釈徹宗さん「住職論」インタビュー(松本紹圭)前編

釈徹宗さんといえば、親鸞からハビアンから落語まで、
もはや説明の必要もないほど多方面で大活躍されているお坊さんです。
相愛大学教授という「宗教学者」としてのお顔でお目にかかることが多いのですが、
もう一つのお顔は言うまでもなくお寺(如来寺)の住職でいらっしゃいます。
私は以前から、宗教学者としてではなく、僧侶・住職としての釈徹宗さんに、
ずっとお話しを伺ってみたいと思っていましたが、
願いが叶ってインタビュ–させていただくことができました。
たっぷりの原稿でお届けまでに時間がかかってしまいましたが、
全3回に分けてお送りします。

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【松本】  ここ数年、たくさんの著作と講演で日本中で大活躍されている釈先生のお寺、如来寺さんを訪問しています。今日は宗教学者というより、如来寺住職としての釈先生のお話しをお伺いしたいと思っています。

【釈】 わかりました。

【松本】  釈先生は、著作や講演などお寺の外でもご活躍中ですが、住職としてはどんな心構えをお持ちですか?

【釈】 住職として自分なりに意識しているのは、皆さんが集まる場をお世話するという役割です。僕はわりと早くから自分はあまり宗教性が豊かでないことに気づき、性格も住職には向いていないと思っていました。ただ、お寺に集まってくる人は好きだったんです。この辺りの地域は熱心な念仏者が集まるところで、周りに宗教性の豊かな人が多かったんです。だからこそ、自分はそんなに純粋に信じられないという思いもありました。でも、そういう人が集まる場を管理したり守ったりするのは自分にもできるかもしれない。それが私の住職としての基本的な方向性です。

【松本】  熱心な念仏者の人というと、以前お書きになっておられた「後光の差しているおばあさん」のような方でしょうか。

【釈】 はい。そんな風には自分はなれないと思いましたね。でもそういう人たちへの憧れみたいなものがあったんです。少なくともそういう人たちが集まってくるような場所を守りたいと。本当に現代版妙好人伝に載せたいような人たちでしたね。

【松本】  では、たとえ自分が妙好人にはなれなくても、そういう人たちを守る場所をつくるには、管理人としてどういう事をすれば良いと思われますか?

【釈】 ひとつは、できるだけそういう場の形態を変えないようにすることですね。残念ながら、今の時代はそれが崩れてしまったんですけどね。ある種の独特な生活様式みたいなものがある地域だったので、それは守りたいと思っていたんです。

【松本】  独特の生活様式とおっしゃいますと。

【釈】 まず、在家報恩講を自宅でされるんです。必ず説教使をお呼びになって。毎回ですよ。昔は月に20日ぐらい法座がありました。法事もあるし、各家庭で報恩講もあった。で、そこに高座をおいて説教を聞くんです。それが年中続くんですよ。ちゃんと床の間に「御絵伝」をかけて、お説教を聞かれていたんです。お盆参りもお彼岸もなくて、真宗の習俗を色濃く残していましたね。さらに前の世代であれば、お説教を聞いた後に皆で御示談をしていたそうです。数は減りましたが、いまでも自宅に布教使さんを読んで高座説教をしておられますよ。「ウチはあの布教使さんに来てほしい」なんて希望も言うてきはります。それがここ20年ぐらい、バブル経済後、急に崩れだしたんですよ。

【松本】  保たれてきた場の形態が、少しずつ崩れてきてしまったんですね。

【釈】 崩れだすと速かったですね。世代交代の谷間というか。そこをいかにうまくつなげるかがテーマだったんですけど、つなげなかったですね。地域の事情もありまして。うちの檀家さんはほとんどが植木屋さんなんです。植木屋さんが、バブル経済終了後に急速にダメになっていくんです。庭に松植えようなんて言う酔狂な人はいなくなって、駐車場にしようとか。子供も跡を継がずにサラリーマンになっていきました。そうすると土日しか家にいないですから、布教使さんを呼んでなんてのんびりしたことやってられなくなったんでしょうね。生活形態の転換が一番大きかったですね。皆さん家業を継がずにサラリーマンになってしまって、そうすると村が持っていたエートスみたいなものがなくなっていったんです。そういう転換期に何かモデルがあればよかったんでしょうけど。

【松本】  釈先生は、儀礼の重要性を説かれることが多いように思います。それがなぜ大切だと思われるんでしょうか。

【釈】 それはいくつかの理由があります。まあ、ひとつには子供の頃から儀礼の力を目の当たりにしてきたから、というのがあります。多くの僧侶がやってきて、みんなできっちり法要を勤める。年配のお同行が儀礼に精通していて、若手に何かと指導する。儀礼が独特の場を生み出す。そういうのがかっこいいと思っていました。
ついでに言うと、とにかく私はそんな同行さんたちに育ててもらったという実感があります。子どもの頃から法座に集う同行さんに可愛がってもらいました。酔っぱらってからまれたりもしましたけど(笑)。地域の人も「住職を育てる」という実感があったんだと思いますよ。僕は昔、ちょっと酔っぱらった人に「あんたお坊さんに向いてないわ。弟の方がまだましやな。けど心配いらん。あんたでもなんとかなるわ」って言われたんです。それは「我々が育てるから」という気持ちがあったからだと思うんですね。若院の宗教性がいかに貧弱でも、我々檀家が住職を育て上げるという意識があったんですね。

【松本】  昔ながらの儀礼が崩れた部分があるにしても、今新たに地域の若い人が育っていると感じられることはありますか?

