日々の生活の中で、つい他人と自分を比べてしまい、不安になったり苦しくなったりする事ってありませんか。例えば、「同世代の友人は結婚しているのに、自分はまだ独身だ」と不安になることや、「自分の家庭よりも、友人の家庭が良くみえる」と苦しくなることなど色々とあるでしょう。私たちは知らず知らずのうちに他人と自分を比べながら、時には苦しんでしまう存在のようです。
ところで、どうして私たちは他人と自分とを比べてしまうのでしょうか。もしかしたら、そこには明確な答えなどなく、気づけば比べていたという事が多いのかもしれません。ですから、不安や苦しみをつくらない為に「比べるな!」と言われたとしても、難しいのです。むしろ、比べてもよいのではないでしょうか。
ただ、他人と比べることで、自分に「足りない」と思う部分をみつけることがあります。それが問題なのです。「私にはこれが足りない」。そう思うと、不安や苦しみが顔を出します。私たちの心は欲深いもので、自分に「足りない」ものを見つけることが上手です。また、一度「足りない」と思うと、気になりだし、挙句それを欲しようとします。欲すれば欲するほど「足りない」ものが強調され、不安や苦しみは大きくなっていくものです。
一方で「足りている」ところには、なかなか目が向きません。時には、目が向かないどころか「足りている」こと自体に気づかないこともあります。どうやら私たちの心には「欲する」という心の病が潜んでいるようです。自分が病に侵されていると気づけば、症状が酷くならないよう労ることもできますが、病であると気づけなければ、症状は酷くなることもあるでしょう。
この心の病に対する良薬は仏教です。仏教では「少欲知足(しょうよくちそく)」という言葉があります。今の内容的に説明するならば、「足りない」部分をみつけだす世界を生きるのではなく、「足りている」世界を歩みなさい!と教えてくれる言葉です。「足りている」世界、そんな世界こそ、他人を認めていくことができる世界ではないでしょうか。「足りない」部分をみつけだす世界と、「足りている」世界と、あなたはどちらの世界を歩みたいですか。因みに私は後者です。
最後に「足りている」世界を歩むには、どうしたらいいのでしょう。まずはどんな些細なことでも構いません。自分の「足りている」部分をみつけノートに綴り、毎日落ち着いた時間や場所、時にはお寺の本堂などで確認してみることから始めてはいかがでしょう。
●網代豊和(あじろ とよかず)さん プロフィール
埼玉県東松山市 浄土真宗本願寺派・西照寺 副住職
東京仏教学院 講師
教誨師
上級プロフェッショナル心理カウンセラー
一言自己紹介
人生のあらゆる”けじめの場”としてお寺が利用されるよう意識しながら、日々の取り組みをしています。お寺という空間は、不思議と心が落ち着き、自分を見つめるには絶好の場所です。特にご本尊の前は、気持ちも新たに身が引き締まる思いがします。そして仏教があることが大事です。まずはお寺に触れてもらいたい。最近はお寺に人を呼ぶことを考えイベントを企画したり、一緒にお寺の企画を手伝ってくださる方を募集しています。