あなたにとって仏像とは? 原田英祐さん(郷土史家)前編

ようこそ!造佛所のえんがわへ。

ここでは、「あなたにとって仏像とは?」という質問を彫刻刀に、対話で仏像を浮き彫りにしていこう、そんな試みをしています。

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今回は、過疎の進む地方の小さな町で、仏像含む歴史や文化を守ろうと奮闘されている男性との対話です。

写真が苦手だそうで、カメラ目線の写真がほとんどありません

原田 英祐(はらだ えいすけ)
1946年高知県東洋町生まれ。東洋町文化財保護審議委員。

30代から地元の歴史や史跡に親しむ。かつての食糧庁の地方出先機関を退職後、本格的にフィールドワークを始め、町の歴史の生き字引的存在となる。

郷土史家として文化財の研究・調査に協力する他、自身で資料集を出版。近年はテレビ番組への出演機会もあり、2019年は「歴史秘話ヒストリア」(NHK総合)にも登場した。

原田さんは私にとって、埋もれさせたくない歴史をたくさん教えてくれる「近所のおじさん」です。とても身近な存在ゆえ、わざわざここで近所のおじさんの話を……?と躊躇がなかったわけではありません。

ただ、「身近なおじさん」が実は結構すごい人だった……というのは珍しくない話で、原田さんの場合、その歴史研究の姿勢において青木淳先生(多摩美術大学美術学部教授)をして「あの人のしてることはプロ(学者)の仕事ですよ」と言わしめたほどなんです。

そんな原田さんと仏像との思わぬエピソードを本で目にし、ぜひお話を伺いたい、それを皆さんと共有したいと思って今日はお招きしました。

そろそろ原田さんがくる時間ですね。
きっと、あなたと原田さんは、この「えんがわ」でないとお会いすることもなかったんじゃないでしょうか。

美味しいみかんが手に入りましたので、どうぞ遠慮なく。

おいしい季節です!

25年前、ある仏像研究者と出会う

原田:こんにちは。

吉田:こんにちは!お待ちしておりました。みかんはいかがですか?どうぞどうぞ。

原田:あぁ、おおきに。

吉田:よろしくお願いします!原田さんにお伺いしたいのは「あなたにとって仏像とはどんな存在ですか?」この質問一つだけです。郷土史家としてや、文化財保護審議員としてではなく、原田さん個人の思いやエピソードをお聞かせいただきたく思っています。

原田:仏像のことはもっと詳しい人がおるやろけど、それやったら私でもお話できそうやね。わかりました。

40年ほど前までさかのぼります。私が若かった頃、町内の史談会に誘われたんです。一番の下っ端でずいぶんと可愛がられてね。地元の歴史や伝承を先輩方に教えてもらうようになりました。

仏像に興味があったわけでもなくて、どこにどんな仏像があるのか、ということくらいは知っているという程度でした。

それが25年くらい前やったでしょうか、青木淳先生(現:多摩美術大学教授)が高知女子大(現:高知県立大学)にいらしたのが転機になりました。

吉田:大掛かりな仏像調査をされたそうですね。

原田:はい。国からの補助金をもらって事業をすることになり、仏像調査を提案したのが青木先生でした。それを受けて、県の教育委員会から各市町村に、神社・寺院、仏像の資料を提出してくださいという要請がありました。

その時、「東洋町の史跡に関しては原田が詳しい」ということで、私がすることになったというわけです。

吉田:当時、原田さんの基礎調査的なものが既にあったんですか?

原田:いや、まとまった資料はなくて、そのとき初めて一覧表にしました。小さな町やけどかなり(仏像の員数が)ありましたね。

吉田:その成果の一つが、2014年に多摩美術大学で開催された展示、「祈りの道へ-四国遍路と土佐ほとけ-」ですね。当時東京にいたのですが、高知にこんなにたくさん素敵なお像があるのだと、この展示で初めて知りました。高知にUターンしたのは、魅力的な仏像がたくさん出てきた、というのも要因として少なからずあります。

意識するようになった仏像の耳

吉田:「東洋町の文化財ー仏像ー(高知県地域文化遺産調査・活用事業 編 1999)」という冊子は、その調査のあと編纂されたんですね。

原田:はい、そうです。

自身が出版した資料集や、調査協力した資料を前に話す原田氏

吉田:移住してきた当時、これをもとに町のお像をみて回りました。その頃、原田さんが初めてうちの工房にきてくださったんですが、修復中のお像をご覧になって耳の形に注目されたこと、正直驚きました。

原田:はは、青木先生と仏像の調査を初めてから、ちゃんと勉強しようと思って年代を調べたりするようになったんです。それで、先生にオススメの本をおしえてもらいました。西村公朝さんの本が良いと聞いて買いました。それで、耳の形に時代ごとの特徴があるということを学んだんです。

