- 2009年夏、京都の町に現れたお坊さんのフリーペーパー『フリースタイルな僧侶たちのフリーマガジン』。鴨川を背景に袈裟姿の若き僧侶たちがずらっと並んだインパクトある表紙と、「お坊さんがフリペ!?」という意外性が話題を呼び、新聞やテレビにも取り上げられて注目を浴びています。今回は『フリースタイルな僧侶たち』略して『フリスタ』代表の池口龍法さんにインタビューしました。
大きくなったら「法然上人みたいになりたい」
何歳の頃だったのか覚えていませんけども、物心ついたときにはごく自然にお経を読んでいました。小さな小さなお坊さんの格好をしてね。「大きくなったら何になりたい?」と聞かれたら「法然上人みたいなお坊さんになりたい」と言ったらしくて。さすがに両親も驚いたと言っていました。
お寺で子供が集まる行事のときに見ていた法然上人の伝記アニメなどの影響もあったんでしょうね。法然上人は幼名を勢至丸といって、9歳のときに夜討ちに倒れた父に「親の仇を討つよりもみんなを救える教えを探しなさい」と遺言されるんです。自分たちと歳の近い勢至丸の姿が強く印象に残ったのかなと思います。
でも、自分の家がお寺であるという環境を自然と受け入れられたのは、10歳くらいまででした。だんだん世の中のことがわかりはじめると、世間と自分の家の違いもわかるようになってきますから。友達のお父さんと違って、父はたいてい家にいるけれど土日は休日ではないし。”友引”が休みでは、小学生の休みとは合わないですよね(笑)。自分の置かれている環境はもっと他の環境であってもよかったのではないかと思うこともあり、大人になってからもお坊さんになるかどうかずいぶん悩みましたね。
父の後をついてお盆のお参りへ
父と一緒にお盆のお参りに出るようになったのは、小学校3年生くらいからです。たとえ反抗期でふだんは口をきいていなくても、その時期だけはちゃんと袈裟姿で父と一緒に出かけていましたね。お檀家さんは自分のお葬式は住職が面倒をみてくれるけれども、死んだあとの3回忌、7回忌などの年回法要をしてくれるのは次の代の住職だと思っています。お檀家さんのそういう気持ちを考えて「こちらもきちっと弟子を育てていますよ」ということを、見える形でやっていきたいというのが父の方針だったんだと思います。
父は、檀家さんに対して一生懸命で、お坊さんの仕事が生きがいという、いわゆる「お坊さんらしいお坊さん」なんです。人づきあいは好きなほうではないですが、お檀家さんの相談であればどんなに夜遅くに電話がかかってきてもきちんと対応しています。「これはお坊さんとしてやるべきだ」と信じたことは頑固なほどにやり通していますね。
実は、僕が生まれる少し前に本堂が焼けてしまって、どうやって再建しようかということになったとき、父は全国を行脚して托鉢して集めているんですね。もちろん、お檀家さんのご協力もありましたが、「お寺は大勢の人に支えられて建立されるべきものだ」という思いから、足りない分は行脚して集めたみたいです。息子として見ていると、その頑なさにたまに違和感を覚えることもありますが、自分が信じたことはひたむきに一途にやり抜きますし、言うこともやることも芯が通っているので、やはり尊敬しています……口に出しては言わないですけどね(笑)。
いつのまにかお寺に引き寄せられて
僕は、何をしていてもお寺のほうに引き寄せられてしまうんです(笑)。大学のときも、京都大学は一般の大学ですから自分の好きな社会学や哲学を選んでも良かったはずなのに、仏教学を専攻に選んでしまったんですよね。しかも、京大の仏教学は文献学なので、写本を見比べて校訂したり翻訳したりする作業が中心。文献から思想としての仏教を学びたかった僕にはかなり苦痛でした。
そんなこともあって、大学ではクラシック室内楽サークル『音楽研究会』に入って、学問そっちのけで音楽ばかりやっていました。授業の合間にサークルボックスに行ったら「あと何分あるから三条のJEUGIA(CDショップ)へ行こう」って言って。とても間に合わないんだけど「何とかなるよ」と三条まで行ってCDを何枚か買うとお小遣いもなくなってしまったりね。もう、とにかく楽しくてそういう生活をしていました。
プロの演奏家を何人か輩出しているようなサークルでしたので、メンバーの知識量や音楽センスのレベルも高くて。クラシックの魅力に取りつかれていましたね。ハーモニカ奏者として演奏会にも出ていましたが、だんだん音楽理論研究が面白くなって友達と音楽理論の勉強会もしていました。特に、音楽学者ハインリッヒ・シェンカーが好きで著作の翻訳もしていました。大学院試験の英語の勉強もシェンカーの音楽理論書でしていたくらいです。
でも、大学院に行ってから、自分の音楽的才能の限界を感じはじめたときに、初めて「自分は仏教のほうが適性があるんじゃないか」と思いました。よく考えてみると、社会学や哲学の本よりも、仏教書を読んでいるときのほうがすっと理解できるような気もしてきて。「それならしかたないか」とお坊さんをやる決心ができたんです。僕はやっぱりお寺に引き寄せられているんですよね(笑)。
『フリースタイルな僧侶たち』始動!
