京都のお盆「迎え鐘」と「送り火」

お盆シーズンに入ってお坊さんたちは忙しそう。そして、街でもお盆の準備が始まっています。

八百屋さんやスーパーでは、「お盆セット」という野菜セットが並びはじめました。お精霊さんを「馬のように早く」ときゅうりの馬でお迎えして、「牛のようにゆっくりと」となすびの牛で帰っていただくようにと祈りをこめる精霊馬のためのきゅうりとなすび。お供えのかぼちゃやサツマイモなどが入っているようです。

私の実家はお仏壇がなく、お精霊さんをお迎えしたりお送りするという行事をしたことがありません。祖母宅で迎えるお盆も、お坊さんがお参りに来られてお墓参りに行くだけで、精霊棚というものも見たことがありませんでした。

お盆に「先祖を迎えて、お送りする」という感覚が身にしみてきたのは京都暮らしが長くなってからのことです。

お迎えの行事で有名なのは六道珍皇寺の「六道まいり」。かつて、六道珍皇寺から東側は鳥辺野と呼ばれる葬送の場だったことから、冥土への入り口となる分岐点「六道の辻」の石碑が今も残ります。六道珍皇寺には、精霊が迷わず家に帰れるように打ちならす「迎え鐘」があり、お迎えの時期には参拝者が列をつくってひっきりなしにゴーンゴーン! ちょっと面白いのは「引っ張って鳴らす」ところ。なんだか「はよ帰ってきよし!」っていう感じがしますよね。

送る行事といえばやはり、8月16日の「五山送り火」が有名です。まるでファイアーワークイベントのように思っている人も少なくありませんが、「大文字焼き」なんて言うと京都の人は顔をしかめるのでご注意を。五山送り火はお盆でこちらに帰ってきていたご先祖さまをお送りする行事として、各山の保存会の方が大事に守っておられます。

そして、五山送り火のときには寺町三条の矢田寺で「送り鐘」が鳴らされてお盆は締めくくられます。

こういう行事を毎年見ていると街全体で、死者を迎えて送り出しているような感じがしてきます。今ではすっかり「ああ、今年もお精霊さんが来て帰らはったなあ」という気持ちになってきました。

「死者がこの世にやってきてまた冥土に帰る」なんてハッキリ言ってファンタジーです。でも、何度も繰り返し味わっているうちに「なぜかわからないけれど腑に落ちる」ということが起きてきます。「お盆休み」といえば「大人の夏休み」の代名詞のようになっていますが、「お盆ってそもそも何だろう?」と興味を持って見ていると、ふだんの暮らしでは得難い感覚を味わうことができるんじゃないかなと思います。

今年のお盆、みなさんはどんなふうに過ごしますか?

お坊さん、地域で生きる人、職人さん、企業経営者、研究者など、人の話をありのままに聴くインタビューに取り組むライター。彼岸寺には2009年に参加。お坊さんインタビュー連載「坊主めくり」(2009~2014)他、いろんな記事を書きました。あたらしい言葉で仏教を語る場を開きたいと願い、彼岸寺のリニューアルに参加。著書に『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』(フィルムアート社)がある。