仏像の見え方も知識があるとたしかに違ってきますね。専門書を読むというのは大事なことやったなと思います。

土の中から掘り出したご本尊

吉田:それで、この「東洋町の文化財」なんですけど、役行者(えんのぎょうじゃ)坐像について「原田英祐氏により本尊および前鬼後鬼の三体が土中より確認されたとあります。

廃仏毀釈の頃に仏像を土に埋めて守った、という話はよく聞きますが、役行者像もそうだったんでしょうか。掘り起こされた経緯をぜひお聞きしたいです。

原田:なんで土に埋まっておったんかははっきりとは分かりませんが、子供の時からその場所に役行者堂があったらしいことや「講」をしておったのは知っておりました。当時、すでにお堂はなくなっておりましたが。

ただそのお堂跡に、みかんのコンテナが横倒しになって地面から半分だけ出ていたんですよ。

それで、青木先生に「どうも土の中に埋まっておるみたいです」というてみたところ、「地面に仏像が埋まっているわけないでしょう」とおっしゃる。

だけど「町の仏像を調べる上で見ておかんといかん」と思うて一人で行ってみました。

ひとまずコンテナに入っておったのを掘り起こして見てみたら、役行者が従えている「前鬼」と「後鬼」の像が入っておった。

「これはご本尊さんもどこかに埋まっておるのではないか」と思うて、辺りの落ち葉をどけたり土を掘ったりしてみたら、役行者のお像がバラバラになってでてきた。

一晩かかって全体の1/3くらいやろうか、出てきました。

そのころ偶然に、大阪市立美術館で「役行者と修験道の世界 : 山岳信仰の秘宝」を開催されていた石川知彦先生が、青木先生の紹介で見てくれたんです。そうしたら、「こちらの役行者さんは大変古いものです」と。

吉田:あ、内刳り(うちぐり)※もしていますね。

※木彫仏の造像技法のひとつ。像の内部をくり抜いて空洞にすることにより、像を軽量化したり、干割れ予防等の効果がある。この空洞に、納入品等も入れられるようになった。

原田:そうなんです。「これは寄木造りで、四国ではこれが一番古い。おそらく室町時代でしょう」と言われました。残念ながらバラバラやけどね……。

吉田:役行者といえば山のイメージですが、どうして海辺の町に四国最古の役行者像があったんでしょうか。

原田:それはね、ここは紀伊半島や大阪に近いでしょう。当時は船での行き来が盛んやったんです。役行者の信仰が全国に流行しはじめた最初の頃に、こちらへ船で来たのではないかと。

四国と近畿地方は昔から交流が盛んでした

原田:いろいろと京阪神から港を通じて流行が入ってくるんですが、その中の古い一つの例ではないかなと思います。

吉田:なるほど。このお像は今はどうなっているんですか?

原田:今は新しいお堂ができて、化粧箱に入れて納めてあります。壊れてしもたものやけど、大事なものなので。

吉田:このバラバラの状態でも大事にされ、お堂が建って…感動しました。

原田:行者講をする人も、お堂を世話する人もおらんなって、お堂も朽ち果ててしもうておったのにね。

吉田:このお像だけが残ったんですね。

原田:そうです。私がご本尊を拾うてきたときは、腐っていたし濡れているしで、とにかく自宅で乾かして。そうこうしているうちに、タイミングよく森本美勝さんという地元の大工さんからお堂を建て替えようという話が持ち上がりましたので、そこへ納めましょうということになった。この大工さんはもう亡くなっておるけど、あちこちのお堂を無償で建て替えたり直した人やった。

吉田:もし原田さんが見つけなかったら、お像はそのまま土に還っていたかもしれませんし、お堂の再建もなかったかもしれませんよね。

原田:どうやろうね。私が役行者さんを整備しゆうということは近くのお寺に言うておったので、それやったらお堂を建てようという話が持ち上がったという面はあるかもしれません。お堂が完成した時はもちろん青木先生も来てくれて、餅投げしたのを覚えておる。ははは。

吉田:それは、本当にすごいことされましたね。

原田:いや…そんなすごいことはないんですけど、そんな流れがあったんですね。

(後編へ続く)

前編では、原田さんが研究者との調査をきっかけに、仏像への認識を新たにされた様子や、地元の古仏発見の立役者となられたエピソードを伺いました。後編では、いよいよ「原田さんにとっての仏像とは?」に迫りつつ、法然上人の足跡や仏像を守っていくために「今」できること等にふれていきます。

またぜひ、この「えんがわ」にお越しください。


よしだ造佛所運営。四国で生まれ、お坊さんや牧師さんに説法をねだる子供時代を過ごす。看護師/秘書を経て、結婚を機に仏像制作・修復の世界へ。2017年に東京から高知へUターンし、今日も四国のかたすみで奮闘中。文化財保存修復学会会員。趣味は弓道、龍笛。