前回は、私たちと言葉が切っても切り離せないものである、ということを考えましたが、今回は「言葉」のもつ「力(ちから)」について考えてみたいと思います。
言葉に「力」ある、というと、魔法のようなものであったり、言葉によって不思議なことが起こせる、あるいは「言霊」のようなものを想像してしまうかもしれませんが、そうではなくて、もう少し機能的な意味での「力」、と理解していただければと思います。
「バルス」と「くしゃがら」
言葉に「力」があるものとして最も有名なものは、「バルス」かもしれません。多くの日本人が見ているであろう、ジブリの代表作の一つ『天空の城ラピュタ』に出てくる言葉です。
この「バルス」という言葉は、「滅びの言葉」として登場します。実際には、ラピュタを浮遊させている「浮遊石」と呼ばれるものの力を解放する効果があったように見えますが、滅びの言葉であっても、石の力を解放するためであっても、「バルス」という言葉になんらかの力(機能)が加えられていたと理解できると思います。つまり、言葉そのものに「力」があるというよりも、言葉にはなんらかの「はたらき」を付属させることができる。言葉とは、そういう特徴(力)を持っていると言えそうです。私たちが日常で使う「パスワード」などもその一例かもしれません。
そしてもう一つ、こちらはマンガ『ジョジョの奇妙な冒険』からのスピンオフ、短編小説として描かれた『岸辺露伴は動かない』の中にも、不思議な力を持つ言葉が登場します。NHKでドラマ化されたことでも話題となりました。
それは「くしゃがら」という言葉ですが、この言葉は、とにかく正体不明。いくら探しても調べても、どういう意味の言葉なのか一切わかりません。だからこそ、気になりだしたら最後、この言葉にとり憑かれたようになり、廃人のようになってしまう。主人公の岸辺露伴はこの言葉を、人の好奇心を通じて伝染する「言葉そのもの」あるいは「この世の禁止用語」と表現していますが、全く意味が不明な言葉でありながら、人の心を掴んで離さない力が言葉にはあるのだ、ということを示唆しているようにも感じられるエピソードでした。
そう言えば少し前にTwitterで国交省北海道開発局が「ばばばばばばえおうぃおい~べべべべべべべべべえべえええべえべべべえ」という謎のツイートをしていたことが話題になっていました。なんらかの手違いから起こったことだと考えられますが、この言葉(というか文字列)が広く拡散され話題になったのは、「くしゃがら」という言葉に惹かれてしまうのと、同じような現象だったのかもしれません。
名をつける
けれどこのような特殊な例だけではなく、私たちが普段使っている言葉にも、実は力があるのではないでしょうか。岡崎玲子さんのマンガ『陰陽師』の中には、次のようなセリフが出てきます。
この世で一番短い呪(しゅ)とはなんだろうな
名だよ
呪とはようするにものを縛ることよ
ものの根源的な在様(ありよう)を縛るというのは 名だぞ
「名」とは言葉です。名をつけることは、物事を言語化することであり、そのものの在様を固定化していく。つまり言葉を用いて、縛りをつける、枠組み化することであり、それが陰陽師の用いる「呪」と呼ばれるもののベースにある、ということを言っているのでしょう。
その一例になるのかどうかわかりませんが、Twitterでこんなつぶやきもありました。
何かわからないもの(現象)でも、それに名をつける、つまり言葉を用いて扱っていくことで、その不確かなものを固定化していく。それによって、人間の理解を超えたものを、人間の領域へと引きずり込んでしまう。そういう機能が言葉にはあるのかもしれません。私たち日本人にとって馴染み深い「妖怪」という存在も、もともとはよくわからない不思議な「現象」だったものに名前を与え、言語化し、姿を与えていくことによって、私たちが理解できるものへと変化させていった。そしていつの頃からか、恐怖の対象だったものが愛されるキャラクターにまでなってしまうわけですから、名前をつける、言語化することには、やはり力があると言えるでしょう。
名の持つ力
他にも、この「名」には力があると考えることができます。例えば「リンゴ」という言葉。この「リンゴ」という名(言葉)一つで、私たちはある果物のことを想像できるでしょう。皮が赤くて、皮を剥くと白い果肉があり、食べるとシャクシャクとした歯ざわりがして、ほのかな酸味と甘味のある、あの果物です。
しかしもし、「リンゴ」という言葉を使わずに、その果物を表現しようとすると大変です。その果物の持つ特徴を全て羅列しなければなりません。落語の「寿限無」ではありませんが、いちいちそのようなことをしていては、なかなか意思の疎通が図れません。そう考えると、「名」というものは大変便利な道具です。
一方で、別の角度からこのことを考えていきますと、この「リンゴ」という言葉自体には、「リンゴ」そのものの持つ特徴、「皮が赤くて、皮を剥くと白い果肉があり、食べるとシャクシャクとした歯ざわりがして、ほのかな酸味と甘味のある」というものがあるわけではありません。ところが、「リンゴ」という言葉一つで、その特徴をもその言葉の中に含んでしまうことができます。
そればかりか、「リンゴ」という言葉一つで、リンゴが好きな人は「リンゴ食べたいなあ」と思うかもしれませんし、リンゴにまつわる思い出がある人はその思い出を思い出すかもしれません。そう考えてみますと、「リンゴ」という言葉には、リンゴそのものの持つ特徴を含み込んでいくことができ、そのイメージを他者に届け、さらには心にいろんなことを思い浮かべさせる、そういうはたらき、「力」があるのではないでしょうか。
つまり、「名」には、そのものの持つイメージを収め込む器のような役割をし、そのもののイメージをそのまま他者に伝え、共有できる。さらには人の心に作用するはたらきも持つ。「名」は、本来的には物と物とを区別するための記号です。しかし、ただの記号を超えた力・機能というものも備わっている。そんな風にも見ていけるのではないでしょうか。
と、「言葉」が持ちうる力、というものを考えてみました。いろいろ書きましたので、最後にちょっとまとめておきましょう。
・言葉には何らかの機能を付属・付加させることができる
ex)「バルス」、「パスワード」
・言葉(名)は、漠然としたものを固定化するはたらきがある
・言葉は、理解できないものを理解できる形にする
・言葉(名)は、そのものの持つ特徴を収める器の役割を果たす
・言葉(名)は、イメージを他者に伝えることができる
・言葉は、人の心に作用する
ex)思い出の想起、「くしゃがら」「ばばばばばばえおうぃおい~」
(つづく)