がなければ、お寺は維持していけないわけですから、「お坊さん便」にとっても大事ですし、仏教会としても大変気にかけていらっしゃいました。一般論として、品質を向上するにはフィードバックが重要です。フィードバックによって、行動の失敗や間違い、修正点に気づき、改善へとつなげることができます。ですが、お坊さんは宗教者であり、一つの権威でもあるため、正直なフィードバックを得にくい立場です。わたしたちのアンケート調査でも、一般の方の73%が「不満があってもお坊さんには言えない」と回答しており、主要な理由の一つは「失礼にあたるから」でした。お寺は支持がなければやっていけないが、フィードバックを得にくい、という課題があるということです。
 
こうした事情を踏まえて、わたしたちが今回新たに作ることにした仕組みが「おきもち後払い」です。「おきもち後払い」は、ご葬儀・ご法事を執り行った後日、アンケートフォームで行う評価と連動して、「お坊さん便」の費用におきもちを上乗せした金額を設定し、後日コンビニや銀行などで支払いができる、という新しい決済方法です。
  
 
「おきもち後払い」は、三方良しを目指した仕組みです。実は時々、「お坊さん便」のご利用者さまから「お坊さんのおかげで大変いい供養ができた、感謝の気持ちを込めて多めに包みたいが良いでしょうか」というご質問を頂くことがあります。この場合、わたしたちとしては、ご利用者さまが定めた費用を超えて自発的に包むのはまさしくお布施であり、止めることはないという立場を取っています(当然ですが、受け取ったお金は法令に基づいた適正納税をお願いしております)。
 
「おきもち後払い」では、こうしたご希望も含めて仕組みとして叶えることができます。良い評価にせよ、悪い評価にせよ、対面ではない安全な状況で、ご利用者さまが感じたことを伝えることができるようになるのです。その結果、お坊さんにとっては率直なフィードバックを得られるようになりますから、モチベーションになったり、ご出仕の内容を振り返って改善へとつなげることができます。そして、品質が改善して顧客満足度が上がっていくと「お坊さん便」というサービスに良い循環が生まれますし、ひいては菩提寺がない方と仏教の距離を近づけることにも貢献していくでしょう。
 
お布施の原点をたどれば、お釈迦様が仏を目指す仲間を集め、修行生活を送るコミュニティとしてサンガを作り、その生き方に感銘を受けたり、応援したいと思った周囲の人々が、自発的に食べ物などを分かち与えた事であると聞きます。そう考えれば、仏事を執り行っていただく姿に対して、自然と生じた気持ちを元に評価とお気持ちを表現する、というのは、お布施の意義を引き継ぎながらも現代的なモデルに展開した一つの姿として有効なのではないか、と考えたのです。全日本仏教会さまとの議論では、この仕組みについても事前にご紹介をさせていただき、民間だからこそ取り組める新たな試みとしてご関心を持っていただきました。
 

「お坊さん便」がやっていること

 
発表した取り組みの三つ目は、LINEによる「お坊さんスマート手配システム」です。従来「お坊さん便」では、お客さまからWebフォームやお電話でいただいたご依頼をコールセンターが取り次ぎ、電話でお坊さんにお電話して予定調整を行うことでご法事の日時を確定させていました。しかし電話を使う以上、取り逃したり通話中だったりによって、お坊さんとコールセンターの間で何度も電話を掛け直すという事態が度々発生し、双方の負担となっていました。またその結果、お客さまに対しても日程の確定までお時間をいただくことになっていました。スマート手配システムは、これをIT技術で解決するものです。ご依頼に基づいてコールセンターのシステムがお坊さんにLINEを送り、ご出仕可能な方を探して日程調整が完了する、という自動化の仕組みです。
 
仏事そのものは、人間の心が欠かせません。お坊さんという人間が行うからこそ意味があるものです。だからこそ、周囲にある無駄を省いて、本質的なケアに注力できるような環境を作っていく必要があります。テスト運用では、スマート手配システムによって、手配にかかる時間は最大120分の1まで短縮されており、利用していただいたお坊さんからも「格段に便利になった」と好評なご意見を多数いただきました。これも三方の負担を同時に解決する仕組みと言えます。
 
