【レポート】高岡銅器のルーツを知る鋳物づくりの体験も。スクール・ナーランダvol.2富山(後編)

2017年3月4日と5日に、富山・高岡で開かれた『スクール・ナーランダvol.2 』 のレポート後編です。

『スクール・ナーランダ』は、浄土真宗本願寺派が取り組む、10〜20代の若者のための新しい智慧の学び場。今回は「『土徳(どとく)ー土地からのいただきもの』が育むものづくり」をテーマに、豊かな自然と”真宗王国”と呼ばれる土地の精神風土を、フィールドワークと講義で学ぶプログラムで行われました。
 
2日目のプログラムは、高岡のまちに出て鋳物づくりをしたり、鍛金職人の工房や金屋町の町並みを見学するなど、高岡銅器を体験するフィールドワークが盛りだくさん。移動中のバスのなかで見聞きしたことの感想を語り合うなど、参加者間のコミュニケーションも深まっていました(1日目のレポートはこちら)。
 
 

本格的な鋳物体験! 錫製「ぐいのみ」づくり

朝9時半に新高岡駅に集合してバスに乗り込んで出発。向かう先は「高岡地域地場産業センター」です。ここでは、職人さんの指導を受けながら、錫製のぐいのみづくりにチャレンジしました。
 
 

まず、砂をつかって鋳型をつくっていきます。

 

一つひとつの作業はシンプル。でも、各工程を確実なていねいさで積み重ねていくことは難しい。

 

職人さんが、熱で溶かした錫を流し込んでくれました。液体化する金属、やっぱり不思議です。

錫が冷めるのを待って鋳型の砂をほぐしていくと、ぐいのみが現れました!

 
出来上がったぐいのみは、職人さんに研磨機で大きなバリを落としてもらい、各自でお持ち帰り。私も持ち帰ったぐいのみを自宅でせっせと磨きました。こうやって、ひとつのものとていねいに向き合い、素材と対話しながら仕上げていく作業に取り組んでいると無心になれます。その無心の境地と、仏教が説く「無」はちょっと近いのかも? なんだかそんな気がしました。
 
 
 

仏具「おりん」をつくる島谷昇龍工房を訪ねて

お昼ごはんは、高岡のシンボルのひとつ瑞龍寺門前にある[やすらぎ庵]で、「昆布飯」をいただきました。実は、富山は一世帯当たりの昆布消費金額が日本一。「昆布王国」とも呼ばれることもあるほど、昆布をよく食べるそう。そして昆布飯は、高岡市が新たな食のブランドづくりのために創り出したランチメニューなのです。
 
 

すべての器に昆布が入っていました!

 
さて、昼食の後は「島谷昇龍工房」にお邪魔しました。明治42年(1909)の創業以来、寺院用の「おりん」を専門に製造してきた工房です。迎えてくれた島谷好徳さんは4代目、金槌で金属の板を叩くことで形を整え、また音を調律するという伝統技法を受け継ぐ、日本有数の鍛金職人さんです。
 

島谷さんのやわらかな笑顔に、参加者の表情も自然とほころんで和やかなムード。

 
手に乗る大きさから、両手で持ち上げるのがやっとの巨大なものまで、工房ではいろんなおりんを見せていただきながらお話を伺いました。
 
日本の寺院ではおなじみの仏具ですが、「おそらく日本独自に発展したのではないか」と島谷さん。チベットには口の薄いおりんのような仏具はあるけれど、日本のものとは鳴らし方も違うそうです。ちなみに、おりんを使わない宗派はないけれど「呼び方は宗派によって違う」とのこと。
 
金属は叩くことによって金属密度が高くなります。形を整えるときも、おりんの音を調整するときも、叩きながら行うのだそう。工房で、島谷さんは調律前の音と、調律後の音を聞かせてくれました。この、調音ができるようになるまで、島谷さんが修業した期間はなんと12年(!)。時間をかけて磨き上げられた技が、おりんの音をつくりあげているのです。
 
 

調音前のおりんと、調音後のおりんの聞き比べ。正解した人は半分くらいでした。

 

「音のうねりを調整するんです。うねりが短いと壁を感じますので、うねりを長くして、自分に入って通り抜けていくような音にしていきます。調音をするのは朝いちばん。ひとりのときにします。朝のほうが耳がいいんですね。イライラしたり焦ったりしているときはいい音が出ないので、心をできるだけ平らにして、おりんと対峙していい音を引き出していきます」。

 
お寺でおりんの音を聞いて、心が澄むように感じた経験はありませんか?あの音は、島谷さんのような職人さんが早朝の工房で、自分自身をも静めた状態でつくられているものなのですね。
 
 

鋳物師のふるさと・金屋町の町家を見学

 
全国トップシェアを誇る高岡銅器発祥の地は、金屋町。前田利長が高岡に城を築き、町を開いたときに7人の鋳物師を招いて千保川のほとりに鋳物場をつくらせたのがはじまりとされています。金屋町は高岡銅器400年の歴史を今に伝えるまち。今も約500mつづく石畳の道の両側に、格子造りの家が建ち並んでいます。
 
