神秘に出会う妊娠と出産

この春に我が家は新たに家族が増えました。
健やかな男の子です。

妊娠を知ったのは丁度昨年のお盆くらいのこと。嬉しいどころか、なかなか実感が湧かずにスタートした妊婦生活でしたが、今は何とか新米の母親として過ごしています。子育ては序章でまだまだこれからですが、これまでも貴重な経験をさせてもらったと感じています。まず何よりお産がその一つです。

お産と聞くと「鼻からスイカ」だとか「男性だったら死ぬ」とか「命懸け」といった恐ろしいイメージが先行して、相当ビビっていたわけですが、十月十日とは不思議なもので妊娠後期に差し掛かった頃には「どんと来い!」と構えている自分がいました。妊娠期間にはベテラン助産師と呼ばれるような方々の書籍を幾つも読み漁りました。私の所感としては素晴らしい先生ほど「お産はなるべく手を出さず見守るだけ」という考えを持っておられ、医学を超えた命の神秘を説かれていました。そんな影響もあってか「赤ちゃんの生まれようとする力と、自分の底力を信じてみたい」と強く思えるようになりました。そして迎えた出産当日。波のように押し寄せる痛みと戦い、ゴールが見えない暗闇をひたすら突っ走ったようなお産を経験しました。あの時の痛みは一生忘れません!と言いたいところですが、翌日にはスッカリ思い出せなくなっていたので人間の身体はうまくできているなと驚くばかりでした。

そんな出産から数ヶ月。あのとき頑なに信じた「息子の力」「私の力」が単にそれだけでは無かったと感じるようになりました。本当はもっともっと大きな力で、測り知れない力があったのだと思ったのです。もちろん自分自身を信じ、覚悟を持って挑んだお産でしたが、今思い返せば「そもそも自分自身の力って何?」という話です。あのとき自分を信じたそのもっと先、無意識にほど近いところで「自分に力を与えてくれた圧倒的な存在」を確実に意識したのだと思います。言い換えれば「大きな力に身を委ねる覚悟ができた」という事です。私にとってそれは仏様と神様で、人によっては宇宙と表現するのかもしれません。

そもそも妊娠・出産は驚きの連続でした。
頭では分かっていても、いざ自分のお腹の中に命が宿って、徐々に人間の姿になっていく過程は不思議そのものでした。それに出産当日、生まれた我が子は分娩台で取り上げられたあと体重測定やら色んな処置をされている間ギャーギャー泣き叫んでいましたが、私の胸に預けられた瞬間ピタリと泣き止み「お腹の中から聞いた声がする」と言わんばかりにじーっと見つめてくれました。今すくすくと育つ息子の日々の成長も驚きに満ちています。子供の事だけでなく、自分の変化も凄まじいものでした。妊娠後期のある日、風呂場の鏡に映った自分の鎖骨の下を見てビックリ。色白でもないのに何本もの血管がくっきり透けていたのです。冷静になって「そうか母乳は血液だもんな…」と納得したものです。母親の準備を進めていたのは身体的な変化だけでなく、いつしか精神面でも変わっていました。妊娠の実感ゼロからスタートした私でさえ、胎動を感じるようになったあたりからじわじわ我が子が愛おしくなっていきました。子供を産んだ今となっては、我が子だけでなくよその子も可愛くて仕方ない勢いです。

十月十日を経てじっくり母親にさせてもらった貴重な体験。
これまで妊娠・出産を通して私は沢山の神秘と奇跡に出会えました。
本当は今生きている毎日が奇跡的だと思うのですが、そういう事はすぐに忘れてしまうので
自分の妊娠・出産の体験をずっと忘れないようにしたいです。

こじま あゆみ

滋賀県出身。キリスト教(カトリック)を熱く信仰する家庭で育つ。6人兄弟の長女でクリスチャンネームはマリア。 2014年春、お坊さんと恋愛結婚しお寺に嫁ぐことに。現在名古屋市にある真宗大谷派・開闡寺(かいせんじ)の若坊守として日々奮闘中。京都の老舗木版画店「竹笹堂」の元店長。