「今年も花まつり!お釈迦さまも辛いカレーを食べていた!?」の記事をお書きいただいた、仏教伝道協会の柳衛悠平さんから、今回「お盆」に関する記事をご寄稿いただきました。「お盆」という言葉の由来について、実に興味深い内容となっておりますよ!
皆さん、暑くなってきましたねぇ……ちょうど台風6号が熱帯低気圧に変わり、関東地方が梅雨明け宣言とのニュースを耳にしながら、この原稿をタイプしております。
お盆のはじまり
さて、夏の仏教行事といえば、何と言ってもお盆(盂蘭盆会:うらぼんえ)です。僕が仏教とご縁を頂いたのは京都だったので、「お盆といえば8月!」だったのですが、関東に戻ってきて7月にお盆の地域もあることを知りました。なお、お盆は英語では「Buddhist Ghost Festival in East Asia」と表現するみたいですね。(*1)
昔、俳優の大沢たかおさんと石田ゆり子さんが出演した『解夏』という映画がありました。あの「解夏」という言葉は、お盆と深く関わっております。本来、仏教教団に属する出家者は様々なコミュニティを遊行して回っていました。けれども、雨季は虫や小動物を踏んで傷つけてしまわないように、僧院に定住して修行をおこなう慣例があったのです。これを「安居(あんご)」といいまして、現在でも仏教教団では夏におこなう学問研鑽の場の名前として残っております。この夏の安居が明ける時が「解夏」です。
お盆の起源とされる『盂蘭盆経』のあらすじですが、「神通第一と讃えられた目連尊者が、その力でもって亡くなったお母さんを探すと餓鬼道に堕ち、飢えと渇きで苦しんでいた。何とか助けようとしても、口から吐く火で食べ物は焼け、水は蒸発してしまう。お釈迦さまに助けを求めたところ『安居の最終日(=解夏)に、出家者に食事の供養をしなさい』との助言を得て、その通りに実行したら、出家者の喜びが餓鬼道にも伝わり、お母さんも救われた」というものです。この伝承に基づき、中国では6世紀には行事としての盂蘭盆会の原型が出来上がったとされていて、日本でも7世紀半ばには『盂蘭盆経』に基づく法要を営んだ様子です。
「お盆」という言葉の由来
さて、数日前に仏教学研究に関心のある方々にとって、衝撃的な、そして悲しいニュースが全世界に伝わりました。まさに天才的な言語的センスでもって、『法華経』を中心とした大乗経典の成立史を飛躍的に前進させた辛嶋静志先生が突然逝去されたのです。この辛嶋先生が言語学的な見地から提示された説は数多くありますが、そのうちの一つが「盂蘭盆」の語源についてです。
従来、「盂蘭盆」は7世紀の玄応が記した『一切経音記』という記録によって、インドの言葉サンスクリット語で「逆さ吊り(倒懸:とうけん)」という意味の「ウランバナ」の音写語であるとされていました。けれども「もう一度、経典自体を読んでみましょう。経典にはそんなこと書いていない(*2)」と再解釈を試みたのが辛嶋先生です。
辛嶋先生の“技”で最も異彩を放つのが、文語のサンスクリット語から口語(プラークリット)であるガンダーラ語への音の変化を想定し、漢訳された音写語との関係を復元するという独自の方法です。それによれば、インドの文語が口語になる際の特徴として、”D”の音が“L”の音に変化するのだそうです。これを踏まえますと、出家者に供養する「ご飯」を意味するオーダナ(Odana)の”D”が“L”に変化してオーラナ(Olana)となり、それが漢訳される段階で「盂蘭(yulan)」となったと論じております。
さらに『盂蘭盆経』の中には「(僧侶たちに)盂蘭盆を捧げなさい」という一節などがあり、それも加味して考えますと、ここに出てくる「盆」という言葉は、「オーダナ(ご飯)」を乗せる容器としての「盆」という意味として考えられるのではないでしょうか。
その結果、「(出家者に供養した)ご飯という経」“Odana-Sutra”が「盂蘭盆経」という名前で漢訳されたというのです。つまり「お盆」という言葉の本来の意味は、まさに器としての「盆」という言葉にあると、辛嶋先生は分析をされたのです。
この分析に基づき、従来中国撰述(中国で制作された)のお経と低く評価されてきた『盂蘭盆経』について、そこに説かれる要素はインド文化に根差したものであり、鳩摩羅什の訳語よりもはるかに古い言葉の用例が見られる経典だと再評価をされたのでした。
日本の夏、お盆の風景
「盂蘭盆=逆さ吊り」という説は古くから伝わっているものであり、それに基づいた習わしもあります。例えば浄土真宗では、まさにこの「逆さ吊り」をモチーフとされる、赤と黒で彩色された切籠灯篭(きりことうろう)というものをお仏壇やお寺の余間につるします。盂蘭盆という言葉に別の意味があったとしても、この切籠灯篭を「逆さ吊りは間違い!」と撤去するのは、それはそれで極端な見方だと思います。
盂蘭盆会は日本人にもっとも馴染みの深い仏教行事ですから、「風物詩」のような要素も大事でしょう。それこそ、切籠灯篭に限らず、胡瓜や茄子で作った精霊馬(毎年、Twitterではゾイドのような大作が流れますね!)や五山の送り火などは、「あぁ、お盆だなぁ……」という何処か懐かしい気持ちを呼び起こします。
あるいは、お盆に新たなお参りの形を生み出すというチャレンジも面白いかもしれません。それこそ、浄土真宗では報恩講の際に大きな御仏飯(大仏供)をお供えしますが、とても迫力もあるので、お盆でもやってみても面白いかもしれません。また、『盂蘭盆経』にはお盆に乗せた「百味飲食」という記述がありますが、浄土真宗では『仏説無量寿経』にある同じ「百味飲食」という記述に基づき、葬儀式や婚儀などで「お菓子で出来たタワー」のようなものを飾ります。これを盂蘭盆会の荘厳としても面白いかもしれませんね。(……後で叱られるカモ……)
仏典の記述を見直しながら、単なる「御先祖様、ありがとう!」に留まらない、他者への供養の大切さ、気取った言い方をすれば「シェアする大切さ」を思い起こす新たな意味付けが盂蘭盆会という日本最大の仏教行事に生まれればなとも念じる次第です。
辛嶋先生を偲んで
最後に、僕の大好きな辛嶋先生の一言をご紹介しましょう。
「例えば「『○○経』について○○先生がこう言っています」なんて言う前に、その経典を三回ほど読みましょう(*3)」
こうした金言を心に刻みながら、ご縁を頂いた御聖教をじっくりと読んでいくことこそが、僕ら後進に託された願いではなかろうかと、「安居」というキーワードとともに、亡き先達のご苦労のお偲びとして、改めて思い起こすことです。
合掌
*1 Seishi Karashima「The Meaning of Yulanpen 盂蘭盆 —“Rice Bowl” on Pravarana Day」(『創価大学国際仏教学高等研究所紀要』16、2013年)
*2 辛嶋静志「言葉の向こうに開ける大乗仏教の原風景—経文に見える大乗、一闡提、観音、浄土の本当の意味—」(『真宗文化』22、2013年)
*3 辛嶋静志「言葉の向こうに開ける大乗仏教の原風景—経文に見える大乗、一闡提、観音、浄土の本当の意味—」(『真宗文化』22、2013年)