造佛所のえんがわへようこそ!
「対話で仏像を浮き彫りにしてみよう」と始めた造仏も、まだまだ荒彫りの途中です。
今回は前回に引き続き、小さな町の郷土史家、原田英祐さんにお話を伺います。
仏像調査において、古仏発見の立役者となられた原田さん。そんな原田さんの目には仏像はどのように見えているのでしょうか。(前編はこちら)
まずは、ホットゆずで一服しましょう。
原田さんにとって仏像とは?
吉田:さて、改めてお伺いします。原田さんにとって仏像とはどのような存在でしょう?
原田:うーん…なかなか一口には言えないね。地元の様々な仏像や神像をみてきて、それぞれの言い伝えがあり本当にもう様々なことを聞いてきておるもので……。
まあいわば、「昔から伝わってきた遺産」というんでしょうかね。私にとってはそんな感じです。先人から大事に伝えられてきた遺産ですから、これからも大切にしていかんといかんと思うております。
吉田:人口も減ってきて、役行者のお堂のように、特に町の人が管理しているお堂は危機的な状態にありますよね。
原田:はい、おっしゃる通り、危機的な状況です。自分は、その危機的な状況に対して、気をつけておることが、なるだけ特定の宗教・宗派にこだわらないようにということです。全て価値のあるものと捉えてできるだけ平等に見ようと思うております。
吉田:価値を、自分やその時の社会の尺度では計らないということですね。
原田:そうです。
特別な縁を感じる恵比寿天
原田:ただ一つだけね、信心というものではないし、学術的な調査の話ではないんですが、私1月10日生まれなんです。
吉田:あ、「十日えびす」ですね!
原田:そう(笑)。その日は毎年どこかの恵比寿神社へお参りするようにしております。
原田:というても大げさなものではなくて、この辺りの海岸線ではどんな小さな港であっても恵比寿さんが祀られておるので、「去年は東に行ったから今年は西に行こうとか」と気軽な感じです。
吉田:そうだったんですね。そういえば、この間、港に祀られていた恵比寿さんを修理でお預かりしました。
今年の台風19号で流されてしまったそうなんですが、岩に引っかかっていたのを漁師さんが見つけて。あちこち欠けていて、直して欲しいとお電話くださいました。見てみると、像底に江戸時代の墨書があって……
原田:その恵比寿さんは今年の正月にお参りしました。
吉田:そうなんですか!今うちにいらっしゃいますよ。この辺では港ごとに恵比寿さんが祀られているんですね。ただ、時々台風や嵐で堂が壊れたりお像が流されたりするようです。
原田:海岸線だからお堂も頑丈にしてあるんやけどね、どうしても傷みやすい環境やから、どこの恵比寿さんもペンキを厚く塗られておったりね。
吉田:はい、まさに船の塗装のような感じで青く塗られていました。最近塗られたものでしょうけど、私たちの感覚としては、どうにかペンキを除去することや塗り直す方向で考えて、施主さんもそうしたいと希望されたのですが予算内では厳しく……今対応策を練っているところです。
毎年お祭りもされていて、とても大事にされているお像なんだなというのが伝わってきました。
原田:うん、大事にされゆうろね(大事にされているでしょうね)。
忘れられつつある法然上人の足跡
吉田:原田さんのこれからの夢をお聞かせいただけますか?