 
これら3つの発表を総括して、「お坊さん便」が何を行っているのか一文で表現してみると、「お寺と縁が薄い方に供養としての仏事の価値を提供するため、ITやテクノロジーを使って、提供モデルを現代にチューニングする」ということだと思います。「お坊さん便」に限らず、民間の僧侶手配サービスの登場は、ある種の時代の要請と言えます。インターネット経由の申し込み、定額費用、1回ごとのお付き合いといった「お坊さん便」の仕組みも、新たに設ける「おきもち後払い」や「お坊さんスマート手配システム」も、ともに今までのお寺の仕組みではカバーされにくい菩提寺がない方に合わせ、提供モデルを変えていく試みなのです。
 

「お坊さん便」から見た現代のお寺をめぐる課題

 
さて、提供モデルを現代に合わせる、という観点からお寺業界全体のことを考えてみますと、これは「お坊さん便」に限った話ではありません。ここからは「お坊さん便」の立場から、現代のお寺をめぐる課題について触れてみたいと思います。ここから先は、一つの見方として受け止めていただければと思います。お寺の門外漢が何をいうか、というお声もあろうかと思いますが、外側から関わるわたしたちだからこそ見えることもあるかもしれない、ということで今回だけはご容赦をいただければ幸いです。歴史的な事項にも触れますが、もしも誤りなどが含まれていましたら、ご指摘をいただければと思います。
 
「お坊さん便」が生まれた理由を裏返してみると、お寺と社会には大きな二つのズレがあるように思います。一つは、人が住んでいるところにお寺が無い、ということです。ジャーナリスト鵜飼秀徳氏の著書『寺院消滅』で話題になったように、日本の多くの地方で起きる人口減少に連動して、存続が危ぶまれる寺院が多数存在しており、地域社会の要としてのお寺の護持は大きな課題になっています。その反面、人口増加が続く大都市では、お寺の数が手薄です。宗教統計調査に基づくと人口あたりの寺院数は、仏教文化の色が歴史的に薄い沖縄県の他、神奈川県、東京都で下位3位となっています。神奈川県、東京都は人口10万人あたり約21カ寺で、一番多い滋賀県の約227カ寺と10倍以上の差がついています。お寺に限らず、教会、モスク、神社など信仰には集う場が欠かせませんが、都会には仏教の信仰の場が足りていない、といえるでしょう。
 
周囲にお寺がないと、都市部でお寺と縁がない方が増えていくのは自然なことです。前述のように世帯の事情で実家側のお寺との縁が薄れた上に、都会に出てきたら周囲にはお寺がなく、お坊さんもいない、となれば仏教を意識する機会は少なくなります。また、現代の檀家関係の重要な接点はお墓ですが、近所でお寺を見かけず、つながりもないとなれば、お墓を持つ場所としてお寺を考える人も減っていきます。とはいえ、ご葬儀やご供養の場面になると仏式で、という意識はまだまだ根強いため、結果として「お坊さん便」のような僧侶手配サービスをご利用になる方が現れています。
 
また、以前の記事で触れたように「お坊さん便」の提携僧侶さまには都市部での新規開教を目指していたり、別院を立ち上げようという方もいらっしゃいますが、必要としている方が居るところに出ていこう、というお坊さんを支援する体制はあまり充実しているとは言えないようですから、打てる手段が少なくお困りになっているという状態もあるようです。
 
もう一つのズレは、関係構築モデルそのものです。菩提寺-檀家関係は江戸時代の寺檀制度をベースにできていますから、一族や地域としてお寺と関係を持つことを前提としています。ですが都会に住む人々は、マンションの隣の人の名前も知らず、血縁地縁ではなく興味関心に基づいて、ネットやスマホで距離にとらわれずに繋がる世界で暮らしています。身内の単位も縮小し、夫婦と子供のみが家族であり、祖父母や親戚は家族ではない、と考える人も増えています。子どもの自由を制限したくないから墓は持たない、という散骨希望の方や、夫婦の間でも別の墓に入るという人すらいらっしゃる、まさしく個の時代がやってきています。「お坊さん便」のご利用者さまが、一回ごとのお付き合いをお望みになるのは、こうした背景が影響しているものと思います。
 
