なぜ他者を傷つけてはならないのか?

小山田氏の問題に続いて、というわけではありませんが、メンタリスト・DaiGo氏のYouTubeでの発言が問題となりました。ホームレスの人や生活保護受給者を差別し、暴力を助長する主張が平然と為されてしまうというのは、本当に悲しいことです。

小山田氏の問題同様、この件も多層的でいろんな問題を孕んでいるかと思いますが、ここではタイトルにもありますように「なぜ他者を傷つけてはならないのか?」ということについてを考えていきたいと思います。

この疑問に関しては、実は仏教は明確な答えを私たちに与えてくれています。それは次のような言葉で示されています。

心によってあらゆる方向を探し求めても、自分より愛しい者はどこにも見つからなかった。他の人たちにしても同じである。みなそれぞれに自分が愛しいのだ。だからこそ、自己を愛する人は他者を害してはならない。

『サンユッタ・ニカーヤ』

自分にとって自分より愛しい存在はない。これは誰にでも当てはまること、つまり他者にとっても同じで、誰にとっても自分が愛しいのです。だからもし、自分を大切だと思うのであれば、同じように思っている他者の思いも尊重しなければならない。だから、他者を害してはならない。とてもシンプルでわかりやすい教えであると思います。

この言葉が教えてくれるのは、仏教が他者を害してはならない、他者を尊重しようとするその理由は、「その他者になんらかの価値があるからということではない」ということです。

お金持ちであろうがなかろうが、税金をたくさん収めていようがそうでなかろうが、努力をしていようがしていまいが、人より優れた能力があろうがなかろうが、肌の色や生まれや性別や職業や今置かれている状況がどのようなものであろうが、そのようなことは一切関係がない。ただただ、自分が一番大切ならば(それを実現するために)、他者の思いも尊重しましょうと言っているのです。

ではどうして、他者を害さないこと、他者を尊重することが、自分を一番大切することにつながるのか。それは、逆に他者を尊重しなくてもいい、傷つけてもいい、というような社会のあり方であるならば、そこでは自分自身もまた他者から尊重されず、いつ攻撃の対象となってもおかしくないからです。そのようなことに怯えないようにするためには、人と人とがお互いに「自分が大切だ」という思いを尊重し合う他はないのです。

もう一つ、ブッダの言葉を紹介しておきましょう。

すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。

すべての者は暴力におびえる。すべて(の生きもの)にとって生命は愛しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。

『ダンマパダ』

こちらは人が人を殺めてはいけない理由が端的に表されています。「己が身にひきくらべて」というのは、暴力の被害にあう側に自分の身を置いてみなさい、ということです。暴力や死を恐れ、自分が最も愛おしいと思うならば、他者も同じように思っている。だから殺してはいけないし、殺さしめてはいけないよ、と示されています。こちらもとてもシンプルな理由です。

私たちが生きる社会はとても複雑で、いろんな価値観があり、人それぞれ大切にしているものが異なります。ですから、人それぞれの価値観に「合う/合わない」ということが出てくるのは当然ですし、自分にとって「必要/不必要」という判断に迫られることもあるでしょう。全ての人と仲良くできればいいですが、「あちらを立てればこちらが立たず」というのも世の常です。

しかし、仮に自分の都合に合わない人であっても、自分にとって必要がないとか無関係だと感じる人であっても、人の命や存在に対して自分勝手に優劣をつけ、自分にとって価値がないと判断されたものは排除してもいい、と考えてしまうのは、やはり危険な考え方であると言わざるを得ません。

そしてこれは、今の社会において、障害者や女性に対する暴力や差別として表出している考え方でもあり、今回のDaiGo氏一人に当てはまることでは決してありません。常に自分勝手な価値判断をして生きている私自身にとっても、決して無関係なことではないのです。

様々な価値観がある複雑な社会を生きる私たち。だからこそ、今一度こうして仏教が示すシンプルで普遍的なところに立ち返って、「なぜ他者を傷つけてはならないのか」ということを考える必要がある。そのようなことを考えさせられました。

日下 賢裕

不思議なご縁で彼岸寺の代表を務めています。念仏推しのお坊さんです。