2014年9月に幻冬舎から発売された『最貧困女子』をご存知でしょうか。衝撃的な内容に、読み終わって一週間たってもまだ余韻が残っています。
働く単身女性の3分の1が年収114万円未満で生活が苦しく、中でも家族・地域・制度(社会保障制度)という3つの縁をなくした女の子が『最貧困女子』として、目も当てられないような地獄でもがき苦しんでいる、しかもその苦しみが可視化されにくいという問題があり、女の子たちはセックスワーク(売春や性風俗)で日銭を稼ぐしかない悲惨な生活に入り込んでしまっている、そんな生々しい生活実態が描かれています。
著者はルポライターの鈴木大介さん。「犯罪現場の貧困問題」をテーマに、裏社会・触法少年少女らの生きる現場を中心とした取材活動を続けていらっしゃる方です。
鈴木さんは、「最貧困の女の子たちがどれほど苦しい思いを抱えているか、そしてどんなことを求めているのか」を様々な角度から取材し、結果、(1)経済的支援 (2)小学生時代の居場所ケア の2点が特に重要であり、「少女時代に救いの手を」と読者に訴えます。
これを読んで、頭に浮かんだことが2つあります。1つは日本の活動「お寺おやつクラブ」のこと。もう1つは「東南アジアの仏教国であるタイでは、お寺が困った人のアジール(避難所)として機能している」ということです(『サンガジャパン Vol.18 インドシナの仏教』(サンガ)や『老病死の寺』(川辺書林)より)。
「お寺おやつクラブ」というのは、彼岸寺で活動する僧侶たちが、大阪子どもの貧困アクショングループと協力し、2014年1月にスタートした、全国のお寺とシングルマザー家庭を繋ぐ支援活動です。これはまさに鈴木大介さんの提案する (1)経済的支援 に分類されるものといえるでしょう。活動はスタートしてまだ10か月ですが、活動の輪は全国に広がりつつあります。
「お寺おやつクラブ」の持つ問題意識は『最貧困女子』の主張とも近く、この活動を起点に、日本でもいずれお寺がタイのように (2)小学生の居場所ケア としての役割をお寺が担う可能性もあるのでは? と感じました。
今回は、そんな未来の可能性を探るべく「お寺おやつクラブ」の発起人である気鋭の僧侶、松島靖朗さん(39歳・浄土宗)にお話を伺いました。
お寺は「居場所ケア」の一端を担えるか?
原始仏教ガール 『最貧困女子』(幻冬舎)という、今たいへん話題になっている本があります。この本では、小学生の子どもたちを貧困から救うことが何よりも大事だという指摘があります。「お寺おやつクラブ」の活動はひとつの経済的支援であり、助かっているご家庭・子どもが増えていると思います。ここまでの手応えはいかがですか?
松島さん 「おやつクラブ」では月にだいたい20から30軒ほどのご家庭におやつをお届けしていますが、最近の嬉しかったこととしては、シングルマザーの方のおひとりから「再婚が決まりましたので来月からの支援はもう大丈夫です」とご連絡があったことですね。これはわたしたちの支援がどうこう、ということではないと思いますが、活動の目的でもある貧困の課題を解決するという意味では、前向きに生きていかれるお母さんがいらっしゃるんだということがわかって、嬉しいことでした。
ただ、けっこう多いのが、急な引っ越しをされて、荷物を届けられないという状況ですね。その、いろいろ事情があって、今住んでいる場所にいられなくなって、どこかに移られてしまうかたが多いのです。『最貧困女子』にも書かれていたかもしれませんが、一か所に留まっていられないお母さんがたくさんいらっしゃるというのが、われわれの活動の中でもわかってきました。ですから、なかなか喜べる状況にはないということも感じています。
原始仏教ガール 一定の場所に落ち着いて暮らすことができないということは『最貧困女子』の中でもまさに言及されていたことです。著者の鈴木さんは「小学生時代の居場所ケア」が特に大事だと訴えています。日本のお寺の数はコンビニよりも多いといわれています。全国を網の目のように網羅しているキャパシティは巨大です。お寺が子どもたちの頼れる場になれば、助かる子どもたちがたくさん出てくると思います。そういったあたりは、いかがですか?
