皆さま、改めましてあけましておめでとうございます。本年も彼岸寺をどうぞよろしくお願いいたします。
さて、毎年恒例となっております干支にちなんだ「仏コラム」、5年前の戌年から始めたので、今年が6回目、ちょうど折り返しとなりました。本年2023年は卯年ですので、「ウサギの教え」と題して書いてまいりたいと思います。
ウサギと言いますと、古今東西、いろんな物語のモチーフになっています。その中でも最も有名なのはイソップ童話の「ウサギとカメ」でしょうか。日本でも「因幡の白兎」や、「鳥獣戯画」の中にウサギが描かれております。また「ピーターラビット」や「不思議の国のアリス」など、様々な作品にもウサギが登場しています。それだけウサギという動物が、身近で親しまれた動物であることが伺えます。
仏教が生まれたインドでも、ウサギは身近な動物として親しまれていたようです。その一例が、私達もよく知る「月のウサギ」。「月にはウサギがいる」という伝承はアジアで広く見られるそうですが、その由来となったとされるエピソードがお釈迦様の前世物語「ジャータカ」の中に出てまいります。まずは簡単にそのエピソードを紹介しましょう。
昔々、ある森にウサギが住んでおりました。ウサギには猿、キツネ、カワウソの3匹の友達がおりました。ある時その4匹は一人のお腹を空かせた年老いたバラモン僧に出会います。バラモン僧は食べ物を乞いて森を歩いていたので、カワウソは魚、猿は木の実、キツネは肉、それぞれが食べようとしていた食べ物をバラモン僧に施しました。ところが草を食べるウサギには、バラモン僧に施せるものがありません。そこでウサギは薪となる枯れ枝などを集め火をおこしてバラモン僧に言いました。
「私はこれから火の中に飛び込みます。その焼けた肉をどうぞお食べ下さい」
そう言うとウサギはパッと火の中に飛び込みます。
ところがその炎はウサギの毛穴一つも焼くことはありませんでした。実はそのバラモン僧は帝釈天の仮の姿。ウサギの命がけの慈悲の心、布施の行いに感動し、後世までその素晴らしさを伝えるために、月にウサギの姿を描いたのでした。
物語によって少し内容に揺れはあるようですが、大まかにはこんな感じのお話です。このエピソードは日本の「今昔物語集」などにも見ることができ、知っている方も多かったかもしれません。
この物語の中のウサギは、お釈迦様の一つの前世の姿として描かれています。自らの身体、そして自らの命を他者に与えようとする行為は、菩薩道における究極の慈悲、究極の布施行とされ、その善行が、後にお釈迦様へと輪廻する一因となったとされています。昨年「虎の教え」の中でも「捨身飼虎(しゃしんしこ)」のエピソードを紹介しましたが、こちらも同じタイプの物語と言えそうです。
仏(ブッダ)と成ることは、無限・無辺の「利他」の活動をしていくことでもありますから、菩薩道におけるこのような命がけの布施行もまた、一つのトレーニングとなっているのかもしれません。
ただ、このような身命を顧みない布施が善行となることは理解できなくはありませんが、実際に私達が実践するのはあまりにも難易度が高すぎます。あまりに極端な事例すぎて、私達にとっては、「教え」として機能しないようにも思えるほどです。それでも、慈悲の心や布施行の「本質的な理念」を理解するためには、このような極端な事例も必要なのでしょう。
また、このエピソードに登場する猿、キツネ、カワウソですが、それぞれ舎利弗、目連、阿難というお釈迦様のお弟子の前世であった説もあるそうです。3匹とも、バラモン僧にできる限りの布施をしたことが、きちんと善行となっているわけですから、いきなり究極の布施行の実践をしなければならないことにとらわれる必要はないでしょう。例えば「無財の七施(※)」など、誰でも他者のためにできる「利他」の行いがありますので、まずはできることからやってみることが大切だと味わえそうです。
世界でも、日本でも、様々なところで分断が生み出され、人と人とが言葉や暴力で互いに傷つけ合うような殺伐とした空気が色濃くなっています。そんな時代だからこそ、他者を思う心、慈悲や利他の心について改めて考えていく一年としていきたいものですね。
(※)無財の七施
眼施、和顔施、言辞施、身施、心施、床座施、房舎施の七つ。
眼施:優しい眼差しで人に接する
和顔施:笑顔で人に接する
言辞施:優しい言葉で人に接する
身施:他者のために自分の体でできることをする。
心施:相手の立場に立って思いやる心で接する
床座施:他者のために席を設けたり、譲ったりする
房舎施:休息の場を他者に与える