きっかけの始まり〜他の誰かのためのお寺と、父のお墓があるお寺が「つながる」こと

こんにちは。
東京の神谷町にある浄土真宗のお寺・光明寺で、平日の早朝、月に2回ほど僧侶の松本紹圭さんが開催するTemple Morning(テンプル・モーニング)」に参加しています。
「一般人」のユミです。

今年の9月23日。生まれて初めての「お彼岸の法要」へと、休日のお昼過ぎ、神谷町に向かいました。

「お寺の朝掃除の会 Temple Morning」に参加した感想文を書きませんか。松本さんにそう声をかけられ、なんとか書き上げた500文字が掲載された、光明寺の寺報の表紙に踊る「秋のお彼岸 一座法要」というタイトルに惹かれたのです。

地下鉄の改札を抜けたとたん、お香がほのかに鼻腔をくすぐり、出口へと向かう人の波には、黒いワンピースに真珠のネックレスという女性の姿も混じります。地上に出れば、見慣れたはずの神谷町交差点はお線香の煙で白くかすみ、たくさんの家族づれが少し華やいだ秋の陽射しを浴びながら、東京タワーのふもとに集まるお寺へ——ご先祖のもとへと散っていきます。

「一座法要」なんて歌舞伎の演目じみた響きに誘われて来たけれど、本当に大丈夫だったんだろうか。そもそも檀家さんでもないし、お掃除しに通ってるだけなのに。
通りのむこう、はす向かいには光明寺の入り口が見えています。でも、足を踏み出す間もなく青信号は明滅し、赤に変わりました。

 

そもそも仏事にうといのに、4年前に亡くなった父のお墓があるお寺へ、お中元とお歳暮を贈るようなことをしているのは、記憶にある父がそうしていたから。そしてお参りを思い立つには少し距離のあるお寺へ、せめてもの——大家さんへのお礼みたいな気持ちでした。そのお寺から去年の暮れ届いた手紙に、頂いたお酒はお手伝いに来てくれた皆さんにふるまいましたとあるのを読んで、あ、そういう方々がいらっしゃるのか、とびっくりしたくらいお寺の行事には無関心だったのです。

行事といっても父のお墓は浄土真宗で、お彼岸も特別な供養はしないとハウツー本に書いてあったし。そう独りごちて、街のあちこちに「ぼたもち」「おはぎ」の文字が目につく頃をやり過ごしてきたのに、去年の10月からお掃除に通うようになって初めての春、浄土真宗である光明寺の墓地が、お花畑のようにさざめいているのを見て感じたあの居心地の悪さが、秋のお彼岸真っ只中の交差点で蘇ってきます。

 

父が若い頃、故郷に建てたというお墓があるお寺へ遺骨を納めたのは三回忌のタイミングでした。そしてそれまでの2年の間、「宗教から一歩引いていることが健全だ」と思っている自分が「父を弔う気持ちを表現する手段を持っていない」ことに気がついて、父の骨壷の前で戸惑い続けたのです。

お墓がお寺にあるなら、仏教だよね——悩んだ末に思いついたのは、月命日に、一般人ウエルカムなお寺で「般若心経の写経」をすること。ところが毎月、タタリを疑うほどに首と肩がこるし、お経は冥福を祈る感じでもない。スタンプカード的なものが2冊目に入る頃には疑惑でいっぱいです。

「この前、電話をしたついでに、娘は般若心経の写経をしておりますってご住職さんに言ったの。そうしたら、えっ、て受話器の向こうで一瞬言葉に詰まってたわ。浄土真宗ってなにか勝手がちがうのかしらね」という母の報告でさらにわけがわからなくなり、三回忌の法要と納骨が終わったところで「浄土真宗的弔いの手段」を手に入れなければと、父の写真と法名を抱え聞いてみたのです。これからどうすれば?

「南無阿弥陀仏って手を合わせてくださいね。」

これがご住職さんの答え。——それだけ?

