「マッドマックス 怒りのデス・ロード」をお坊さんが見ると【ネタバレあり】

昨年話題となった映画「マッドマックス 怒りのデス・ロード」。核戦争後の荒廃した秩序なき世界を描いた映画で、27年ぶりの新作、そしてその独特の世界観で話題となりました。

評価的にはいろいろ賛否はあったようですが、個人的にはとても楽しめました。ド派手な衣装やアクション、ヒャッハーな世界観ばかりに目が行きがちですが、考えさせられる部分もありましたので、今回は「マッドマックス 怒りのデス・ロード」を見て考えたことをつらつら書いてみたいと思います。と、ここからは少々ネタバレも含みますので、まだ映画を見ていない方はご注意をば。

この映画を見終わって、まず一番最初の感想としては、「あ、今作はロードムービーだったんだな」ということでした。恐ろしい支配者イモータン・ジョーの元から逃亡するフュリオサと5人の女性、そして主人公のマックス、ジョーの手下であったニュークスというメンバーで、まだ緑の残る楽園「緑の地」を目指す、というのが大まかな物語の筋です。

もちろんその逃亡劇の中で敵の妨害やらいろんな出来事が起こってくるわけですが、物語の終盤に大きな転換が起こります。旅の目的地が「緑の地」から、フュリオサたちが当初いた土地、イモータン・ジョーが支配する「シタデル」に変更されます。つまり、もと来た道を再び戻るという大転換が起こるのです。正直、この展開には驚かされたのですが、理想郷を求めて旅に出るも、再び故郷へと帰るという物語は、『青い鳥』にも見られるように、古典的であるのかもしれません。

そしてこの物語の有り様をよくよく見ていくと、仏道を歩むことにも通じる部分があるのではないか、ということを考えました。例えば荒廃した世界、というものは、先週ちらっと書いた善導大師の「二河白道の喩え」でも描かれます。一人の旅人が無人の荒野を西に向かって旅をしていると、その後ろから盗賊や猛獣が群れを為して襲ってきます。この盗賊や猛獣は、私たちの心の中に起こる欲望を表します。今回のマッドマックスで、マックス一行を追いかけるイモータン・ジョーは欲望を満たすために手段を選ばない悪の権化であり、人間の欲望を象徴したような存在と言えるでしょう。しかしそんな欲望の権化に追われているのは、マックスたちだけではありません。私たちもまた、日々いろいろな欲望に追い立てられる身です。あの逃避行は、まさに様々な欲望に追われつづけ、格闘し続ける私たちの姿なのです。

そしてもう一つ、理想郷を求めながらも、元の場所に還ってくるという展開にも、いくつか仏教的な解釈ができそうです。まず、理想郷を求めて困難な旅に出るということ自体が、さとりを目指すメタファーとして受け取れます。行いを正し、心を調え、自身の中から起こり続ける煩悩と闘い、あらゆる苦から離れた静かなる安心の境地、涅槃を目指すのが仏教の基本的な歩みですから、マックス一行の当初の姿は、それと重なります。あるいは、浄土を目指す姿に重ねても良いかもしれません。

しかし、一行は最終的には元いた場所に引き返すことになります。これは、本当に求めるべきものは遥か遠いところにあるものではなく、実は身近なところ、この私の「今ここ」にあると気づいていく姿に似ています。遠い未来に幸福を求めたり、ここではないどこかを求めるのでもなく、私が「今ここ」に在ることに根ざすことは、仏教の基本的な在り方でしょう。

あるいは、浄土教的な理解においても、例えば『仏説無量寿経』には、阿弥陀仏は遥か遥か彼方におられる仏さまと説かれながらも、『仏説観無量寿経』においては、「ここを去ること遠からず」と説かれます。これは、遥か遠くにおられる仏さまを求める中に、実は私が浄土を求めるのではなく、仏さまの側が私の「今ここ」に向かって来てくださっていたのだ、という大転換が起こる、ということです。先週紹介した七高僧と呼ばれる高僧方や、親鸞聖人の歩みにも、そのような大転換が見てとれます。

しかしそうかと言って、求める過程が全く無駄になるというわけではありません。マックスたちの旅も、最終的には出発地点に戻ってきましたが、出発した時とは、明らかに状況に変化が生じています。それは、旅の過程でイモータン・ジョーを始めとした敵を排除できたことであり、それぞれの人物の成長として表されています。行って帰ってきたということだけを思えば、なにも変わっていないのではないか、と感じられますが、実はそうではないのです。このようなグルっと回って元通り、ということは仏道を歩む中にもしばしば経験されることですが、その過程での気づきであったり、価値観の解体と再構築によって、大きな変化が生じています。釈徹宗さんの言葉を借りるならば、「螺旋状に深まる」ということです。行きつ戻りつすることは、一見無駄なようにも思えますが、実はそうではなかったということを、マックスたちの旅から学ぶことができそうです。

と、仏教的な視点から「マッドマックス 怒りのデス・ロード」についていろいろ考えてみましたが、いかがでしたでしょうか?いろんな観点からこの映画の解釈もされているようですが、このような立場から見てみると、またひと味違った楽しみ方や味わい方ができるかも?しれませんね。私もまた機会を作って、見てみたいと思います。

日下 賢裕

不思議なご縁で彼岸寺の代表を務めています。念仏推しのお坊さんです。