もちろんお寺の中には、檀家制度に代わる会員制度を設けるなど関係性のあり方を見直していらっしゃる所も様々出てきています。とはいえ、まだ主流とは言えない状態ですから、血縁地縁で末永く繋がる前提の仕組みを望まない方は、「お坊さん便」を利用するか、お寺離れするしかない、ということになってしまいます。
 

お寺を持つもの、持たないもの

 
需要と供給の地理的なズレ、生活者の心理と関係構築モデルのズレ、という二つの課題については、従前より宗派本山、仏教団体、お坊さん個々人が以前からそれぞれに努力をされ、対応をされていらっしゃると思います。とは言え、民間の僧侶手配サービスが出現してきたことは、このギャップが埋まっていないことも示しています。
 
対応が進まない背景は無数にあると思いますが、「お坊さん便」の周囲で感じるのは、お寺の経営主体の問題も若干絡んでいるのではないかということです。日本の多くのお寺は、あるご家族が経営している、という状態が多くなっています。明治5年の太政官布告133号「自今、僧侶肉食妻帯畜髪等可為勝手事」をきっかけに、浄土真宗以外でも国からの命令によって半ば強制的に妻帯が許されることとなり、お寺を運営する組織が血縁中心となっていきました。その結果、お寺は檀信徒・門徒のものでもある一方で、私有財産の色合いも強くなりました。寺族の方で運営し、継いでいく、というのがお寺組織の一つの型になっています。
 
「お坊さん便」には、新たに開教を目指す方をはじめとして、寺族出身でないお坊さんも多くご提携いただいています。お坊さん全体の状況は承知していないのですが、体感として、一般のお坊さんよりも当社提携のお坊さんのほうが非寺族の比率が多少高いようにも思います。寺族でない場合、継ぐお寺がありませんので、必然的に人のいる地域でお寺を開こう、という考えにもなるでしょうし、以前の記事でご紹介したように、世代を超えて付き合う気のないご利用者さまにも抵抗感がない、ということも自然なことです。
 
 
これをもう少し広げて考えていくと、持つもの、持たざるもの、という立場の違いも示唆されます。最近は、さまざまなお寺で、お寺と縁が薄い方でも参加しやすいイベントを開く動きや、社会的活動を行う事例が増えています。仏教と社会の接点を増やす大変素晴らしい活動が数多く行われています。一方で、多くのイベントが、お寺という施設を活用することを前提としています。お寺を開こうと考えているお坊さんからすると、活用できるお寺を持っている事自体が大きな優位点でもあります(一方でお寺がない方は護持の苦労から離れているとも言えますが)。わたしたちの提携のお坊さんにはもちろん両方いらっしゃいますし、どちらがいい悪いというわけではありません。ただ、両者の考えや見ていることは大きく違うように感じますし、お坊さん業界全体に「菩提寺がない方」の事情があまり知られていなかったり、前述のズレに対するまとまった動きが生まれにくい要因なのかもしれないと感じます。
 
ちなみに、「お坊さん便」では立派な伽藍をお持ちかどうか、ということを重要視していません。供養としての仏事は、お寺という施設が行うことではなく、お坊さんという人間が、同じ人間に対して行うケアだと捉えているからです。もちろん提携時には僧侶としての資格はしっかり確認しますし、立派な本堂の存在を希望されるお客さまにはご要望に合わせた手配を行いますが、「お坊さん便」のご利用者さまの多くはご自宅での法要をご希望のため、実際のところ気にする方は多くはありません。わたしたちとしては、施設の有り無しではなく、僧侶としてご利用者さまにいかに寄り添えるか、その資質こそが本質であると考えています。
 