 
 

今回見学させていただいた小泉家住宅も、金屋町の典型的な町家のひとつ。茶道と華道の先生をされている小泉先生がご案内くださいました。

間口よりも奥に向かって広い間取り。雪の多い冬にも採光できるように、中庭に面した部屋はガラス窓の大きなつくりになっていました。

 
 
鋳物師たちのまちは、千保川で城下町と隔てられていました。火を使う鋳物場から出火したときに、町に延焼するのを防ぐためです。鋳物場もまた川に近い位置につくられ、銅器は川に寄せられた船に積まれて、北前船による交易で全国へと運ばれていったそう。
 
金屋町に残る、こうした贅沢なつくりの家々を見ているだけでも、いかにこのまちが豊かであったかを窺い知ることができます。ひとつの町の歴史と人々の暮らしを、自分の目で見たり、耳で聞いたりすることを通して学び取っていく。そのプロセスに、仏教がどんな風に深く関わっていったのかを見ていくことは、大人の私にとっても非常に興味深く思われました。
 
 

“守る”伝統から”攻める”伝統へ(能作克治さん)

 
ふたたび善興寺に戻り、座学での授業が行われました。最初の授業の先生は、金属鋳物メーカー・株式会社能作の能作克治さん。新聞記者をしていたとき、能作のひとり娘である奥さまと出会い、伝統をつなぐために能作の家に入り会社を継がれたそうです。
 
 
鋳物に限らず、「全国の伝統産業は苦戦している」と能作さん。理由のひとつは、日本のライフスタイルの変化により、仏壇や畳の部屋、床の間など、生活から和の文化空間が失われていること。つまり、伝統工芸の技術を活かすための市場が見失われているのです。
 
能作は「”守る”伝統から”攻める”伝統へ」と、新しいチャレンジを続けてきた会社。「仕事が大好き」だという能作さんは「ぜひみなさんも仕事を好きになってください」と、こんな風に語られました。
 

「失敗も成功も悪くなくて、一番よくないのは何もしないこと。僕のポリシーは『済んだことは忘れろ』です。失敗したことは忘れたらいい。今を大事に生きていくことです。人生の枝分かれはたくさん出てきますが、どちらかを選べば、選ばなかった方は朽ちてなくなるんですよ。なくなるものを振り返ってもしかたありません。伸びるものを追いかけていくほうが楽しい」。

 
 
新聞社を退職してから、18年間現場で鋳物職人として修業をしたという能作さん。何も知らないからこそ、たくさんの職人さんに技を教えてもらうことができ、またそれを実践するなかで技を磨けたと感じているそう。そして、現場に入って10年目くらいから「能作の鋳物がきれいになった」という評価を受けるようになりました。その評価を知ったとき、能作さんは「自分の仕事をユーザーに問いたい」という気持ちを持ったと言います。
 
現在は、東京のセレクトショップなどにも、デザイナーとコラボレーションした能作の製品が並んでいます。商品開発においては、「ユーザーの一番近くにいるショップの店員さんの意見や、展示会に来てくれる人の声を反映している」と能作さん。もちろん、展示会は販路を広げることにもつながっています。
 
能作さんのお話を聞いていると、「教えてもらい上手」という言葉が浮かんできました。人の意見を聞く耳を持ち、教えてもらうことを喜び、教えてくれた人たちに感謝しながら、あたらしいものをつくって社会に還元していく。そのサイクルのなかに、しっかりとご自身を位置づけておられるのかな、と思います。
 
能作さんは、伝統工芸を、次世代につたえるために、高岡市が小学校で展開する「ものづくり・デザイン科」の時間で、鋳物を体験してもらうことにも関わっているそう。「伝統」という言葉から連想するイメージが「古い」から「新しい」へと変わる未来も、あるのかもしれません。
 
 
 

仏教とテクノロジー(飛鳥寛静さん)

1日目に続いて、2回目の登壇となった善興寺のご住職・飛鳥寛静さん。「仏教とテクノロジー」と題して、人類と技術の歴史、仏教が育んだものづくり、高岡銅器のルーツと、大きなところから焦点を絞り込むようなお話をされました。
 
 
人類の社会は、鉄の登場とともに大きく変化しました。鉄の農機具は農業を飛躍的に発展させて暮らしを豊かにすると同時に、経済的な格差を広げました。また、鉄は破壊力の強い武器をも生み出し、争いの規模をも大きくしました。やがて、鉄の文明は産業革命へとつながる道へとレールを引きました。私たちが享受している便利な情報社会、コンピューティングもまた、鉄の文明の子孫にあたるもの、と言えます。
 
仏教もまた、さまざまな技術を生み出しました。仏像や大きな伽藍をつくる技術、仏具、ご本尊を荘厳する織物など。善興寺の本堂もまたそのひとつ。この本堂の空間にあるすべてが、仏教とともに発展した技術であり、興味深いことに、この空間をつくりあげた技術そのものが、仏教を伝えるものでもあるのです。
 
