新潟にある極楽寺(浄土真宗本願寺派)の住職の麻田弘潤です。消しゴムはんこで仏様を作る活動や、お寺で「極楽パンチ」というライブや、マーケットなどの企画をやっています。他にも柏崎刈羽原発運転差止訴訟の原告共同代表もやらせてもらっています。
私たちは日頃、多くの情報を浴びながら生活しています。
自分が見たり触れたりした中で知ったことだけでなく、様々なメディアからの情報を得ることで、実際に見たことのない場所のことまで知ることとなります。
例えば、海外のこのお店の料理は美味しいといったことか、宇宙のことであったり。それを知ることで実際見て確認したわけではないけれども、自分が体験したのと同じような認識を持つことができます。これはすごいことです。
しかし、逆に言うと私たちは認識以上の世界を知りません。知らなければ無いことになります。そこに人の限界があります。
ところで私たちの認識を作り出すのに大きな役割を担っているメディアの情報が正しいものでなかったり、ほんの一部の人の視点しか描かれていないものであったとしたらどうでしょうか?実際映像もあるし、取材した人の言葉が掲載されているので、それは事実であると思うかもしれません。けれど、一旦その思いは置いておいて「報道災害【原発編】」を読んでみてください。
この本は2011年に起きた原発事故の際にメディアがどのような報道をしたのかを伝えてくれています。
原発事故直後テレビや新聞では「直ちに影響はない」「メルトダウンは無い」であったり、「安全だ」「基準値以内だから大丈夫」といった政府の発表をそのまま報道することが繰り返されました。
しかし、現実はというと当初は無いとした「メルトダウン」はあり、安全だと言い切った学者(事故前は放射能の危険性を指摘していた権威)も最近になり間違いを認める事態となりました。悲しいことに私たちが頼りにしていたメディア情報の多くが間違っていたということが明らかになってきています。
また、その情報によって、無用な被曝をされたり避難が遅れた方々がいたと言う事実は忘れてはいけないことだと思います。それだけでなく、危険を回避しようとする人々に対して、メディアの情報をそのまま信じた人々がその行動を抑制しようとしたり非難したのです。
なぜこのような報道がなされたのか、その内実を著者のフリージャーナリスト上杉隆さんと烏賀陽弘道さんが明らかにしたのがこの本です。 メディアは必ずしも事実を伝えることはない、いつでも正しいわけではない。このことを押さえないと大きな過ちをおかすことは、先の大戦だけでなく、原発事故に関する報道でも明らかになっています。
しかし、今回のコロナに関する報道でも、2月末の休校要請が報じられてから一気に空気が変わりました。ほとんど考える時間がないのにも関わらず次々と休校が決まっていったのです。同じように次々とイベントも中止となり、お寺の法要もどんどん中止となっていきました。子ども達の居場所も無くなっていきました。
この動きは国が自粛を要請したからでしょうか?いいえ、そうではありません。実はメディアがそれを報じたことで自粛のスイッチが入ったのです。徐々にであったり、それぞれにじっくり検証したわけでもなく、報道されたことをきっかけにあっという間に流れが出来上がりました。私はこの流れに少し怖さを感じています。
私ごとですが、年に数回テレビや新聞から取材を受けたり、ラジオでお話しすることもあります。その効果は絶大で、寺報でみなさんにお伝えするよりも確実に認知されます(笑)10年間寺報でお知らせしたことも、5分テレビに取り上げられるだけで同等の効果を得ることができます。
私にとってはとてもありがたいことなのですが、時には間違った情報が流されることもあり、それが原因で何度かお叱りを受けたこともあります。その場合、直接説明するとご理解いただけるのですが、多くの方には間違ったままに受け取られているということになります。テレビや新聞といった既存メディアは情報拡散力が強い反面、正確で無い情報も拡散されるというデメリットもあります。
なんでそんなことになるのか考えてみたのですが、考えてみたら当たり前の話で、取材する側は今まで見たことがないとか珍しいとか、そういったものに反応して取材をしているわけで、わからないものを短時間で理解して、自分達なりの表現でテレビや紙面に載せるとなると、時にはミスがあったり、検証もしないで流してしまうこともあるのだと思います。あるテレビ局の方から「テレビは真実を報道しているわけではない。その時の自分たちの認識を報道している」と教えてもらったことがあります。
連日テレビをつければ同じ情報が流れ続け、どこに行っても同じ話題になります。間違っていようが偏っていようが、同じように流れ続けます。正しい情報を・・と朝から新聞読んでテレビを見続けるほどに、ズレて行くということも起こってしまいます。今、私の地方では感染された方の個人情報が晒され続け、非難され続けるということが起こっています。これもテレビで感染ルートの解明を繰り返し流し続けた影響でしょう。だれもが探偵のように感染ルートや感染者の情報を調べています。
私たちはあまりにも既存メディアとの距離が近すぎると思います。腹八分目が身体に良いように、大きな出来事が起こっている時ほど、そこそこな距離感でメディアと関わることは大切です。そこで生まれた余白で、一次情報を調べたり、それぞれの意見を聞き合って、一歩立ち止まってみるということも可能となります。
そんなトレーニングにこの本をお使いください。