松島さん そうですね、「おやつクラブ」もそうなんですけど、お寺や僧侶の役割は、現実的にはかなり限定されていると思っています。ぼくたちもこの活動を通じてお母さんたちを直接支援できているかというと、決してそんなことはなくて、貧困問題の活動をされている団体さん(大阪子どもの貧困アクショングループ)とお母さんたちのコミュニケーションのきっかけ作りをしているだけの存在なんですね。それ以上のことに踏み込む専門知識もありません。
ただ、今おっしゃったように小学生の居場所ケアというのは大事だと思います。小学校の6年間って、けっこう長いですよね。長かったなという記憶があります。いじめの問題がよくニュースになっていますが、ぼくはお寺に生まれたことをすごくいじられていたんですよね、小学校の6年間ずっとです。本当にしんどかったなという思い出しかありません。あの6年間はなんであんなに長かったんだろうと思うくらい長かったですね。ですから、小学生時代の苦しい6年間は、本当に耐えられないだろうなと実感しています。なんとかお子さんたちをサポートしてあげたいという気持ちはありますね。
原始仏教ガール 『サンガジャパン Vol.18 インドシナの仏教』(サンガ)の中に「聖と俗の厳しくもゆるやかな一線」(高野秀行さん著)という、タイと日本の仏教を比較する記事がありました。その記事では、あるタイ人の女性が来日してまだ間もない頃、道に迷って途方に暮れ、お寺を見つけて軒先にしゃがんでいた、そしたら住職が警察に通報し、パトカーに載せられ連行されてしまった。「タイでは誰でも、いつでも、困ったことがあればお寺に行くのに、日本では、私が困ってお寺に行ったら、警察を呼んで捕まえたんです」という笑いごとではないことが起きた、とそんなことが書かれていました。
記事には「日本では寺は私有地であり、許可なく入れば住居侵入罪に問われる可能性がある」とも書かれているのですが、日本では「居場所」として部外者がお寺に来るのを受け入れるのは実際、難しいことなのでしょうか? 迷惑というか、びっくりするような感じなど、ありますか?
松島さん いや、それはあまりありません。お寺は開かれた場所、というか元々開いてますからね、どこからでも入ってこられますし、そんな環境なので、開こうと意図しなくても誰でも入ってこられる空間です。お参りするという意味も含めてですけどね。ですから、そういう問題というのはご住職とかそのお寺を守られている僧侶のかたの感覚、感性にもよるかなと思います。警察を呼ぶ、というのはよっぽどですよね。記事には書かれていない何かがあったのかもしれませんよね。
ぼくは、そういうかたも含めて何らかの理由があってお寺に来られているのかなというふうに思うので、お見かけしたらお声がけもしますし、場合によってはそっと眺めておくということだけの場合もあったりします。アジール(避難所)的なことを目的として何かやっているわけではないですけれど、タイのようにいろいろなかたに活用していただける場所にしていきたいなという気持ちはありますね。
新しいことを始める難しさ
原始仏教ガール 社会問題に取り組み、人々の精神的支えとなっているタイの開発僧は、現在のタイではなくてはならない存在になっていますが、「つい数十年前まで開発僧はいなかった」そうで、当初は開発僧たちの「世直し」は、保守的な僧侶たちから「僧は社会問題にかかわるべきでない」と非難され、あるいは共産主義者のレッテルも張られたのだそうです。日本でも新しい活動を始めようとしたときに、非難されたり、といったこともあるのでしょうか?
松島さん そうですね、あるのはありますね。「おやつクラブ」に関していうと、ぼくが何かの集まりで「食の偏りをなくしたい、お寺にはたくさんある食料を、食料がないところに届ける活動をしたいのです」と発言したんですね。そのときにけっこう真面目なお坊さんから、「それは共産党のような活動なんですか? そんな活動には賛同できません」と言われました。
あと「おやつクラブ」に関わらず、社会的な活動をしていると「もっとほかにやることあるでしょう、修行しないといけないでしょう」とおっしゃるかたはたくさんいらっしゃいますね。ぼくがサラリーマンなどいろいろ回り道をして僧侶になった人間なので、余計に「僧侶になったんだから、もっと仏教の勉強をしなさい」というお声はいただくのかもしれません。
社会問題に触れていくこととのバランスですかね。そっちばっかりやっていたらだめだよ、というのはあるでしょう。お檀家さんからも「あれこれやっていいことなんだけど、住職なんだからお寺のこともしっかりやってね」という感じですかね、言われます。「お念仏する人を増やすためにあなたやることがあるでしょう」と。
原始仏教ガール お念仏をする人を増やすためには、どんなことをなさっていますか?