【釈】 今までの形態が崩れてしまったので、新しい形態を模索中です。坊守と一緒に、積極的な声かけ運動をしています(笑)。また、法座のコアになるような「運営委員」をつくろうとしています。一度途切れてしまったので、再構築中なんです。今までの雰囲気とか、そういうものがなくなってしまっているから。
前に應典院の秋田住職に「10年後は何しているんですか」と聞かれたんですが、「住職に専念していると思います」と答えたら、「それは意外だ」と言われたんです。でも、本当にやりたいのはそれなんですよ。今は大学に勤めたり、原稿を書いたり、講演や対談をしたり、NPOの活動したりしているでしょ。もちろんやりがいもありますけど、内心は忸怩たる思いです。いずれは、住職の活動以外のものをやめていきたいと考えています。
また、どこか便利な場所で寺子屋活動とかやりたいとも思っています。大学のサテライトキャンパスみたいなもの。小さくてもいいんです。でも、なかなか自分の思い通りの方向に行かなくて、どれも中途半端な感じがありますね。

【松本】  「みんなのお寺」が作れるといいですね。

【釈】 ウチのお寺みたいな形態も大切ですからね。これはこれで保持したい。と同時に、開かれたお寺もクリエイトしたい。いずれにしても自分一人の力ではムリなんですが。

【松本】  釈先生のお話しを伺っていて面白いのは、形態が途切れたことに対する敏感さです。きっと多くのお寺では形態が途切れていることに気付いていないんじゃないかと。親から子へと住職が代替わりして今までと同じことを続けているんだけど、何かが違っている気がする。見た目には法事をしたり報恩講をしたり、前住職の頃と同じようなんだけど、何か保ててないものがある気がする。でもそれが何なのか、分からない。そういう悩みを持つ住職は多いと思います。その変化を何によって感じ取るか。どこに眼をつけるか。何かポイントはありますか?

【釈】 まず誰でも目につくという点では、同行さんが高齢化してる、でも次の世代が来ない、ということでしょう。うちの場合はお寺に人が遊びに来なくなりました。昔は誰か必ず誰かが来ていたお寺でしたから。また地域の形態も変わりました。銭湯がなくなり、惣菜屋がなくなり、お嫁さんが集まってお姑さんの愚痴を言ったりする場がなくなり……。そのあたりは目に見えて変化しましたね。
人が来ないのは、僕の性格が要因でもあるのですが(笑)。もともと人と付き合うのが苦手なものですから、きっと「来てほしくないオーラ」が出ているのでしょう。住職の人柄や特性も、お寺の性格と密接ですよね。僕の祖母や両親なんかはオープンマインドな人で、そのためお寺にいつでも人が来ていたという部分があります。

【松本】  行くと釈先生に宗教学的に分析されてしまうんじゃないかと(笑)。

【釈】 そんなことはないと思いますが。ただ、僕は先代に比べると付き合いにくいんじゃないかと思います。先代はラテン系かと思うぐらい陽気ですからね(笑)。

【松本】  お寺との関係性もあるんでしょうけど、地域全体がサラリーマン化して生活様式や価値観が変化しています。形態が途切れたことによって、人とお寺とのつながりだけじゃなく、お寺と関係のない所での人間同士のつながりも切れてしまいました。逆に言えば、釈先生が仰っているのは、地域の形態をつなぐ役割としてのお寺は地域コミュニティの人間関係とか価値観にまで責任を持つんだということですよね。

【釈】 日本仏教のお寺と地域コミュニティは分かちがたく結びついていましたから。ウチのところなどはまだ自治会と檀家の区別がないんですよ。分かれていないんです。そういうの形態は少なくなっているでしょう。
お寺はその地域における公共性を担っていました。だけどそれはその地域固有の公共性であり、それ以外には発揮されないんです。そこにも行き詰まり感はあります。

【松本】  そうすると、多くのお寺では形態が崩れているのにそこに意識が回らないというのは、お寺の持つべき責任というものを、地域社会の形態ではなく、宗教儀式という狭い範囲に限定してしまっているせいかもしれません。今まで通りの儀式だけやっていれば、お寺としてはちゃんと務めを果たしていますよと。見た目だけは何となくやって保ててしまっているわけです。しかし、広い意味での生活様式・価値観まで意識を持つようにすれば、形態はたしかに崩れていると。

【釈】 そういうことです。逆に言えば、うかうかしていると、もともと生活全般にかかわるお寺だったのが、短期間でそうでなくなってしまう。宗教儀礼のおつき合いだけ。宗教心に関わる相談さえも少なくなってしまう。そういう動きがひとつの目安にはなります。ただ、今までの流れとは逆に「仏教の教えを聞きたい」という次の世代が出てきているんです。それは今の社会の各地でも見られる現象です。このような求めに応じていきたい。
いずれにしても、ここは地域性が強いので、独特のニーズがあるという感じです。

(次回へ続く)
→釈徹宗さん「住職論」インタビュー(松本紹圭)中編はこちら
→釈徹宗さん「住職論」インタビュー(松本紹圭)後編はこちら

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