大学院を中退してからは、知恩院でおつとめしています。はじめは遠忌局という法然上人800年大遠忌事業に関する仕事をする部署で事務作業をしていたんですけども、だんだん文章を書く仕事やウェブ関連など広報関係の仕事が増えてきて、執事長公室という広報の部署に異動。昨年5月からは総務のほうに移っています。
本格的にお寺の世界に入って周りを見れば、住職をされている方は年配の人が多いなぁと思います。先達が50年、60年と長い時間をかけて積み重ねてきたものを尊重する一方で、やはり若いうちは若い人たちの感性でやってみたい。大学時代の後輩や、知恩院で出会った人たちとそんな話をするうちに『フリースタイルな僧侶たち』を始めることになりました。
これからのお寺は右肩下がりだと言われています。そんななかで、いざ20年ほど後になって自分たちがいよいよ住職になってから持ち直そうと努力しても、もう手遅れになっているんじゃないかと思います。今は「若いものが何を生意気な!」と言われるかもしれませんが、積極的に動いて次の世代の仏教のムーブメントを作っていきたいですね。
四条大橋でガックリ、ジュンク堂で小躍り
オウム真理教事件のときに「仏教は風景だ」なんて言われましたよね。でも、「風景としてはまだ定着している」とポジティブにとらえれば、そこから一歩を踏み出す動きを作れますし面白くなるんじゃないかと思います。観光として寺院を訪れる人も多いし、仏教書もいろいろ出てきていますからニーズ自体はあるはずです。とにかく何か発信してみようと作ったのがフリーペーパーです。
最初のうちは、どういう人にどういう目線で書くのか、どこに置いてどうやって手に取ってもらえばいいのか手探り状態でした。創刊号ができたとき、ドキドキしながら四条大橋の上に立って配ってみたら、全然振り向いてもらえなくて(笑)。「じゃあ、河原に座っているカップルはどうだろう」と渡してみたら受け取ってもらえたので、人がゆっくりしている場所に持っていくといいのかな、と気がついたんです。
幸いなことに、京都はフリーペーパーを置いているところがたくさんありますから、カフェやバーなどいろんな場所にお願いしに行きましたよ。ジュンク堂に置いてもらえた日はものすごく舞い上がって仲間にすぐメールしました(笑)。「おお、いけたか!」「まじっすか!」みたいな。それで調子に乗ってもう一軒あるジュンク堂に行ってみたら今度はスペースの都合で断られてまたガッカリして(笑)。でも、宗教色があるからダメというところは意外と少ないんです。思い切って発信すれば、潜在的な読者を掘り起こせるものだとわかると自信もつきました。
自分と同じ目線の人をどう口説くか
『フリースタイルな僧侶たち』のメンバーの年齢は、20代前半から30代前半。僕たちが、自分の友達に仏教を理解してもらい、最終的には信じてもらうにはどうしたらいいのか、ということが今の僕たちの課題です。「仏教っていいよね」と自分は思っているけれども、特に若い世代はお葬式や法事のときしか仏教に触れる機会がありません。
とにかく接点を作らないと、若い人たちとどういう言葉で話したらいいのかもわかりませんよね。宗派それぞれで教えを伝えていくノウハウを持っていますが、今どき世の中がすごい速度で動いていますから、ひと工夫加える必要があると考えています。日々、世の中で生きて苦しんでいる人と接していくなかでしか、法話のタネも生まれてこないのではないかと思います。
昨年秋から、京都と東京でトークライブもはじめました。今のところは人が集まってくれていますから、今後どれだけリピーターを作っていけるかですね。フリーペーパーとトークライブを軸にしながら、今年は来てくれた人がお寺に足を運んでもらえるようなコンテンツ作りをして、それがまた地域のお寺の活性化につながればいいなと考えています。
個人とお坊さんが直接つながる時代だから
いまは、『mixi』や『twitter』などインターネット上でネットワークを作るツールがたくさんあります。個人と個人が簡単につながりますから、一般の人は自分の価値観に合うと思えば、僕たちの懐にダイレクトに飛び込んできますし、お坊さんもまた宗派を超えてネットワークを作りやすくなってきています。個人と個人がつながる時代だからこそ、僕たちも『フリースタイル』で行こうよと思うんです。そして、閉ざされた教団やお寺を、時代状況に放り込んでしまおうよ、と。
