新米僧侶の日々是煩悩の一日

毎日の満員電車。忙しくも充実した生活。大都会、横浜。ボクが長く暮らしてきた思い出の街だ。今、ボクは三重県の伊賀というところにいる。360度山々に囲まれた長閑な城下町だ。生まれ育った故郷。仏道を歩もうと決め、自坊に戻ってきた。今日は、そんなお寺の暮らしをレポートしてみたいと思う。

とある一日

6時起床。だいたい、娘の寝相の悪さに起こされることが多い。朝の人がいない時間に、家の近所のお城までジョギング。朝のTwitterに投稿。完全にSNSの魔力にかかっていると自覚してしながらも、やめられない・・・

自坊に戻って境内を掃除。妻が化粧しているのを横目に、娘のお弁当作り。毎日、同じメニューだけど、食べてくれるのが嬉しい。朝ご飯の片付けをして、部屋の掃除。

8時30分。幼稚園がお休みの娘と、絵具でお絵描き。ここは、元先生の腕の見せ所。この日は、絵の具山が噴火して絵具が飛び出たという設定で、描き描き。「これは何?」「好きな色はどれ?」なんてお喋りしながら過ごす。できたものは、門に掲示。コロナのことを考え、お寺の行事などは行っていないけど、お墓参りに来る人が絵を見てホッとしてくれたらいいなと思う。

11時00分。娘をばぁばに預けて、ボクは朝昼兼用の読経タイム。いつも同じところでつまる。そして、線香の煙でむせてしまう。まだまだだなぁと思う。

12時00分。ランチは簡単に済ませる。娘は同じ家にいるのに、ボクの作ったお弁当を好きな場所で食べている。かわいい。一緒に本堂や庭の掃除。最近は松本紹圭さんのポッドキャスト「Temple Morning Radio」を聴きながらしている。Radioが終わったら阿弥陀経がBGM。だんだんラップに聴こえてくる。娘は完全に音楽だと思っているようだ。

13時30分。父に頼まれた名刺を作る。デザインに文句を言ってくるので耳を塞ぐ。

14時00分。読書タイム。最近はこの本を読んでいる。石上智康さんが書いた『この世とあの世を結ぶことば』だ。娘は隣で粘土。ボクも本を読みながら娘とも遊ぶ。

生きるということは、煩悩を生きるということです。

なんだかホッとする。読書は2冊を並行して読むので、もう1冊は仕事に関係する本を読む。ジョアンナ・メイシー著『アクティブ・ホープ』を読んでいる。これは、ワークショッパーでもある彼女の、どんなんときにも希望を失わない生き方についての実践が書かれている。この中に出てくるつながりを取り戻すワークから様々な着想を得ている。ボクは、教員を退職して、仲間と共にワークショップ専門のNPO WAKUTOKIを立ち上げたのだ。(ただいま、申請準備中)

とはいえ、今は世界はワークショップどころではない。でも、いつかのために良質なワークショップを展開できるように仕込みをしておく必要があると思っている。

16時30分。永代供養のお墓と本堂でお参りをする。なんだかホッとする。外でお経を読むと自然を感じるから好きだなぁと感じる。ここにいる人に想いを馳せる。

17時00分。娘とクッキング。この日はコールスローに餃子。途中で妻が仕事から帰宅。餃子を包む。父母の小言をBGMに夕食。娘は餃子のカリカリの部分だけ食べて、ボクに渡してくる。餃子の一番美味しい部分が今日も足りない・・・

18時00分。片付けをしてお風呂にいれる。家族の声を聴きながら本を読む。夜はこれ。阿満利麿著『仏教と日本人』だ。とても平易な文体で書かれていて読みやすい。日本の仏教観を学ぶにはいい一冊だなと思う。ふむふむ。

20時00分。教員仲間とのZOOM会議。この状況の中で、何ができるのかを必死で考えている。自分は現場を離れていることがもどかしい。悔しいとも違って、なんだかもどかしいのだ。ボクにできることは今は話を聴くことだけだ。また、子どもたちや先生たちの力になりたいと思う。

21時00分に子どもを寝かして、妻とゆっくり話す。それから、お寺の掲示板に載せる言葉をつくる。駆け出し僧侶のアウトプットなんてと思うけど、恥をかいてでも前進していないと不安になる。

こうやって一日を振り返ってみると、自分の感情がジェットコースターみたいになっているのが分かる。子どもと絵を描いているときはホッとしているけど、後の時間は、常に何か焦っている感じがする。お寺の時間は自分の裁量によるところが多いし、何かしていないと不安になってしまうのだ。もう一つは、お金への囚われだ。圧倒的に収入が減ったこと。仲間と起業したにも関わらず、ワークショップの仕事がなくなっていくこと。それも焦ってしまう。焦り焦り焦り。誰も焦らせてこないのに、一人で焦っている。焦らないでおこうと思ってまた焦る。混沌とする世界に、貢献できていない自分にまた焦る。学校現場で奮闘していたことと今を比較してしまう。僧侶として何かできないかって思うけど、まだひよこのボクには何もできない気がしてしまうのだ。自坊に戻って時間がある中で、僧侶の基礎を作ろうと思ってた時は、これで思う存分、お経も読めるし、本も読めると思っていたのに・・・忙しく働いている時は、時間が欲しかったのに、時間があると忙しくしていないことが怖くなる。天邪鬼なボクなんだろう。

生きるということは、煩悩を生きることです。

石上氏の言葉が頭の中に駆け巡る。ぐるぐる回る自分の感情と付き合おうと思う。そんな、僧侶生活のスタートだ。思い通りにならないもんだなぁ。当たり前だけど、そう感じる日々だ。今、こうしてここに生きているいのち。社会のために使いたい。社会のつながりの中でできることをしたい。それがマイライフ。ボクはやっぱりそこに立ち戻っている。

コロナのことがあって、今生きていることの有り難さを感じる。だから、そのいのちを日々生き抜こうと思う。そのことに気付けたこと。それをまず受け取ろうと思う。

三重県 伊賀市 浄土真宗 高田派 大仙寺 副住職/てらこや大仙寺 主宰 横浜国立大学卒業後、国際協力、11年間の小学校教諭の道を経て現在に至る。現在は自坊で寺子屋を開設。30人の子ども達と遊んだり学んだりの日々。