「それだけでいいんですよ。それしかないんですよ。」

少し拍子抜けしながらも、それからひたすらに唱えたのです。
「煙が少なくて消臭効果がある」という、うたい文句のお線香をあげて、毎日。朝昼晩。
南無阿弥陀仏。南無あみだぶつ——。なむあみだぶつ——…

…で?
なむあみだぶつって、なに。

1年後。我慢の限界がきました。
そもそも自分のためじゃない。父を、父の記憶を、父への思いを、どうにかしたいのに、なむあみだぶつ?
有名な哲学者や著名なお坊さんが書いた本、ハウツー本。目につく限り読んでみても、たったこれだけの疑問に対する答えは、どこにも見つからないのです。

 

ご住職さんに、手紙でも電話でもして聞いてみればよかったのかもしれません。
でもその時は、そうじゃないと思ったのです。自分の目を見て、自分の疑問をその耳で聞いて、その空気が振動する様をそのまま受け取って返してくれる、そんな人に答えてもらいたい。今、ここで。

——やみくもに、なむあみだぶつと唱え続けた末の焦燥に、どうにかして検索で引っかかったのが「神谷町・光明寺のオープンテラスと傾聴」でした。

 

通った幼稚園でもなく、お葬式や法事でもなく、観光でもなく、拝観料も払わず。「他の誰かのためにあるお寺」に足を踏み入れた、それが初めての瞬間だったかもしれません。つんのめる勢いで傾聴の予約メールを送ったくせに、気後れして空回りしながら上った階段の先には、カフェのようにテーブルが設えられ、ふわふわと微笑む不思議なお坊さん 木原祐健さんがいて、言うのです。

「阿弥陀さまは、光です。」

父を弔うための手段とは、結局「私」が納得するための「物語」。
そんな「物語」を持っていないがためにジタバタしていた自分の中にある何か——散らばっていたパズルのピースのようなもの——が、突如、ガチガチと音を立てて組み合わさりました。
その瞬間、その言葉の意味はわからないままに。
それは去年の8月。父の誕生日のできごとでした。

 

それからもう一つのきっかけを経て、松本紹圭さんの朝掃除の会に参加するようになって1年が過ぎ、すっかり通い慣れた神谷町交差点。秋のお彼岸でお線香にけぶる中、信号が青に変わりました。はす向かいに見えている光明寺ではもうすぐ「一座法要」がはじまります。

木立は、平日の朝7時半とは違う影をお寺の石畳に落としています。でもそこは四季の移ろいの中、何度もなんども竹箒で落ち葉を掃いた、見慣れた入り口に違いありません。

 

 

お掃除に来てるだけなのに。檀家さんでも信者でもないのに、すみません。お参りの方々でいつもより狭く見えるテラスで、首をすくめてつぶやくと、木原さんは、いえいえ、と言うのです。

「お寺のお掃除もご縁です。ご縁がある方、どなたでも来ていただいていいんですよ。お参りくださってありがとうございます。」

ご縁のある方。もしかしたら今日この日、あの墓地も、こうしてお花とお香につつまれているのかもしれない。そして、数日後にはその片付けを手伝ってくれる人たちがいるのかもしれない。
自分も、この光明寺の花畑が茶色く色を変えた早朝に、墓地のお掃除をするんだろう。

そう思いついた瞬間。
秋めいて少し傾いた陽射しの中、2階のテラスから見下ろす窪地にはお香の紗がかかり、それでも花々が光を灯すように浮き立つこの神谷町・光明寺の墓地が、光る海を遥かに眺める父のお墓と確かにつながったような気がしたのです。

そんな告白に、黒の法衣姿の木原さんは、初めて傾聴にうかがった時と同じようにふわふわと微笑み、すこし眩しそうにどうぞごゆっくり、と、うなずくのでした。

自宅兼事務所から東京・神谷町の光明寺まで徒歩1時間30分な、グラフィック・デザイナーです。仏教どころか宗教に関してまったくの「一般人」が、お寺で朝の掃除をする会——Temple Morningのアンバサダー(?)として、ゆるりとレポートします。