松島さん 自分のお寺でお檀家さんにお説教したり、いろんなお寺さんに呼ばれてお説教に行くという活動をしています。あと最近力を入れているのは托鉢です。僧侶の格好をして外に出ていくことで、日常の中に入って行きたいというのはありますね。本堂にこもってお念仏をするのも重要ですが、その姿を外に出していくというのも重要かなと思っています。
ゆとりのない人たちへの仏教伝道活動
原始仏教ガール 托鉢やお説教によって、仏教との接点ができる人は確かに増えると思います。あの、今、若い世代も含め、仏教がちょっとしたブーム、知的な趣味のような感じでしょうか、そうなっているように感じますが、昨年から仏教に関わるようになって思うのは、仏教の周縁にいらっしゃる方々はたいへん裕福だということです。
経済的に裕福というのもありますし、精神的にゆとりがあるかたも多いと感じます。精神が安定しているからこそ、精神的なことを勉強するゆとりがあるのかなと思います。知的に豊かな方も多いですよね。そのように、豊かに仏教と関わっている人たちも素敵だと思いますが、『最貧困女子』のように今まさに困窮していて苦しくてゆとりがない人や子どもが仏教に出会うには今後、どうすればいいのでしょうか? 出会う機会すらないのが現状だと思います。
松島さん 本当にそのとおりです。昔は、仏教は一部の人たち、お金持ちだったり文字を読める人たちだけのものでしたが、それが文字が広まって、仏教美術もできてきて、多くの人たちが仏教に触れることができるようになったのが鎌倉仏教ができたあたりの大きな変化だったと思います。しかし結局、今も「民衆のための仏教」などと言いながら、仏教は一部の人のものだなという感覚はぼくにもあります。
ひとつの取り組みとして、「おやつクラブ」では荷物をお送りするときに、荷物の中に仏さまのポストカードを入れたり、一言、住職からのコメントを書いて入れていたりします。そういうところで、お寺とか僧侶の存在を出していくということでしょうかね。仏教的な解決方法が必要なかたとの関係を作るにはどうしたらよいのか、というのはもっともっとやりかたがあると思うんですよね。今後もそういうことを考えていきたいと思っています。
日本仏教の信頼性
原始仏教ガール 「僧侶と在家の人々との関係を作る」ということに関してですが、日本では宗教団体は信頼できないというイメージが強いですよね。以前、松島さんがご自身の記事の中で紹介されていましたが、公益財団法人 東洋哲学研究所ウェブサイトに掲載されている石井研士氏の「日本人はどれぐらい宗教団体を信頼しているかーー宗教団体に関する世論調査から」(2006年)によると、病院、新聞、テレビ、学校、裁判所、警察、学者・研究者、自衛隊、金融機関、大企業、中央官庁、市区町村議会議員、労働組合、国会議員、宗教団体の信頼性を調査した結果、宗教団体が最下位(信頼度14.5%)という結果でした。http://www.totetu.org/assets/media/paper/t165_254.pdf
一方、『老病死の寺』(川辺書林)という2000年に出版された本の中に、タイの僧侶と在家の人々の関係について書かれた章がありまして、「『タイ人にとって心の悩みをうち明けられるのはお坊さん』と集まったタイ人たちは口をそろえる。」と書かれています。
僧侶への信頼度が今のままでは、お寺を頼りたいという気持ちにもなるのも難しいことですから、日本でもお寺や僧侶に対する信頼感が高まるといいなと思います。このあたりはどう思いますか?
