以前に電子書籍『ヤンキーと住職』のご紹介をさせていただきました、浄土真宗本願寺派の僧侶、近藤丸(こんどうまる)と申します。
普段は京都市内の中学・高等学校(浄土真宗本願寺派宗門校)で宗教科の教員として勤務しています。中学生・高校生と共に仏教に学ぶかたわら、マンガ家・イラストレーターとしても活動しております。
絵を描くのが好きで、2020年から本格的に日常のエッセイや仏教をテーマにしたマンガを描き始めました。元々は学校で関わってきた、中高生をはじめ若い学生に仏教の言葉や歴史を伝えようとマンガを描き始めました。ところが、作品の倉庫のように利用していたSNSで徐々に、一般の方にもマンガを読んでもらえるようになりました。その中で描き始めた『ヤンキーと住職』という作品は、多くの方に読んでもらえるようになり、私の代表作として電子書籍で出版をいたしました。
その『ヤンキーと住職』が、この度初めて紙の書籍として出版されることとなりました。タイトルは『ヤンキーと住職』。タイトルは同じですが、電子書籍で出版したものとは、異なる中身となっております。2023年2月2日(木)にKADOKAWAから発売され、全国の書店やAmazonなどのネット書店で購入ができます。
今まで私のSNS等で発表してきた作品の他に、ヤンキーの過去を描いた約60ページの書き下ろしマンガ、手塚治虫先生の『ブッダ』のオマージュ的な作品、新たに執筆したコラム等を収録しております。
今回は、『ヤンキーと住職』という作品と、今回出版される単行本に込めた思い。出版に至った経緯などをお話させて頂きたいと思います。
『ヤンキーと住職』について
新刊の編集者の方が、描いてくれたコピーがあるので引用します。
ヤンキーと住職が仏の教えを学び合う!浄土真宗僧侶が描いた、マンガで楽しく学べる仏の教え。仏教好きヤンキーと頭でっかち住職の対照的な2人が、それぞれの視点で仏の教えを解釈していく。
このコピーの通りで、今まで仏教を題材にしたマンガはいろいろあったと思いますが、私は僧籍を持つマンガ家です。仏教に関わる中で感じたこと、考えたことをマンガにしました。こうしたマンガは今までにあまりなかった作品なのかなと思っています。
特に私の場合、浄土真宗の中学・高校で宗教科の教員として勤務してきたので、若い人に仏教を伝える機会がありました。その中で、「どうしたら若い人たちに、関わりが薄いように思える仏教の教えを伝えられるだろうか」と試行錯誤してきました。その試行錯誤が、マンガを描くうえで役立っているように思います。限られたマンガの情報量の中で読者にいかに伝えるかという作業は、全く仏教に触れてこなかった生徒に教えを伝えることと共通する部分があります。
少し『ヤンキーと住職』のあらすじをお話させて下さい。物語は、法務や門信徒との関わりに悩みながら日々の務めに励んでいる住職が、お寺の前でヤンキーと出会う所から始まります。ヤンキーの背中には「天上天下唯我独尊」という刺しゅうが。そこで、住職はヤンキーに恐る恐る「その言葉の意味知っていますか?」と声を掛けます。そこからヤンキーと住職の対話が始まります。
その二人のやり取りを通して、様々な仏教用語の意味を考えていくというのが基本的なストーリーです。この設定は実は授業の中の生徒とのやり取りの中から生まれたのです。この作品の主人公は勉強熱心で知識はあるのですが、仏教を本の中だけで学んでいて頭でっかちになってしまっているのです。
ところがヤンキーの方は、人生経験も豊富で、自由な発想を持っていて、仏教の教えを彼なりのやり方で吸収していきます。その二人と仏教の教えが響く中で読者も共に仏教用語を学んでいけるようなスタイルになっています。内容は読んでもらった方が分かりやすいと思いますので、今まで発表してきた作品の一部を掲載します。よかったら以下から読んでみて下さい。
●「地獄はどこにある?」『ヤンキーと住職』第29話
https://note.com/shinran/n/n61f4b36df757
●「キサー・ゴータミーの話」『ヤンキーと住職』第18話
https://note.com/shinran/n/n25ceae93204a
●「天上天下唯我独尊」『ヤンキーと住職』第1話
https://note.com/shinran/n/nf43af66a740a
「満を持しての単行本の発売」新刊に込めた思い。
前述しましたが、2020年10月にコルクという出版社から電子書籍で「ヤンキーと住職」の話をまとめたことがあります。この電子書籍も多くの方に読んでいただきました。しかし、電子書籍のため、手に取ることができる人は限られていました。例えば、子どもに読ませたいという方やご高齢の方から「紙の本はないのですか?」「紙の本にして欲しい」という声が寄せられていました。またお寺の方からも「お寺や図書館に置きたい」という連絡も多く頂きました。そのため、いつか紙の本にしたいなと考えていました。
