墓掃除が教えてくれたこと

お寺に戻り一ヶ月が経過した。なんだかんだ、適応してきている自分にちょっとびっくりする。朝6時には自然と目が覚める。目覚まし時計は、なかなか起きてこない娘にあげようと思う。

そんなお寺生活で今大事にしていることがある。それは、檀家さんとのつながりだ。よく考えれば、19年も離れていたのだ。檀家さんで今のボクのことをよく知っている人はほとんどいない。これは当たり前のこと。でも、そのことに気付いていなかった。小さい頃のボクを知ってくれているから、今も知ってくれていると思い込んでいた。時間は流れている。そして、ボク達だって変わり続けているんだ。松本紹圭さんとのZOOMでの相談で、そのことに気付かされた。相談できる人がいるのはありがたい。一人じゃないんだ。

そのことに気付いてすぐに、墓掃除があった。今回は、その墓掃除の朝について書いてみたいと思う。

朝、6時起床。妻は先に起きて化粧中。あっそうだ、今日は墓掃除の日だ。うちのお寺は毎月1回墓掃除をしている。歯を磨いて、着替えて、境内を掃除する。父とただ黙々と。父の背を見て、歳をとったな、苦労かけたなと思ってしみじみする。こうやって一緒に掃除する日が来るなんて・・・

ぼと・・・

鳥の糞が今まさに目の前に落ちる。さっきこすったとこなのに。これもまた行道なのか。そうこうしているうちに、最初の檀家さんが来寺。ありがたい。

その後も続々と。だいたい10人ぐらいだろうか。一人一人に丁寧にお礼を言って、お寺に戻ってきたことを報告。うちの墓掃除は、基本的にはお墓の掃除を一緒にする。みんなのお墓を丁寧に丁寧に。

墓掃除の前日、父に提案したことがある。

「父さぁ、お墓掃除もいいよね。本堂や境内だってやりたい人はやってもらっていいんじゃない?本堂だって気軽に上がって欲しいしさ。」

「あーええんちゃう。。好きなところしてもらたらええわさ。手伝ってって言ったらみんなやってくれるよ。」

そんなこんなで、ボクは檀家さんと一緒に本堂の縁を拭きたいなって思っていたんだ。黄砂で汚れているし、本堂にも気軽に入ってほしいなって。

簡単なことなのに、なかなか声がかけられない。くそーー、これも仏の道なのか。乗り越えよう。

「あのぁ、一緒に手伝ってもらってもいいですか?」

世界一か細い声だった気がする。

「はい。もちろん。」

優しい返事が返ってくる。妻と3人、本堂の縁を拭く。どんどん綺麗になっていく。

「日ごろ、こういうことすることないですから。」

と終わった後に声をかけていただいた。小さな一歩だけど、踏み出せた気がしたんだ。

神社は入りやすいのに、なんだかお寺は入りにくい。これは、友人に言われた言葉。たしかにそうかもしれない。お寺には門があるし、本堂は閉まっているし、何よりそこに住んでいる人がいるから、入りにくいのもうなずける。もっと気軽に立ち寄れるようにしたい。本堂の中のあのひんやりした空気や雰囲気だって分かち合いたい。でも、それって押し付けるものじゃない。だから、いつでも入れるよということを大切にしていこうと思うのだ。

この一歩があってから、本堂のドアを開け、いつでもお参りできるようにしている。小さなことだけど、紅葉が色付くように広がっていくといいなって思う。ボクはまだお寺に入って一ヶ月。檀家さんはじめ、近くにいる人たちとのつながりを作っていこう。そう考えると結構忙しい。お寺のお便りに自分たちの自己紹介を載せたり、ホームページを作ったり。

コロナが落ち着いたら、一件一件挨拶に行きたいなって思う。今はそれは難しいから電話でもいいのかもしれない。

両親が築いてきた信頼や関係性も大切にしながら、ボク達次の世代も、焦らずつながりを作っていこうと思う。妻や子ども達という大切な仲間がついている。そうこうしているうちに、妻がインスタグラムを始めたり、門の前の掲示板を毎日、手書きで書き始めたりしている。妻もまた一歩を踏み出している。なんだか嬉しい。

墓掃除の小さな一歩が、着実に2歩3歩に繋がっている気がするんだ。焦らずのんびりいこう。

今日も、また風が気持ちいい。

三重県 伊賀市 浄土真宗 高田派 大仙寺 副住職/てらこや大仙寺 主宰 横浜国立大学卒業後、国際協力、11年間の小学校教諭の道を経て現在に至る。現在は自坊で寺子屋を開設。30人の子ども達と遊んだり学んだりの日々。