忘れられた世代

 
社会の変化とお寺のズレについて、「お坊さん便」の視点から気になることはもう一つあります。それは、ミドルエイジの方へのアプローチです。前述のお寺系イベントにはさまざまな取り組みがありますし、決して全部がそうであるということではありませんが、一つの傾向として、イベントには20〜40代前半くらいをイメージしたものが目立つようです。これは、企画を頑張っていらっしゃるお坊さんに若い世代が多いことも影響しているかもしれません。仏教に親しむ方を長期的に増やしていく、という意味で、こうした取り組みは大変素晴らしいことだと思います。一方で、こうした今どきのイベントではなく、普段からお寺で行っている伝統的な法要の場面を見てみますと、お集まりの方の多くは、実は70〜80代ということはよくある状況のようです。この間に居る、人生100年時代と言われる昨今の社会の中核層とも言える40代後半〜60代を対象とした取り組みが少ないように感じるのです(もちろん、実際の参加者には様々な世代いらっしゃいますので、ターゲットイメージのお話です)。
 
この世代は、若者とはもう呼べないが、決してシニアでもありません。物心ついた頃にはすでに高度成長期を過ぎており、都市部では消費社会化が進展し、都市生活に慣れた世代でもあるため、地縁血縁にも一定の尊重を感じていますが、高齢者の方ほどお寺に親しむ機会もなく、一方で情報化社会の到来は大人になったあとなので、今どきの若者ほどバーチャルなコミュニケーションに慣れてはいませんし、コスモポリタンな意識も薄いです。結果として、伝統的なお寺モデルにも、マインドフルネスのような今どきの仏教の受容スタイルにも当てはまりにくい、ということでもあります。
 
「お坊さん便」の立場から見ると、こうした狭間の世代に対しての取り組みが、お寺業界全体として意外と手薄なのではないかということです。ある宗派幹部の方にこの件をお話した所、今色々と企画をしようとしている、とおっしゃられていたので、まさにこれからなのだと思いますが、今後のお寺と社会のつながりを考える上では、より注目されるべき世代だと考えています。
 
なぜかというと、ミドルエイジはご葬儀・ご供養の場面で見送る側の当事者でもあるからです。「お坊さん便」のご利用者さまの中心は50歳後半〜60歳くらいとなっていて、まさにこの世代の方々です。これはご両親が平均寿命である80歳過ぎを迎えるためでしょう。またこの方々は、自分が亡くなるのは30年、40年も後のことですから、積極的に自分の終活をするということは全く考えてはいませんし、若い世代のように自分の存在の問題で悩むこともありません。ですが、親のこととしてリアルな問題(医療介護、ご葬儀やご供養、お墓のこと…)、まさしく生老病死の悩みを抱えていらっしゃいます。自己発見でもなく、自身の終活でもない形で、きっとお寺の手助けを必要としているはずなのです。
 
 
昔であれば、生老病死の悩みはきっとお坊さんに相談したでしょう。ですが、現状お寺に限らずそれに答えてくれる場はあまりなく、頼れたとしてもお医者さんや福祉や葬儀に関係する事業者に話を聞くくらいです。わたしたちのコールセンターでも、今すぐ頼むことがあるわけではないが、話を聞いてほしい、不安を相談したい、そんなご相談をいただくことがよくあります。これもまた、今までのお寺の仕組みではカバーしにくい領域が残った結果、民間企業が活動する余地となった、その一つの例かもしれません。
 

資質とズレ

 
先程すこし触れましたが、全日本仏教会のみなさまとの対話の際に頻出したテーマの一つは、「お坊さんの資質」でした。それは、「歴史を紐解くと、宗教も国家も企業も、構成する人々と社会に貢献しない組織はやがて滅びる」という理解から来る強い危機感に基づくそうです。お寺組織も、わたしたちのような民間企業も、どちらも例外ではありません。また、宗教や信仰の役割はさまざまにあると思いますが、その一つとして、生活する人々の悩みや苦しみに寄り添い、和らげたり、時に解決に貢献することが期待されており、それに真摯に向き合うことが、その場で「資質」と呼ばれていることだとわたしたちは理解しました。
 
これまで述べたお寺と社会とのズレによって、この「資質」への誤解が広がっています。わたしたちは一般の方よりもお坊さんと接する機会の多いお仕事をさせていただいていますから、「お坊さん便」に関わるお坊さんもそうでないお坊さんも、多くの方は仏教の教えを広め、お寺を通じて人や社会の支えになることを強く願って、志高く活動していらっしゃると知っています。今の時代、お坊さんをやっていくこと自体が意思を必要とすることです。お坊さんが特別な階級という時代は過ぎており、楽をしたいなら、もっと他の生き方もあるはずです。ですが他方で、「お坊さん便」のことやお寺に関するニュース記事が出るたびに、紹介されている内容が善い行いであるときですら、Yahoo!ニュースやSNS上では、一般の方からお寺に対して手厳しいコメントが多数ついている、という状況があります。これは大変残念なことです。お寺とお坊さんの思いや活動が社会に十分伝わっていないのです。
 
