【お寺の朝掃除◎写真日誌】秋空〜記録の更新。そして、初めて雨が降った日。

■2018年9月28日(金)第28回 Temple Morning@光明寺[17.3℃ 晴]
・参加者/11人
・法話/働かないロボットこうありたいと思ってもなれない、ダメと思ってもやってしまう、こんな私でも唯一できる仏道が南無阿弥陀仏

お彼岸を過ぎ、テラスに落ちるテーブルの影が少し伸び
墓地の花畑は青い影の中、にぎやかに色を撒き散らしています。

雨に降られない、Temple Morningの記録は28に伸び
深度を増した青い光の中、金木犀がその香りを撒き散らしています。

今日も、晴れましたね。誰にありがとうを言えばいいんだろう!
少し浮き立ってそう言うと——

「うん。でも、雨が降らない、ということが
誰にとってもいいことだとは、限らないよね」

からかうでもない松本さんの口調に、
指向性をもった感謝は、軽やかに拡散させられていきます。

思うがままに石畳を、階段を竹箒で掃いてまわり
墓地の枯れた花々を追って、斜面を一段一段のぼり
見え隠れする仲間を見下ろしながら、テラスで拭き掃除をする。

金木犀の香りに乗って、この東京タワーの足元に穿たれた
窪地にひろがっていく「誰かがきれいにした場所」。

そんな自由がないかもしれない雨の日を思うと、
やっぱり「雨を降らさないようにしてくれる誰か」に
感謝してみたくなるのでした。
 

■2018年10月5日(金)第29回 Temple Morning@光明寺[18.0℃ 雨]
・参加者/8人
・法話/供養は死者を存在させる行為である夢や目標を持つことは今を否定しているということでもある孤独と孤立のちがい

雨です。

「これをきっかけに、今度は毎回降るようになるかもね」
すこし楽しそうな松本さんの第一声に、ほっとします。

ここに来るまでのあいだ、傘の下で
掃除が始まる頃には止んでくれないかな、と
気を揉んでいたのです。
そして、いつも記録更新と喜びながらも
いつか止まるだろう「その日」を
恐れていた自分に気がついたのでした。

薄曇りの第一回目から、ちょうど365日後。
初めての雨の中、はじまったTemple Morningは
集中できる場所をさがしながら
箒を持った人、雑巾を持った人、
それぞれが屋根の下、テラスを動き回り
オフィスの大掃除みたいになっています。

大テーブルを囲んでの茶話が始まり、
松本さんの話に耳を傾けながらふと見回すと
音も立てず降りしきる雨が
カーテンのようにひそひそと
テラスを護り包んでいるのでした。

そんなTemple Morningを
だれも嘆いていないし、だれも責めていません。

「雨が降らない、ということが
誰にとってもいいことだとは、限らないよね。
雨が降ることで、恵みを受けるひともいる」

一週間前、秋晴れの中で聞いた松本さんの言葉。

雨が降って記録が止まったら——。
いつかくる「その日」を恐れることは
「今ここには無いもの」を恐れることでした。

そして今日。
いつかくる「その日」を「今」に変換しながら
雨はただ、ここに降っています。
それは、掃除をし終えたテラスに流れる時間を、
砂時計のように積み上げて見せるのでした。

南無阿弥陀仏

 

◆追記:写真の和菓子はその日の午後、テラスでのおもてなしの時間に
光明寺・僧侶の木原さんが手作りして、出してくださった
「わらび餅の雲母ごしにさつまいもの満月を見る、柿の猫」です。

自宅兼事務所から東京・神谷町の光明寺まで徒歩1時間30分な、グラフィック・デザイナーです。仏教どころか宗教に関してまったくの「一般人」が、お寺で朝の掃除をする会——Temple Morningのアンバサダー(?)として、ゆるりとレポートします。