 
飛鳥さんは、最後に菩薩が持っているという超人的な能力「六神通」を紹介されました。
 
神足通(自由に望む所に行ける、思い通りに姿を変える力)
天耳通(自分や他人の未来を見通す能力)
他心通(あらゆることを聞き分ける能力。普通の人が聞こえない音をも聞く力)
宿命通(他人の心を知る能力)
天眼通(前世における生存の状態を知る能力)
漏尽通(自分の煩悩が尽きて、今生を最後に、生まれ変わることはなくなったと知る力)
 
 
六神通は、仏さまと菩薩さまのみが持つことのできる超能力。 漏尽通(自らの煩悩が滅したとわかる能力)以外の五神通は「全人類が本能的に求めている超能力」で、「テレビや電話、移動手段など人類はその能力を手に入れるために技術を進化させてきたと言ってもいい」と飛鳥さんは説かれました。ところが、技術が進化すればするほどに、苦しみが複雑化し、幸福感が失われているのが現代の姿。なぜそんなことが起きているのでしょう?
 

「その原因は、五神通を手に入れようとしている人間の根源である「煩悩」を見つめないからだと説くのが仏さまの教えです。最後の漏尽通を得ないままでの五神通というのは、自己中心の超能力になってしまうのです。 漏尽通を得ると、すべての五神通が自らのためではなく、他者のために使われる能力に転じていく。そのことをこの六神通は教えていると私は受け止めています」。

 
飛鳥さんは「『煩悩を滅する』ことを目的にしない神通力は、赤ちゃんに刃物を持たせるようなもので、他者を傷つけ、自らを傷つけてしまうもの」だともおっしゃいました。「本当にそれは人のために、この世のためになることなのか」を深く問い続けたテクノロジーこそが、あたらしい未来をつくるものになりうるのかもしれません。
 
 
 

『スクール・ナーランダ』が示した可能性とは?

 
残念ながら、私は飛鳥さんの授業の後、グループディスカッションと鼎談の前に、帰らなければいけなかったのですが、レポートの最後に2日間参加して感じたことを書いてみたいと思います。
 
京都、高岡ともに『スクール・ナーランダ』の企画は、(宗派を超えて)お坊さんたちはもちろん、アートやお寺に興味を持つ人たちにも、少なからぬ驚きをもって迎えられたと思います。お坊さんとともに登壇するのは、現代アートのアーティスト、ラッパー、伝統工芸職人などなど。「この企画、攻めてるな!」という声、私もたびたび耳にしました。
 
この「攻めている」企画を主催したのは、本願寺派の「子ども若者ご縁づくり推進室」と、プロデューサーの林口砂里さんです。
 
実は、『スクール・ナーランダ』の開催前に、greenz.jpで林口さんにインタビューをさせていただきました。林口さんも実はご自身が浄土真宗のご門徒さん。そして、10代のときに現代アートに目覚め、アーティストマネジメントや、アート企画のプロデュースの分野でキャリアを築いて来られた方です。
 
おそらく、ご自身が10代でアートを理解した経験のある林口さんには「若い人だからこそ、思い切り”攻めている”企画が伝わる」という確信のようなものが、あったのではないかと思います。そして、『スクール・ナーランダ』には、若いからこそ受容できる仏教のあり方がひとつ示されたように思うのです。
 
また、今回の『スクール・ナーランダ』によって、これまで各寺院で開催されてきた「攻めている」仏教イベントが、位置づけなおされていくような気もしています。つまり、アートや音楽に触れることを望むセンスは、仏教を理解するセンスに共通するというひとつの見方が成立するように思うのです。
 
『スクール・ナーランダ』は、短絡的に「参加者が門徒になる」という結果は生まないかもしれません。しかし、仏教をもっとクリエイティブな文脈のなかでとらえていく、今の時代における仏教の新しい可能性を切り拓いていく場になるのではないでしょうか。
 
2017年度以降も、『スクール・ナーランダ』は続くそうです。今回参加できなかった人は、ぜひ次の『スクール・ナーランダ』に参加してください。講師のひとりにアンテナが立っているなら、他の時間もきっと楽しく過ごせるはず。そして、これからの人生を生きていくお守りになるような経験が待っています。
 
対象年齢を外れている大人としては、大人版の『スクール・ナーランダ』もあるといいなあ!と思っています。
 
 
スクール・ナーランダ Vol.2 富山(開催概要)
2017年3月4日(土)・5日(日)
会場:飛鳥山善興寺、他
講師:(3/4)太田浩史(真宗大谷派僧侶)、観山正見(天文学者)、内藤礼(美術家)
(3/5)飛鳥寛静(浄土真宗本願寺派僧侶)、能作克治(金属鋳物メーカー)、島谷好徳(鍛金職人)
 
スクール・ナーランダ公式Facebookページ

お坊さん、地域で生きる人、職人さん、企業経営者、研究者など、人の話をありのままに聴くインタビューに取り組むライター。彼岸寺には2009年に参加。お坊さんインタビュー連載「坊主めくり」(2009~2014)他、いろんな記事を書きました。あたらしい言葉で仏教を語る場を開きたいと願い、彼岸寺のリニューアルに参加。著書に『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』(フィルムアート社)がある。