ブッダハイクvol.3 心が温かくなるお坊さん 朝倉恵昌さん

ボクは、小さな頃から天邪鬼で、人と違うことがしたいって思いながら生きてきたような気がする。中学3年生の卒業式前、高校の制服が早く着たくて、高校の制服を着ていって怒られたことを思い出す。なんだか、人と違うといってもスケールが小さい……

とはいえ、それからの人生も、みんなが右なら左、みんなが前なら後という感じに、天邪鬼に生きてきた。

気づけば、自分が付き合う仲間は、同じようなタイプの人が多い気がする。だから、いつも意見はまとまらず、それぞれ好きにしようみたいな感じになる。

自分の好みに合うように、ボク達の生活はできている。例えば、インターネットで何かを買うと、好みに合わせて、こんな商品はいかがですか?って表示される。知らぬ間に、自分という枠が強固に作られているのかもしれない。

それとは、全く違う出会いがあった。ボクが参加していたオンラインでお寺の運営を学ぶ「未来の住職塾NEXT」では、自分の意思とは関係なくグループが作られる。ボクのグループは、とても個性的な面々。ボクの仲間のタイプによく似たお坊さん達だった。でも、その中に一人、今までの人生ではあまり交わってこなかったタイプのお坊さんがいた。彼の名は、朝倉恵昌(あさくらけいしょう)さん。彼は自分でも言っていたけど、僧侶の王道を歩んできたお坊さんだ。

今回は、北海道 苫小牧市 浄土真宗本願寺派 真宗寺 副住職の朝倉恵昌さんにブッダハイク。

左下が朝倉さん、右下がボク

恵昌さんは、34歳。ボクの三つ下だ。たいして歳は変わらないけど、とにかく落ち着いている。人の話しもしっかり聴く。誰からも信頼を置かれるような人柄だ。彼と出会った時、天邪鬼のボクは、こんなに落ち着いているのはおかしい、何かあるんじゃないかと疑っていた。しかし、その予想は外れた。付き合っても付き合っても、好青年なのだ。

そんな彼に素朴な疑問をもった。この青年は、どうしてこんなに素直なんだろう。

恵昌さんは、苫小牧で育ち、高校卒業と同時に、京都の仏教系の大学に進学する。卒業後は、勤式声明や儀礼作法を学び北海道に戻った。実家のお寺に入るためだ。まさに、王道。お寺なんてイヤだと飛び出したボクとはあまりに違う。

でも、生き方が違うだけで、葛藤しながら生きているのは何も変わらなかった。恵昌さんは、若い時に、お参りに行くのができないほどの不調に見舞われたこともあるそうだ。それだって、自分を成長させてくれた良い経験と清々しくいえる彼はステキだと思う。

「恵昌さんは、自分の子がお寺してほしいって思う?」

ボクは恵昌さんに聞いてみた。この質問の意図は、自分が真っ直ぐお坊さんになったことをどう感じているかを引き出すことだ。

「子どもには、いろいろな経験をさせてあげたい。ボクは、お寺のことしかしていないから、子どもには、自分の好きなことをしてほしい。」

そう語る恵昌さんの言葉からも、葛藤しながら生きてきたのがよく分かった。そういえば、恵昌さんはボクの人生を面白がって聴いてくれる。ボクは、仏教系の大学出身でもないし、青年海外協力隊に参加したり、教員として働いたりしてきた。自分の好きなことを好きなようにしてきた。恵昌さんは、自分ができなかったことをしているボクの話だから、聴いてくれているのかもしれない。

それはボクだって同じだ。仏教に浸かってこなかったから、恵昌さんの話が新鮮にうつる。人はただ無い物ねだりをするものかもしれない。そんな恵昌さんだけど、今の自分を不満に思っているわけでもない。布教使としても活動し、決められた道を歩みながらも、いかに幅を持たせられるかをテーマに今を生きている。それだって、格好いいじゃないか。

恵昌さんは、自坊で寺子屋をしている。活動の内容をざっと説明すると、こんな感じだ。地域の0歳から2歳ぐらいの親子が、月2回ほど平日に集まって、読み聞かせをしたり、体操をしたりするゆるやかな場だ。ずっとやり続け、今では新聞に取り上げられるようなほど、地域の活動として根付いている。そして、この活動のきっかけが、まさに彼らしさを表している。

早くに結婚した恵昌さんには、お子さんが二人いる。子どもが生まれた時に、他の小さな子と繋がるにはどうしたらよいかと檀家さんに相談したそうだ。すると、元校長先生のその方は、「よし、一緒に子育て寺子屋をしよう」と提案してくださった。

それからは、二人三脚で読み聞かせの会などを重ねていった。どんな子であっても、そのままを受け取る檀家さんの姿から、子どもとの関わりを学んでいった。

ふと始まった、「子育て寺子屋」は恵昌さんのライフワークになっていく。そんな時に、その檀家さんの訃報が届く。後に、親族の方から亡くなる直前にも、寺子屋のことを気にかけていたということを聞いた。恵昌さんは、これで辞めるわけにはいかないと感じたという。考えたのではなくて、直感的にそう感じたのだ。昔を思い出しながら話す恵昌さんの声は、とても優しい。

それからも、「子育て寺子屋」は保護者の協力もあってずっと続いている。このエピソードは、恵昌さんの生き方が表れていると思う。いのちのリレーとは、こういうことなのではないだろうか。その真っ直ぐな生き方に触れるたびに、ボクの心が温かくなる。あっそうか、彼は「ホットマン」なんだなぁと思った。(ちなみに「ホットマン」はハートフルな漫画で、週刊ヤングジャンプに連載されていた)心を温めるホットマン。その言葉がしっくりくる。

僧侶として、どう生きるか。自分に問われているような気がした。

三重県 伊賀市 浄土真宗 高田派 大仙寺 副住職/てらこや大仙寺 主宰 横浜国立大学卒業後、国際協力、11年間の小学校教諭の道を経て現在に至る。現在は自坊で寺子屋を開設。30人の子ども達と遊んだり学んだりの日々。