言葉について考える その3 「言葉の扱いに気をつける」

前回は言葉のいろんな力・はたらき・機能について考えてみました。今回はそんな言葉の扱いについて、考えてみたいと思います。

言葉は人を動かすもの

前回、言葉にはいろんな力があることを見ましたが、もう一つ、言葉には力があることを確認しておきたいと思います。それは、「人を動かす」という力です。

これはごく単純に考えて、例えば家族との食事中に「お醤油とって」と言えば、届かないところにあるお醤油をとってもらうことができます。言葉によって、こちらがして欲しいことを伝え、他者の行為を促す。これは言葉が魔法のようにはたらいて他者の身体を動かしているわけではありませんが、言葉によって意図を伝えることで、他者の行動に繋げています。つまり、言葉が作用して、人の身体を動かしているのです。ただもちろん、他者は他者、その人の意志がありますから、必ず言葉の通りになるわけではありません。言葉を用いてお願いをしても、聞いてもらえないことも当然あるわけですが。

そして、言葉は身体だけではなく、他者の心にも作用します。例えば上記のように、「お醤油とって」とお願いをし、お醤油をとってもらう。その際に、「うん」とさも当然にように受け取るのか、「ありがとう」と言って受け取るのかで、おそらく相手の心には、違う印象を与えていることでしょう。

これと似たようなことが、Twitterでもつぶやかれていました。

https://twitter.com/surigoma2012/status/1355385515218857990

言葉の扱い方一つで、周囲の人に与える印象が変わってくる。これは、言葉が人の心に作用しているからだと言えるでしょう。

肉屋物語

お釈迦様の前世物語である「ジャータカ」には「肉屋物語」というエピソードがあります。こちら、ちょっと紹介するには長いので、こちらのリンクからご一読いただければと思います。

さて、この物語はなにが言いたいのか、と申しますと、やはり言葉の扱い方ではないでしょうか。他者に対してどのような言葉をかけるのか。その違いは、自分が他者をどのように見ているのか、ということの一つの現れです。言葉のかけかた一つで友情が生まれることもあれば、逆に関係が壊れてしまうこともある。言葉は、私の心の現れであり、そして他者の心にも作用していくもの。ですから、この物語の中でも他者を敬う心や言葉が勧められているのです。

他にも、私たちは言葉によって綴られた詩であったり、歌であったり、物語に心を動かされることもあります。逆に、ネットに飛び交う心無い言葉に心を痛めることもあります。言葉は、良くも悪くも、私たちの心に作用し、揺り動かすものであり、私たちは、言葉によって心や身体も揺り動かされる存在なのです。

さらに注意が必要な言葉

このように、自分の心の現れであり、他者の心に作用するはたらきがある言葉ですから、言葉の扱いには、十分注意が必要であることは言うまでもないでしょう。それだけではなく、さらに注意しなければならない言葉もあります。

それは、他者を縛りつけるような言葉です。これは私もよくやってしまうこととして以前「仏コラム」にも書きましたが、属性で人を判断して言葉を選んでしまうことなどがそうです。例えば、泣きじゃくる息子に「男の子なんだから」と声をかけたり、弟とおもちゃを取り合う長男に「お兄ちゃんなんだから」というような言葉がそれにあたります。

このように、大きな主語を用いて一般化して物を語ったり、属性による偏見で他者を判断することは、差別にも繋がるものです。そして、人の行動や思考を縛り付けたり、自分の都合のいい方向に向けようとしたり、コントロール、支配しようとする意図も見え隠れしています。ですから属性や大きな主語を扱う際には、危険性もあるものとして、気をつけなければなりません。

他にも、「これは私は使わないようにしたいな」と思った言葉がありました。それは「マウントをとる」という言葉です。例えば、自分がなにか間違った発言をした時に、「それは違います。正しくは◯◯ですよ」と指摘されたとしましょう。そのように指摘された時に、もし「マウントをとってきた」というような言葉を使うと、たとえ自分の側に間違いがあっても、指摘してきた側を「悪者」のように仕立て上げることができてしまいます。同時に、自分は悪くない、間違っていないという立場に立つことができるため、どれだけ自分が間違っていても、それを省みることができません。それはつまり、自分の間違いを正せなくなってしまうことでもあり、学びを放棄する姿勢でもあり、とても危ういところに自分を追い込んでしまう言葉であるように思います。

そんな危険を秘めた言葉ですが、使い勝手がいいと言いますか、便利な言葉であるので、ちょっと自分に気に入らないことを言われた際に、批判をかわすためについつい使ってしまうのがこの「マウントをとる」という言葉です。

しかし、こうして「マウントをとる」という言葉に気をつけよう、ということも、自分に向けるのではなくて他者に向けてしまうと、相手の言動を縛るための言葉となりますます。同様に、言葉遣いに気をつけようということも、自分ではなく他者に対して言ってしまうと、それは「トーンポリシング」になってしまいかねません。このようなことは、他者に向けて言うことではなく、自分自身への戒めとして受け取っていかなければならないことであると思います。

つづく

日下 賢裕

不思議なご縁で彼岸寺の代表を務めています。念仏推しのお坊さんです。