浄土真宗本願寺派・西蓮寺に勤める小西慶信です。当山の編集部が発行している、布教しない仏教マガジン『 i (アイ)』では、他者との関わりの中に生じる生きづらさを特集してきました。本連載ではその内容を紹介しながら、どうすればそれをときほぐせるのかを考えます。今回は、前回に引き続き、「わかりあえないからこそ話し合うんだよ、とは言うものの……」と題したテーマを取り上げます。
人はみな、それぞれの物語を生きています。だからこそものの見方や考え方が人によって異なるのは当然です。わたしたちがこの社会で、他者と関わり合いながら生きていくには、その違いを適宜調整していくことに他なりません。合わない人とは折り合いをつけるなりして適当にやり過ごしていくものですが、相手の話に聞く耳をもたず、自分の考えをしつこく押し付けてくる人間がいれば、話は別。わかりあえなさに熱がおびます。
この特集を最初に企画したとき、わかりあえない事態の根底にどんな“違い”が潜んでいるのかを丁寧に観察する余裕を持ちたいと考えました。「何度言っても伝わらない!」と軋轢が増すとき、わたしは何を見落としているのか。何がそのわだかまりを生み出しているのか。そこにさえ想像が及べば、少なくとも、わかりあえないということ自体を受け入れられるのではないか。
前回のコラムでは、その違い -《異の倫理》を、「文化」「身体」「時代」「立場」という4つの視点から整理してみました。今回はそれぞれの視点に沿った事例を紹介しながら、わかりあえなさに喘ぐ私たちが見落としているものについて考えます。
文化編

柳田國男の『先祖の話』(角川ソフィア文庫)を読んでいると、「家督を継ぐ」というナラティブが「家」という観念の中核にあったことが伺えます。この「家」という制度は、現代的な個人中心の価値観とは異なり、先祖の霊を祀ること、そして家の名を存続させることを
目的とした霊的・社会的な秩序でした。
そのような文脈において、人々にとっての家督相続とは「引き継ぐかどうかを選ぶこと」ではなく、「与えられた役目を果たすこと」だったと考えられます。家を存続させるためにはそれを継承する誰かが必要で、それは子であり子孫のつとめでした。こうした時代の親と子は、《同の倫理》、つまり「私たちは同じ物語(文化)を生きている」という前提で結びついていたと言えます。
しかし現代では、個人の意思と責任が尊重されるようになり、家督を継ぐ側に「選択する」自由が認められるようになりました。すると当然、受け継ぎたいと思うかどうかは人それぞれ(《異の倫理》)となり、相続することが当然と考える人との間に齟齬が生じます。
長い時間をかけて慣れ親しんできたものや、自分が拠り所にしてきたものを失うのは怖いものです。それを失ってしまうと自分が自分でなくなってしまうと感じるほど大切なものであればあるほど、その喪失に対する不安やおそれは大きくなります。伝統や文化と呼んでいるものは、私たちにとっての生の形式であり、われわれの生の一部でもあります。
相続を期待する側がそれを当然と考えるあまり、「継承しない」という選択を受け入れられず、意見を一方的に押し付けてしまうこともあるでしょう。こうした場面で生じるわかりあえなさの背景には、自分の生を規定していた文化的な営みが否定されたように感じることへの不安や痛みがあるのかもしれません。
文化的によるわかりあえなさは、家督にまつわるものだけではありません。例えば、企業や業界の慣習、学校やPTAのルールなども、独自の文化やしきたりを強制します。外部から来た人がそれらに違和感を訴え衝突することはしばしばですが、そうした場合であっても、同様のものが見落とされている可能性はあるでしょう。
時代編

両者の間にある生きてきた時代の違いも考えておくべきでしょう。以前、幼稚園に勤めていた男性がご自身の経験を寄稿してくれました。
その著者が中学生時代を過ごしたのは1980年代。当時通っていた公立の学校では男子は丸刈り、女子は三つ編みかおかっぱ頭が基本。これを守らない生徒に対して、教師は注意を与えるのですが、男子はげんこつで殴り、女子にはビンタをして指導したと言います。生活のいたるところに「男はこう、女はこう」という決まりがあり、言うことを聞かない生徒に対する教師の指導は「身体に覚え込ませ」るというもの。勉強は頭で覚えるものですが、そうした規範は身体に染み付くものだったそうです。そして、これは著者だけの特別な経験というわけではなく、同世代の人にとってはそんな”指導”や”しごき”はありふれた日常だったのでは、と付け加えています。それに対して、現代は心身の暴力を受けた者が自身の被害を訴えることがずいぶんと容易になったと、筆者は肯定的に受け止めています。
