前回は、午前中の大庫院の様子をご紹介しました。 今回はその続きとなりますので、合わせてお読み下さい。
それでは早速、午後からの様子をご紹介することにしましょう。
■日中諷経 (昼のお勤め) 中、他の寮舍から僧堂で食事を配る役目の浄人が来るので、配膳をする。
■朝と同じく、僧堂に料理を運ぶ前に、典行当番が修行僧に食事を供養(お供え)するための僧食九拝を行う。
■僧堂で中食を行ずる。
■中食後、大衆当番の3人で薬石 (やくせき・・・夕食) 準備。役平当番が役平 (やくびら・・・役寮さん用のプラス一品) を調理。
■晩課諷経 (夕方のお勤め) 中、他の寮舍から僧堂で食事を配る役目の浄人が来るので、配膳する。
■僧堂で薬石を行ずる。
■薬石を作り終えた後、庫院内の調理器具、床などを全てきれいに掃除。
■夜坐 (夜の坐禅) に行く。 典行当番は、日誌の記入、ガスの点検などを行なう。 仏菜当番は、明日の早朝分の仏菜を作る。 大衆加番は明朝粥用の米を研ぐ。
■21時開枕 (就寝)
大まかな流れは、こんな感じです。 午後は午前中ほどの慌ただしさはありませんが、ひとつひとつは午前中とほぼ同じように機能しています。
特徴的なのが、夕食の呼び方でしょうか。 我々は 「薬石」 と呼んでいます。 朝食が小食、昼食が中食、それでは夕食は 「大食」 じゃないの? と思った方もいらっしゃるかも知れませんが、そうは呼ばないのには理由があるのです。
もともとインドの修行者の間では正午を過ぎて食事をとらないことがルールでしたが、中国・日本では夕食をとる形に変化していきました。 これを薬石と呼ぶのは、仏の制戒に反するところでも飢えと渇きの病を療ずる薬として服するということ、また、古来は自分の懐に温めた石を抱いて一時的に空腹をしのいだことの二点からその名称がついたと言われています。 お茶席で頂く簡素なお食事のことを懐石と呼びますが、後者のエピソードが語源となっているのです。