原田:もっと勉強しておられる先輩がたくさんいますので、私も出来るだけ追いつきたい。でも、努力してもなかなか追いつけませんね(笑)。その人たちの足元にも及びません。
ただ、具体的な計画として、お寺とお遍路さん、石仏など、仏教関係のものを一冊にまとめようと思うております。他にも取り組みたいテーマがいくつもあるんですけど、寿命がたりません。
吉田:ご著書はどれも大変面白く拝見しました!特に「土佐日記・歴史と地理探訪(2019)」はこの町に住んでいる自分と、昔暮らしていた人とが連続線上で繋がる感じがありました。
吉田:そうすると、同じ町の風景でも、歴史を知ったあとでは目に見えない厚みや彩り、深みを感じるようになりますね。
原田:これは「資料集」なんですよね。これを元にして調べてください、というものであって、この一冊で完成されたものではないんです。
吉田:原田さんの資料で、法然上人がこの町に庵を結んでいらしたことを初めて知って、もっと調べてみたいと思いました。
原田:そういう風に使ってもらえると嬉しいね。法然さんについては分からんことが色々あるけど、問い合わせは全国いろんなところからからあります。
各地の古い記録にあったりするようで「甲浦や野根(高知県東洋町内の地名)が出てきますが、これ本当ですか?その場所はどこですか?」と。
吉田:今はもうありませんけど、短期間過ごされた草庵が「超願寺」になったということでしたよね。それをお坊さんにお話しすると「法然さんゆかりのお寺がなくなるなんて」と驚かれます。
原田:昔はこの辺で一番盛んなお寺やったんですよ。長宗我部元親の御位牌もありました。元親は、土佐全土を支配した時に超願寺を建て替えています。
吉田:隣の地区の山の上に、法然上人ゆかりの十一面観音堂もあったとか。
原田:はい。あったということだけしか分かりません。石垣でも残っていないかと藪をかき分けて探しにいきました。それらしいものもあるにはあるけど、はっきりとはよう見つけんままでしたね。
吉田:超願寺には法然上人について何か記録はあったんでしょうか?
原田:寺記にあったと言われています。残念ながら今はありませんけど、江戸時代にそういう古い記録を丹念に書き写してきた人がおって、それが残っておるんです。今読める本としては、主に「南路志(なんろし)」ですね。
消えゆくものの種火を残す
原田:そんな風に先人が、親子二代で書いたとか、私費で旅して書き残したというように、一番大切なのは、今生きている人が、知っていることを子孫のために書き残すことだと思うております。
吉田:なんらかの形で残すことが大事と私も感じます。歴史を知らなくても生は維持できますし、諸行無常ですから歴史が消えてしまうことも摂理といえばそうなんですけど……。
ルーツがわかると現在の「今」という点が、多面的・重層的に見えてきますし、飛躍しすぎかもしれませんが、自分とは異なる立場の人への思いやりや敬意、仏教でいう慈悲、というところまで地続きになる気がするんです。
話を伺って気づきがあったんですけど、こういう古い情報、言い伝えが消えていくことへの危機感は、一つは智恵の分断へのおそれかなと思いました。
例えば、東洋町の仏像の歴史となると、原田さんにお伺いしないとわからないことがたくさんあります。先ほど伺った役行者さんだと、それだけみたらボロボロの木の欠片だけど、それが何の欠片で、なぜそれが祀られているのかということですよね。
そういう背景を知ると、たとえささやかであっても、昔の人の営みから「何らかの引き継ぎ」が起こると感じるんです。
その「何らか」の中に、人が幸せになる智恵が素朴な顔をして溶け込んでいるように思うんですが、「引き継ぎ」が断絶することで、社会がとんでもない遠回りをするような気がして……。
原田:うん、だからなるだけ早くこういう作業をしないと。
吉田:原田さんのように、由来を知っている人は加速度的に減っています。若い世代でも興味を持っていればまだ情報にアクセスできるかもしれませんけど、
原田:そのために種火だけは残さんとね。これは資料、つまり単なる種火やけども、ここからまた火を起こすことができるように。お寺や神社や、祭りは、そのものを残すのはこれからますます困難になる。だから、種火くらいはね。
吉田:本当に貴重だと思います。火が消えなければ、変えずに伝えていくこと、時代に合わせてアレンジしていくこともできますから。実際、原田さんの資料集には、地域と仏像の関係をたくさん教えていただきました。次作のお寺と仏像の資料、心待ちにしています。