宗派やお寺など、いろんな垣根を取り払っていくとどういう化学反応が起きるのかを試してみたいんですね。宗派を超えて交流を深め、他の宗派の教義を知ることで自分の宗派のことをより理解できるかもしれませんし、若い人の悩みを聴くことで自分たちの宗教観を見つめ直すきっかけになるかもしれません。そういういろんな反応を試しながら、3年、5年と続けていった後の仕掛けとしては、もう一度きちんと現代に合う教義を再構築していきたいと考えています。
現代のお寺が置かれている状況を考えると、経済的には厳しくなる一方でしょうね。この先、日本の経済状況もしばらくは明るくならないと思うし、葬儀に対するお金の支払いや本堂修復のお金も減ってくるでしょう。どこかで「お寺どうしますか」と存続を考える時期がきて、解散したり合併するということが現実に起きてくるはずです。そうなったときにどうするか、ということも考えていく必要があります。そのためにも、まずはお坊さんが動いて人との接点を作っていくことで、いろんなノウハウをお寺に持ってこなければいけないのではないでしょうか。
仏教の在り方をもう一度考えるために
今はまず、垣根を取り払うことが大切ですが、きっとそれだけではうまくいかないと思います。もう一度仏教の在り方を考えようとするときには、歴史をふりかえってお坊さんが今日までどういうふうに布教に取り組んできたかを見ておくべきですね。明治時代以降のお坊さんについて調べていると、特に明治時代初期など、キリスト教は流入してくるし、お寺は廃仏毀釈で荒らされるという大変な時代のなかでも、やはり志をもって布教につとめたお坊さんがいるんです。
でも、そういう流れは長く続かず、仏教界もだんだんと国粋主義的な方向に傾倒していきますし、第二次世界大戦中は戦争を賛美してしまいます。時代の悪い空気を吸ってしまったわけです。しかし、その残念な結末を嘆くだけではなく、時代ごとにお坊さんが良くも悪くもどう生きたかを学ぶのは教訓になります。いま「戦争反対」を叫ぶのは簡単です。先の戦争に懲りてますし、アメリカが助けてくれるという安心がありますから。しかし、すぐそばの中国がアヘン戦争で侵略されているような時代ならどうでしょうか。答えは決して簡単ではないはずです。
お坊さんの戦争協力問題を正視する取り組みは、戦後60年以上たち、ようやくタブーではなくなりつつあります。一度きちんとその問題に向き合って、明治以降の仏教は他にどういう道が取りえたのかを認識し直さないと、僕たちも最終的につまづくんじゃないかと考えています。そもそも、過去を切り離して現在や未来を考えることはできません。そういったことを含めて、何十年という長期的なスパンでいろんな動きを計画していきたいです。いろいろやりたいことが多くて、時間が足りないなぁというのが最近の悩みですね(笑)。
坊主めくりアンケート
1)好きな音楽(ミュージシャン)を教えてください。特定のアルバムなどがあれば、そのタイトルもお願いします。
高校生ぐらいまではポップスやロック、R&Bなど幅広く聴きましたが、大学でクラシックにハマってからは他のジャンルを聴かなくなりました。好きなのは、モーツァルト、ベートーヴェン、ブルックナー。ベタですが、年末には必ず家のオーディオで「第九」をかけます。「第九」は何度聴いても感動しますね。
2)好きな映画があれば教えてください。特に好きなシーンなどがあれば、かんたんな説明をお願いします。
森達也監督がオウム真理教(現・アーレフ)の内部を撮影した「A」は衝撃でした。何も入信者イコール犯罪者じゃないんです。財産なげうっても真摯に修行したいという想いが、結果として犯罪を助長していく。複雑ですよ。ぜひ観てください。
3)影響を受けたと思われる本、好きな本があれば教えてください。
影響を受けた本はたくさんあります。この場にあえて一冊挙げるなら、マキャベリの『君主論』。仏教とは対極にある権謀術数の論理を学びましたね。
4)好きなスポーツはありますか? またスポーツされることはありますか?
尼崎市で生まれ育ったので、阪神タイガースが強いシーズンは嬉しくなります。
学生時代には毎年スキーに行ってましたが、今はそんな時間もなく。他のスポーツもしていません。
5)好きな料理・食べ物はなんですか?