松島さん そうですね、その数値に関しては、宗教全体についたイメージなのでしばらくはあのままいくと思うんですよね。僧侶の中でも世代間ギャップがすごくあります。上の世代のお坊さんで、「昔はよかったのに、今はだめになった」とおっしゃるかたはたくさんいらっしゃって、それは何がだめになったかというと、「お檀家さんの信仰心がぜんぜんなくなってきいた」というふうにおっしゃるんですね。自分は何も悪くない、という感覚でいらっしゃる人がすごく多いのです。
「いやいやそんなことはないでしょう。あなたたちが堕落した結果です」とぼくなんかは思うんですけど、そういうふうに思っているかたがあまりいらっしゃらないんですよね。問題のある数字を自分のせいではなく世間のせいにしている、そういうふうに真逆にとらえている、そういう話をしながらお酒を飲んで煙草を吸っている、むちゃくちゃです。これはお坊さんの中にいて一番しんどいなと思うところですね。
だから、あの数字を出したのは「あれをどう読みますか」と問いかけたかったからですし、そういう状況にいるぼくたちが真摯に反省して取り組んでいくきっかけにしなければと思ったんですね。しかしいきなりあれを大きく変えるというのは時間のかかる話なので、やはりお寺のお檀家さんを中心に、しっかりと布教活動をしていく、ということが中心になるかなと思います。
子どもと仏教
原始仏教ガール 最近、仏教瞑想が医療やビジネス分野など、宗教を超えたところでも注目を集め、効果が実証されつつありますが、ティク・ナット・ハン師が滞在しているフランスのプラムヴィレッジでは子ども向けの瞑想ワークショップが開催されていたりもします。仏教も瞑想も決しておとなだけのものではありませんし、子どもがお寺で仏教に触れることで、ひどい精神状態にある子どもの精神が安定するといったことも考えられると思います。そんなあたりも期待したいところですが、いかがでしょうか?
松島さん 浄土宗でもいくつか活動がありまして、「子ども信行道場」という3泊4日ぐらいでお檀家さんのお子さんと住職が全国各地から知恩院に集まってともに生活をする修行道場生活プログラムがあります。そのほかにもいろいろな活動がありますが、そういうところに来ているのは、先ほど話に出たような、余裕のある子どもたちなんですよね。実際に助けなければいけないような、おやつクラブで支援しているようなお子さんたち来ている感じではないんですよね。そこの違和感、つながっていない感じは気持ち悪いですね。
ですから、別の活動だと思うんですよね。そういう子どもたちをサポートするのは、浄土宗のやっている従来の活動ではなく「おやつクラブ」のような別の活動だと思います。そのほかにじゃあ何なのというのは、いまぼくも考え中です。
原始仏教ガール 今日はいろいろなお話をいただき、ありがとうございました。お話を伺って、松島さんの周囲を巻き込むパワーや、仲間とともに前に進んでいるリア充な感じに圧倒されました。
松島さん いやいや、そのように感じるかもしれませんが、ぼく自身は現実的に今の問題だったり、お寺で起こっている問題をどうしていくのか、自分自身の修行をどうしていくのかということに軸足を置いています。
ぼくは住職として、お葬式をしたりお檀家さんの弔いをすることに主に時間を割いてきました。ですから死が起こったことで苦しんでいる、悲しんでいる人たちをどうケアしていくことがぼくの中心課題だったのです。しかし「お寺おやつクラブ」を通して、死ぬことよりも生きていくことのほうが苦しいということを突きつけられたこと、これがこの一年の大きな変化です。ぼくの身近な人でお金の問題で苦しんでいた人が最近、自死で亡くなられました。なぜぼくはそのことに気づけなかったのか、そんなことに気づけないのに、「お寺おやつクラブ」の貧困の問題のほうに注目していて「いったい何をしてるんだ、俺は」とも思ったんですね。ですから、まだまだできていないなという気持ちです。
「人間には生老病死の苦しみがあります」とお説教の中で言ってきましたけれど、生きて行く苦しみに本当にフォーカスしていたかのかと。生きていく苦しみを抱えている人に対して、僧侶としてまだまだできることがあるのではないかと思っています。
原始仏教ガール 日本からタイへ渡り、長年タイの僧侶としてご活躍されているプラユキ・ナラテボーさんというお坊さんがいらっしゃいますが、プラユキさんが以前、「彼岸寺の活動は、タイの開発僧の活動とちょっと似ている気がしていて、わたしは注目しているのですよ」とおっしゃっていました。そのタイのプラユキさんに向けて、何かひとことございましたら、ぜひお願いします。・・・なんて、とつぜん言われても困りますでしょうか!?
松島さん 何の番組ですか?(笑) そうですね、けっこうまじめにいろんなことを考えていますので、これからも応援よろしくお願いします!
原始仏教ガール これからも「お寺おやつクラブ」をはじめ、松島さんの活動に注目していきたいと思います。お忙しいところありがとうございました!!
(原始仏教ガール)