「お坊さん便」が手掛ける「菩提寺がない方のグリーフケア」はズレの一例だと思います。ご葬儀にお坊さんを呼ぶという法律は無いのに、菩提寺がない方がわざわざ「お坊さん便」に問い合わせてくださるということは、お坊さんという存在に期待がある、死別を乗り越える支えとして仏事や宗教者が求められている、ということです。その求めに応じた結果、提供モデルが従来と異なる民間のサービスが登場したわけですが、お寺自体ではなく民間が手掛けることになったことで、お寺と民間企業が対立しているかのような理解や、既存のお寺批判に繋げていくコメントが一般に広がってしまいました。わたしたちが大手ECサイトでの出品を取り下げたのは、この誤解を解きたい、という思いでもあります。一方で本来、檀信徒・門徒さまとのお付き合いで供養としての仏事の重要性はお坊さんこそ知り抜いているのに、お寺の外にも同じ助けを求める人々がいることには、あまり目が向けられてこなかった。この点は、ぜひお寺に関わる方には振り返っていただきたい点です。そうしていれば、きっと「お坊さん便」が生まれることはありませんでした。
 
「お坊さん便」のような民間の僧侶手配サービスは、一つの時代の要請にすぎません。社会が変わればモデルも変わるでしょうし、全く不要になるかもしれません。一方で、死別の悲しみにケアが必要なことは今後も変わりませんし、長い歴史の中で生き残ってきた仏教、お寺、そしてお坊さんという生き方は、そう簡単には廃れるはずはなく、その本質は時代の流れとは無縁のはずです。ですから、お寺と社会の距離が遠くなったのは、きっと変化する社会における存在の仕方がズレてしまっただけなのだと思います。
 
今お寺が行っている活動が誤っているわけではないし、仏教が求められていないわけでもなく、お寺のかたちと時代や社会とのズレの問題である、と考えますと、きっと必要なのは、社会が変化し多様化していく流れに伴って起きるズレを見つけること、そして一歩あゆみ寄り、お寺の中と外に橋を架けることだと思います。ズレを埋めるということは、悩み苦しんでいる方のそばに行くということですから、お坊さんとこれほど相性の良いことはないのではないでしょうか。
 

最後に

 
今回は、最近の取り組みと絡めつつ「お坊さん便」が社会に存在する背景にあるズレについて、もっと多くのお寺に関係する方に知っていただきたいと思い、かなり踏み込んだお話をさせていただきました。抽象的だとか、不勉強だ、失礼だ、とお感じになる部分もあったかもしれません。ただ、「お坊さん便」が存在している事自体が、一つの事実です。わたしたちのお客さまや提携のお坊さんのためにも、「お坊さん便」という窓から見える景色をお話しする連載として、この話は外すことができませんでした。
 
最近は、菩提寺のない方に向けたお坊さんの手配を宗派本山や大寺院が手掛ける、という動きも始まっておりますし、今回取り上げたズレについては、すでに行動していらっしゃる方もたくさんいらっしゃると思います。ですから今回のお話は、決して問題を指摘して対立を深めようというものではなく、それぞれの立場からときに連携しつつ課題に向き合っていく、そんな未来が起きることへの期待を込めたものとご理解をいただき、お許しいただけますと幸いです。
 
「お坊さん便」による連載という無茶を寛大にもお許しいただいた彼岸寺の編集部の皆様には、改めて感謝申し上げます。本連載が、お寺に関わる方の様々な模索、挑戦のヒントになることを願っています。
 
小野敬明

お葬式、ご供養などの前後に起きるライフエンディングのさまざまな問題を解決しようと取り組んでいるベンチャー企業『株式会社よりそう』において、広報、およびお坊さん手配事業を担当しています。