特に好き嫌いはないですが、オリーブが苦手です。
6)趣味・特技があれば教えてください。
もっと真剣にやっていたころは、音楽は「もう一つの仕事」のつもりでしたが、今は完全に趣味になっています。DTPやコンピュータプログラミングは、わりと周囲から褒めていただけるので、特技といってもいいかもしれません。
7)苦手だなぁと思われることはなんですか?
感情をストレートに表現すること。
8)旅行してみたい場所、国があれば教えてください。
インドにはぜひ一度。本場のカレーを食べたいから……というのは冗談です(笑)
何度でも行きたいのはドイツ。日々ドイツ語のトレーニング中です。ベートーヴェンの「第九」ぐらいなら歌えますよ。
9)子供のころの夢、なりたかった職業があれば教えてください。
法然上人みたいなになりたいと思っていたのはインタビューの通りですが、電車が大好きだったのでその運転手さんも夢の一つでした。
10)尊敬している人がいれば教えてください。
マックス・ウェーバー。彼の著作を読むとき、訳もなく感動して泣けるんですよ……変人だとよく言われますが(笑)
11)学生時代のクラブ・サークル活動では何をされていましたか?
「音楽研究会」というクラシック室内楽のサークルで、演奏したり、音楽について語ったり。
12)アルバイトされたことはありますか? あればその内容も教えてください。
学生時代に塾の講師や家庭教師のバイトをしていました。
13)(お坊さんなのに)どうしてもやめられないことがあればこっそり教えてください。
うーん……やっぱり内緒にしておきます。気になる方は直接聞いてください。
14)休みの日はありますか? もしあれば、休みの日はどんな風に過ごされていますか?
お寺で暮らしていると年中お檀家さんが訪ねて来られますから、「休み」っていう感覚を持たずに育ちました。今もたとえ法務がない日でもどうもまったりと休めない自分がいますし、「フリースタイルな僧侶たち」の活動も含め忙しすぎるぐらいのほうが、しっくりときますね。
15)1ヶ月以上の長いお休みが取れたら何をしたいですか?
ひたすら本を読みたい。
16)座右の銘にしている言葉があれば教えてください。
丸山真男「本来政治を職業としない、また政治を目的としない人間の政治活動によってこそデモクラシーはつねに生き生きとした生命を与えられる」
つまり、お坊さんのみが尊いということはありえないわけです。
17)前世では何をしていたと思われますか? また生まれ変わったら何になりたいですか?
これはノーコメントですね。まず、今を生きるのが大事だと思っています。
18)他のお坊さんに聞いてみたい質問があれば教えてください。(次のインタビューで聞いてみます)
「フリースタイルな僧侶たち」をどう思いますか?
19)前のお坊さんからの質問です。「ノーコメント…」
釈先生からの質問、期待してたのに(苦笑)。残念でした。
プロフィール
池口龍法さん/いけぐち りゅうほう
1980年生まれ。兵庫県尼崎市の浄土宗知恩院派 西明寺に生まれる。2001年、知恩院にて加行。1999年、京都大学に入学、文学部・同大学院文学研究科で仏教学を専修。2005年より、浄土宗総本山知恩院にて奉職。2009年『フリースタイルな僧侶たち』を始動。趣味はクラシック音楽。6歳から習い始めたハーモニカでは、第2回西日本ハーモニカコンテスト(1998)で第一位になったことも。いまも休日にはターンテーブルを回し、古き佳き時代の演奏に浸っているそうだ。(twitter: http://twitter.com/senrenja )
西明寺
http://www.saimyoji.org/
極楽山 西明寺。浄土宗知恩院の末寺。文治年間(1185-90)に、法然上人による開基と伝えられる。鎌倉時代から伝わっていたご本尊の阿弥陀如来像は火災により焼失したが、秘仏・法然上人立像は奇跡的に難を逃れ今も大切に祀られている。寺伝によると、この立像は遊女の弔いのために刻まれたものだそう。建永2年(1207)、土佐へ配流される途上にあった法然上人の法話を聴き、己の罪業を恥じて神崎川に身投げした5人の遊女たちを弔い、橋杭を材にして上人自ら刻んだ、と伝えられる。
フリースタイルな僧侶たち(Web版)
http://www.freemonk.net/
池口さんを中心に、宗教専門紙や地方紙で記者経験後、広告代理店にてディレクター・コピーライターを経て現在フリーライターの仲西俊光氏、浄土真宗、浄土宗、天台宗僧侶や仏教学研究者、フリーのライターカメラマンが参加して作るフリーペーパー。2009年8月に創刊し「宗派を超えた若手僧侶たちの活動」として、新聞・テレビなどのメディアに多数取り上げられるなど注目を浴びる。フリーペーパーは京都を中心とした配布場所のほか、Webサイトから取り寄せることもできる。WebではPDF版も公開されている。