しかし、幼稚園に園長先生として勤めていたあるとき、職員室に入ってきて騒いだ子どもたちに「やかましい!外に出んか!」と怒鳴ってしまったことがあったそうです。男性は「子どもの頃あれほど嫌だった力による威圧を自分がしていると気づき、悲しかった。(略)わたしも教師が怒鳴り散らし暴力を振るうとき、それこそ震え上がったものである。ところが子どもたちに対して、わたしはあの教師たちとまさに同じことをしていたのだ」と自身を振り返ります。
その後、しばらくして職を変えられます。そして「駆け出しのころの上司は大正生まれの女性で、とにかく厳しくしごかれた。喧嘩をすることもあったが、上司との主従のありよう自体に疑問は抱かなかった。新米がベテランにしごかれて一人前になっていくのは当たり前だと思っていたから。けれども、最近、その話を若い人たちにすると『それってパワハラですよね』とひかれてしまうことに気づき、戸惑っている。師である上司の厳しい叱責は、弟子への愛情ゆえだったと。それに歯を食いしばって耐えてきたからこそ、わたしは成長できたのだと。その自負が、今の若い人たちには『パワハラに過ぎない』と一蹴されてしまうことに、戸惑っている」と語られました。
受けた被害を訴えられること、痛みを感じたときに素直に「痛い!」と言える時代を、筆者は肯定しながら、次のように話を結んでいます。
「子どもの頃に叩き込まれ、『内面化』してしまった価値観を、簡単に剥がし取ることはできない。『だから何も変えられない』と言いたいのではない。ひとりの人間が、自分に叩き込まれたものについて、考え直し、生き方を変えてゆくには、そうとうな時間を要するのであり、だからこそ、その変化を待つ余裕を持ってはもらえないか」
身体編

2019年に東海テレビで「見えない障害と生きる。」と題したキャンペーンが組まれました。そこでは、傍目には”普通”に見えるけれども、何らかの困難を抱える当事者たちの姿が取り上げられています。片付けができない。文字が読めない。音に過敏に反応してしまう。”普通”に見えるからこそ、やる気がないとか落ち着きがないとみなされ、ある方は『その”普通”にずっと苦しんできました』と告白している。
『 i 』の本特集の中の「身体編」に寄稿してくれたのも、傍目には判断しにくい特性を抱える女性でした。例えば、彼女は人と自然に会話をしているはずなのに怒らせてしまうことがあったといいます。どうやら話の意図を読み取ることが難しいそう。発達障害を抱える方の中には、「だいたい」とか「なるべく早く」といった曖昧な表現を汲み取ることが困難な方がおり、そうした方への合理的配慮として具体的な数量や日時を示すことが推奨されています。
また彼女の場合は、自分が興味を持てないことはどれだけ時間をかけても頭に入ってこないらしく、接客中に、自社製品の説明ができなくなるということもあったそう。どちらも、やる気や集中力の問題と誤解されやすく、彼女自身もまた、大人になって発達障害検査を受けるまで、気持ちの問題だと考えていたそうで、自分がクラスでも職場でも周囲と馴染めずに浮いてしまうことに長らく苦心していたそうです。
わたし自身、”普通”という言葉を安易に使うことには慎重であるべきだと考えています。しかしそれでも、家族や友人と話をするとき、そこで交わされる会話には自分にとっての当たり前が下敷きとなっていることに無自覚です。時間に遅れてきた友人に「それって社会人としてどうなの?」と茶化してみたり、予定はきちんと確認すること、間違いを指摘されたら改善しようと努めることを「そんなの当たり前でしょ」と思わず口にしてしまうとき、それぞれの身体の個別性に目を向けられていません。
例えば、杖をついている方や車椅子ユーザーが段差などの障害を前にしているとき、人手を必要としているのではないかと想像することは比較的簡単です。けれども、目に見えない障害にまで想像力を及ばせることは簡単ではありません。そして、家族や同僚のように、身近な相手であればあるほど、自分の身体や感じ方を基準にして「普通」というものを想定し、無意識のうちに”普通”を振りかざしてしまいます。悪意のない、無邪気な普通に馴染めずにいる人たちの切実な声は、その”無邪気さ”そのものに鋭く問いを突きつけています。
