イノシシの教え

皆様あけましておめでとうございます。本年も彼岸寺をどうぞよろしくお願いいたします。

さて、昨年の年明けには「戌年」にちなんで「犬の教え」というコラムを書いてみました。続けて「亥年」の今年もイノシシにちなんだ何かを、と思いましたが、仏教とイノシシ……これがなかなか接点がなさそうで難しい。しかし、調べてみますと仏典にはイノシシの習性にたとえて、修行者の心構えを説く一説があるそうです。今回はそれをちょっと見てまいりましょう。

猪は熱し焼けつくような夏季が到来すると水に近づくように、禅定者は怒りのために心が狂乱し、顛倒し、混乱し、熱したときには、清涼・甘露・美妙の慈心の修習(瞑想)に近づくべきである。また、猪は泥水に近づくと、鼻で地を彫り、水溜めをつくり、その中に横臥するように、禅定者は心統一のための対象の真中に入って横臥するべきである。

中村元 編著『仏教動物散策』より

と、こんな一説が『ミリンダ王の問い』という仏典の中に出てくるそうです。イノシシというと、現代ではどちらかというとあまり印象の良くない動物で、作物を荒らす害獣としてみなされがちです。あるいは豚とも近い動物ですから、貪りの象徴のようでもあり、現に猪がモチーフとなっている『西遊記』の登場人物の一人である猪八戒と言えば、好色で食いしん坊、というイメージもあります。

しかし古代インドでは、ヴィシュヌ神の化身の一つの姿がイノシシであるとされ、大切にされていたとも言われます。少し厳しいのではないか……と感じられてしまうこの例えも、イノシシを神の化身、大切な動物であると見ていたならば、その姿から学ぶべきところがあるというように捉えられていたのかもしれません。

そう言えば蓮如上人も、「どれだけ仏法を聞いても、聞いている時は頷けても、また元のように戻ってしまう、まるで籠に水を入れるような愚かな私はどうしたらいいでしょうか?」という質問に対して、その「籠を水につけよ」と答えられたというエピソードがあります。私の当てにならない心に法を入れようとするのではなく、法の中に私を入れていく。この考え方は、どこか上記のイノシシの例え話に通じる部分があるようにも感じられます。

そしてもう一つ、仏教とイノシシと言えば、お釈迦様の死とも関わりのあるものと言われます。お釈迦様が最後にとられた食事はチャンダという人物から供された「スーカラ・マッダヴァ」という料理だったそうです。これはキノコ料理であった、という説もあるそうですが、豚肉、あるいはイノシシの肉であったのではないか、という説も有力なのだとか。この料理を食べた後、お釈迦様がお腹を壊してしまわれ、涅槃に入られたと伝えられています。

亥年の2019年。泥水に横臥するイノシシのように、仏法の中にしっかりと身を浸しつつ、暴飲暴食を控えて、健やかに過ごせる一年としたいものですね。

日下 賢裕

不思議なご縁で彼岸寺の代表を務めています。念仏推しのお坊さんです。