ブッダハイクvol.4 ボクがファンになったお坊さん古溪光大さん

「ラッパーになるの夢だったんですよね。」

そんな言葉を現実にした男がいる。しかも現役のサラリーマンであり、僧侶でもある。彼のRapには嘘がない。今の自分が感じていることを音に乗せ、そして韻を踏む。彼自身の心の葛藤や憧れが実に表現されているのだ。しかも、イケメン・・・もてるんだろうな。

「僕、もてたんですよね。」

やっぱり。そんなことを言えるようにボクだってなりたかったな。ボクは加齢臭と戦う中年、彼は清々しい26歳の若者。この違いは大きい。今回は、曹洞宗 雲門寺 僧侶 古溪光大(ふるたにこうだい)さんにブッダハイク。

彼とは、またまた同じく未来の住職塾NEXTで出会った。同じグループのボクたちは、夜な夜なオンラインで集まり、大いに語り合った。そして、一人一人が語っていたことがどんどん現実になっていった。彼もそうだ。

左上が古溪さん 右下がボク

「youtube始めようと思うんですよ。」

ボクたちは、彼の背中を押した。ここでは、誰一人、夢や目標を笑う奴はいなかったんだ。チャレンジを応援してくれること、面白がってくれることは、一人一人の力になっていた。YouTubeを始めた彼は、その中の企画で夢であったラッパーデビューしたのだ。有言実行。しかもクオリティ高し。

ラッパー、サラリーマン、僧侶。なかなか、ユニークな経歴だ。でも、経歴はあくまで経歴、それだけではその人のことは分からない。彼がどうしてそこに至ったのか、これからどんなビジョンをもっているのか、そんなことに迫っていきたいと思う。

彼は東京生まれ、東京育ち。悪そうな奴はだいたい友達ではない。お父さんが住職を務めるお寺があるのは群馬県。お父さんが東京で働きながら、週末は自坊に戻られるという生活をしていたそうだ。とはいえ、光大さんも一緒によくお寺に行っていたそうだ。行事ごとも参加し、いつしか自分も跡取りとしてお寺をやっていくんだという意識をもっていたという。

光大さんは、後継者と期待される自分自身のことは、小さな時は全く疑問をもたなかったという。でも、多感な時期を迎え、だんだんと疑問をもってくる。生まれながらに将来が決められている気がする自分。そして、中学受験がうまくいかなかったことによる自信の喪失。

「自分ってダメなやつなんじゃないだろうか。」自分を自分で認められない葛藤、もやもやの中で日々を過ごす違和感。「このままでいいのだろうか。」自問自答を繰り返したようだ。

「高校は、今までの自分とは違う世界で生きよう。」

そう決めた光大さんは、都内の私立の高校へ進む。中学受験はうまくいかなかったけど、高校受験がうまくいったこと。自由な校風の高校で、自分が思い描いていたような高校生活を送れたこと。そのことで、段々と自信を取り戻していく。

「めっちゃ楽しかったし、めっちゃ遊びました。」

そう話す彼は、都会のモテ男になっていた。羨ましすぎる・・・でも、高校時代の彼の写真を見ると、野球部でしっかり坊主頭だった。坊主頭でモテるなんて、これからの僧侶生活でもモテるんだろうなぁ。(つい、嫉妬してしまう煩悩まみれのボクだ。)

そして、大学も青春を謳歌する。みんなが羨むような企業でインターンをし、誰もが知っている大企業に就職。順風満帆。入社してからも、成績も優秀、気付けば中学時代の劣等感はいつの間にかなくなっている気がしたそうだ。

誰しもが何かしらのコンプレックスをもっている。あまり気にならないものから、人生に影響を与えるような大きなものまで。それは人それぞれだろう。

光大さんが、中学時代にもった疑問。

「自分ってダメなやつなんじゃないか。」

これの答えを探すように彼はガムシャラに生きてきたのかもしれない。ボクはそう感じた。

ボクは彼と関わっていく中で、不思議な感情をもった。それは、彼の生き様を受けとった上で、彼がもっとあるがままに生きることを後押ししたいと思うようになったんだ。上から目線のように見えるけど、ボクはそう思ったんだ。彼のファンになったっていいってもいい。どうして、彼に惹かれたのか。それは、ボクと彼が似ている気がしたからなんだ。ボクは決してモテないし、かっこよくはないけど、自分や誰かに認められるためにがむしゃらに働いてきたのは似ている気がした。

ボクのことを話すと、いい感じに教員生活を送っていた。全国で使われる教科書を執筆したり、市内の研修を担当するような立場にもなっていた。そういうポジションを得ることができたのは、能力と実績を高め人脈に恵まれたからだ。でも、どこかで満たされなくなっていく自分。目に見えるものはたくさん手に入れたのに・・・一度リセットしたかった。そして、また目の前の子ども達と歩み直したかった。それも、教員を辞めて自坊に戻るきっかけになったことは確かだ。そんな自分と、彼の生き方を重ね合わせているところがあったんだ。大きなお世話なんだけど、そう感じたんだから仕方ない。

何度も何度も、ZOOMで話したり、リアルで横浜であったりしていく中で、光大さんはどんどん自分と向き合い、前進していった。それは、何かに導かれているようでもあった。

「劣等感を打ち消すように、お寺とは全然関係ないところでも、自分は全然できるということを証明したかったのかもしれない。」

こうやって話す光大さんの表情は晴れやかだ。自分の感情や経験を、大好きなRapで表現するのが古溪琉。つくづくカッコいいのが、ちょっと悔しいけど、許そう。

その中の一節(Tie Lifeから)https://youtu.be/YTSuGaiHzPw

「俺が俺の一番の応援者

この人生、誰も替えがきかないんだ

常に問う 自己のルーツ それは何か

失敗はない 淡々と動くのみだ」

気取らずあるがままの自分を追い求め、彼は生きていくのだろう。そんな彼は今月、会社を退職する。年明けには永平寺に修行に行くのだ。そこでも、また新しい気づきが生まれ、自分の生き方に軽やかに組み込んでいくだろう。

無常

ボク達もまた変わり続ける。Rockに生きよう。永遠に青春だ。

古溪さんのYouTubeチャンネルはこちら

https://www.youtube.com/channel/UCmCnBq7Xyon7iToRuXMOQsQ

三重県 伊賀市 浄土真宗 高田派 大仙寺 副住職/てらこや大仙寺 主宰 横浜国立大学卒業後、国際協力、11年間の小学校教諭の道を経て現在に至る。現在は自坊で寺子屋を開設。30人の子ども達と遊んだり学んだりの日々。