体当たりで人に寄り添う仏像たち
吉田:この辺りは石仏も多いですね。
原田:そうやね。今は分布を把握している段階。どういう理由で作られたのかはこれからです。一箇所にどっさりあるんやけど、近くの人に聞いたら「いつも同じものばかりじゃないですよ」というんですよね。たしかに、写真で比較するとよくわかるんです。
それも理由があるんですよ。近所の人に聞いてみると、家庭の事情で、お地蔵さんに家に来ていただくんだそうです。
よくないことが続いたら借りてきて家でお祀りして、良くなってきたらお返ししているとか。法事があるから借りたとか、家に預かってきてバクチしたら勝てるとか(笑)。皆こっそり持ち出すから誰がどんな理由かはわからないんですけどね。
吉田:そんなに気軽に……!?お地蔵さんが身近なんですね。
馬路村(高知県)の金林寺の「抱き仏」を思い出しました。赤ちゃんを授かりたいと願う女性が菩薩様のお像を抱いて寝ると授かると信じられています。
人にたくさん抱かれたせいでしょうか、随分すり減ったお姿を拝見して、とても感動したことでした。人の願いを、仏様がまさに体当たりで受け止めてきたお姿だなぁと。
原田:あちこちにそういう話があるね。
仏像を守っていくために今できること
吉田:こうしたお像が調査されないまま、お像にまつわるエピソードも風化してしまっていたら、単なる破損仏と見られる可能性はあった訳ですよね。これからそうなるかもしれない仏像が、あちこちにあるかもしれません。
「ご本尊様をお守りするだけで精一杯です」とおっしゃるお寺さんも少なくない現状で……。
原田:こういう悩みは全国どこも一緒と思います。特に管理者がいなくなって問題になるのはお像が盗まれることですね。これも、青木先生の調査の目的のひとつでした。仏像の基本的な台帳を作るということは、散逸や盗難を防ぐためだと。
吉田:どんな仏像がどこにあるか、写真と寸法など、記録がないと照合もできないですからね。数年に一度のご開帳の時に仏像がないことに気づいたけど、写真もなく大きさもわからず、捜索しようがない……ということもあります。
望まない形での記録流出を心配されたり、代々秘仏だからということで調査を避けられるお寺もありますが、社会の仕組みが変わってきている以上、信頼できる人や機関との情報共有はお像を守り次世代につなぐ有効な一手となると思います。
原田:歴史的な調査も、盗難防止も両方大事なんですよね。
吉田:調査で、お寺と仏像の新しい歴史がわかることもまだまだありますしね。私たちもできる限り協力させていただきたいと思っています。
今日はありがとうございました!最後に一枚写真を撮らせていただけますか?
原田:あぁそれやったら私よりね、町の「ぶっちょう造り」※を写してもらえますか。
吉田:分かりました(原田さんらしい…笑)。お天気も良いですし、皆でお散歩がてら行きましょう。
※ぶっちょう造り
正式には蔀帳(ぶちょう)造り。高温多湿や暴風雨に対応した民家の様式。玄関脇の二枚の板戸を上下に開閉するしくみで、下側(シタミセ)を閉じれば雨戸、開ければ縁台になり、誰でも気軽に立ち寄り腰掛けて過ごす光景が今も見られる。昔は京阪神や、高知県の海岸線で多く見られたが、現在は東洋町や徳島県の下灘地方に残っている文化遺産。
原田さんとの対談を終えて
「仏像は遺産」とおっしゃった原田さん。
終始飾り気のない穏やかな語り口でしたが、先人の残してきた思いを尊び、次世代へ残そうとする強い意志と情熱がヒシヒシと伝わってきました。
また、仏像が、宗教・宗派を超えて親しまれ、その土地土地の信仰と溶け合い、教えのエッセンスを伝え続けている姿も見えてきました。
この連載をはじめるにあたり、なんとも言えない危機感を持っていたのですが、原田さんとの対話の中で発見したのは「智恵の分断への恐れ」でした。
これから、人口減に伴って、これまでと同じにはお祀りできないお像も出てくるでしょう。
そんな流れの中、私たちにまずできることは記録を残すこと、伝えていくことだと再認識しました。あなたはどんなことを感じられましたか?
次回は、高知県の中山間部のお寺、臨済宗妙心寺派のまきでら長谷寺(ちょうこくじ)の小林玄徹住職にとっての「仏像とは?」です。限界集落にあって仁王像修復に踏み切られた背景も含め、お伺いしたいと思います。
それではまた、「えんがわ」に遊びにいらしてください。
【参考】
和歌山県立博物館のウェブサイトで、仏像盗難を防ぐ対策をまとめたポケットブックがダウンロードできます。ぜひご覧いただき、ご活用ください。