しかし、マンガを描いていくうちに、「これでいいのかな……」「大切な教えをどこかエンタメのような形で扱っていいのだろうか……」という思いが起こってきました。マンガは幅広い層の方に読まれやすいもの。その一方で、マンガの特性である「デフォルメし、一部を強調して伝えることができること」は弱点でもあります。仏教の教えをマンガにして伝えることはどこか危険性もあると思っているのです。
というのは、やはり宗教の教えは人の命にもかかわる部分もある、厳粛なものであるからです。仏教も、厳粛な教えとして先人たちが大切に伝えてきたもの。現代の私達もまた、先人たちがそうしたように慎重に伝える必要があります。
ところが、仏教をマンガにすることは、どこか仏教をネタにすることにもなりかねません。それをマンガとして表現する際には、描く人の誠実さが求められます。相当慎重に書かなければ、下手をすると教えの一部分を切り取って、作者の都合良いように解釈したりすることだってできてしまう。それが拡散されることで間違った教えの理解や解釈が一気に広がることにもなりかねません。私は仏教をネタにするようなことは慎みたい、したくないと思いました。しかし、人間はいとも簡単にそうした誘惑に流されていきます。それは教えを傷つけることにもなってしまいます。
自分の漫画にどこかそういう危うい部分が無かったか考えさせられることが増えた私は、だんだん自分のマンガに疑問が生じ、一時期全く描けなくなりました。今でもこの問題は私の課題です。教えを利用する、自分が握るという問題です。相当慎重にならなければならない点です。
しかし、その一方で、私の描いた漫画を通して「初めて仏教の教えに触れた」、「仏教を聞いてみようと思った」という言葉や、「本にして欲しい」との声も沢山いただきました。そこで思ったのは、「これが仏教だ」とか「これこそが仏教の教えだ」というマンガは私には描けないし、また描いてもいけない。それでも、「私は仏教や教えの言葉と出遇って、こんなことを感じました、こんなことを考えました」ということまでなら描ける。また、私が教えと出遇って感じたことがもし、大切に表現されたならばその事を通してまた誰かに何かが伝わることはあると思うし、もし大切に表現されるならば、それはまた一つの法話のようなものとなるのではないかと考えました。
今も葛藤は抱えていますが、そう思い直し、より丁寧に、マンガを描くようになりました。そして今では、マンガを描く以前に勉強・聴聞が大事だなと思って描くペースは落として集中して学びをする期間にしています
出版に至った経緯
2020年10月頃、ちょうど電子書籍を出したタイミングで、ある出版社の方から紙の本にしてまとめないかとお声がけを頂きました。しかし、上に述べたような理由で全く描けなくなったこともあり、紙の本にする話は無くなりました。
それでも紙の本として形にしておきたいと自分でコピーして自作の本を出そうかとも考えていました。ところがそんな折、KADOKAWAさんから「連載をしないか」とお声がけをいただきました。そのご縁が元となり、KADOKAWAさんから、連載作品を単行本にしてまとめて頂けることになりました。結局単行本にするのに2年以上の歳月を要してしまい、本になる過程で沢山の人にお世話になったり、ご迷惑もおかけしてしまいましたが、ようやく一冊の本として完成させることができました。
今回の単行本では、今まで明かされなかったヤンキーと住職の過去の話を描きました。ここに注目してもらえたらと思います。今まで、SNSの連載では単発の話が多かったのですが、今回の単行本では、ヤンキーと住職がなぜ仏教に関わるようになったのか、どんな過去があったのか、そして彼らのこれからも長編のストーリーマンガとして描きました。
コラムや新作描き下ろしも多く収録しており、電子書籍とは全く異なる内容となっています。今まで読まれたことがある方にも、初めて読む方にも楽しめる内容となっていますので、ぜひ本書を見かけた際には、手に取って頂けたら幸いです。
●作者の紹介
近藤丸(こんどうまる)
1984年富山県生まれ。浄土真宗本願寺派教師、漫画家。浄土真宗本願寺派高岡教区真光寺衆徒。龍谷大学大学院文学研究科修士課程修了(真宗学) 。浄土真宗の学校で仏教の教員として勤務するかたわら漫画家・イラストレーターとしても活動している。
【連絡先】メールアドレス:kondoumaru7@gmail.com
twitter: @rinri_y
note: https://note.com/shinran
instagram: @kondoumaru