立場編

その人の置かれている立場や地位が、その人の主張に強く影響を与えます。たとえば既婚者と独身、正社員と非正規、若者と高齢者などは、政治や社会情勢のトピックでしばしば対立的に配置されます。また企業活動における営業部と開発部のような部門間の対立は、小説やドラマなどにも使われるモチーフです。
立場の違いから生じるわかりあえなさについて考えるために、国際政治学者の篠田英朗氏の『紛争解決ってなんだろう』(ちくまプリマー新書)を参照します。氏は紛争を「複数の当事者が相反する目的を追求する際に発生する状態」と定義しています。この定義に従うと、例えば、自分のみたいテレビ番組を巡って家族がリモコンを取り合う状態も、一種の紛争状態です。〈「紛争解決学」の世界では、人間が複数集まると「紛争」が生まれやすくなる、と考えます。(それは)複数の人間たちが持つ目的が常に完全に調和し、相反する要素が全く生まれない状態は非常に珍しい〉からに他なりません。
紛争を紐解くにあたっては、当事者のことを丁寧に分析する必要があります。たとえば「あなたのためを思って言っているのよ」という人の本音が、実際は自分の思い通りにしたいだけの場合があります。国際政治学の分野では、「利益」と「立場」という概念を用いて、紛争当事者の目的を識別します。それは必ずしも争いが無くなることのみが目指されているわけではなく、紛争の解決が「利益」の調整と捉えられているからに他なりません。紛争の「解決」よりも、むしろ紛争を適切に「管理」するという表現の方が好ましいと考える研究者もいるくらいです。
こうした紛争解決のアプローチを念頭に置くと、利益や立場の違いから生じる軋轢においては、当事者同士がわかりあう必要は必ずしもないのかもしれません。双方の利益を適切に管理し、衝突を避けることが重要なのであって、わかりあうことは目的そのものではなく、手段のひとつに過ぎません。
むすび|わかりあうこと、話し合うテーブルをとどめるために
では、わかりあうことそのものを目的とする場合はどうでしょう。
釈徹宗氏は、宗教研究者・George Eversの次の言葉を本誌『 i 』で紹介してくれています。
〈宗教間対話にはさまざまな動きがあるが、宗教の枠を超えて宗教者同士が相互に信頼関係を築いていくとき、対話以外に選択肢はないという確信が、それらの活動には共通してみられる〉。しかしその一方で、釈氏はある講演の中でこうも語っています。「みんな対話が大事だって口々に言うんだけれども、そもそもわかりあう気のある人しかテーブルにやってこないんですよ」と。
「わかりあえないからこそ話し合うんだよ、とは言うものの…」と題した本テーマの問題意識も、まさに対話そのものの困難さにあります。
意見や立場の異なる人々が共通の理解や認識を目指す「合意形成」とは異なり、「対話」とは意見の違いが何に基づくのかを相互に理解する試みです。相手が変わることを期待するものではありません。言うなれば相手との関係性を平和的に繋ぎとどめるための営みです。
これまで、文化、身体、時代、立場という4つの視点から、わかりあえなさの背後にある《異の倫理》を見つめてきました。そこでは私たちにとっての生の基盤とも言える文化の違いや、身体の個別性など、つい私たちが見落としてしまいがちな違いについて想像を膨らませてきました。また対話がうまく機能しないとき、立場や利益の相違、そして「何かを失ってしまうのではないか」という不安や恐れがあるのではないか、という仮説を立てました。
もちろん、対話を成り立たせるためには、少なくとも互いが相手のことを知ろうとする姿勢が不可欠です。けれども現実には、自分の正しさを一方的に押し付けてくる人、こちらの声に耳を貸そうとしない人に出会うことがあります。そんなとき、私たちは容易に絶望し、「こんな相手に時間を割くなんて時間の無駄だ」と一蹴したくなるものです。わかりあうこと自体を目的にするということは、それほどまでに困難で草の根的なものなのです。
それでも、そのような態度の背後にある事情や背景を慮ることができたとすれば、対話に希望を見いだせなかったとしても、「わかりあえない」ということそれ自体は受け入れられるかもしれません。それは、相手との関係性を完全には断ち切っていないということの表れです。たとえ今はテーブルにつく人が誰もいなかったとしても、関係性が断たれていない限りは、いつかまた、ふたたびテーブルを囲むことができるかもしれません。