先日、木村無相さんという方の33回忌法要が福井県越前市で勤まりました。それに合わせて、若手のお坊さんによるリレー法話も行われ、私もその話し手の一人としてご案内をいただき、参加してまいりました。
それまで私は木村無相さん、という方は、お名前だけは聞いていましたが、どんな方であるかは、あまり知りませんでした。おそらく、これを読んでおられる方にも、木村無相さんのことをご存じの方は少ないことだと思います。木村無相さんは、明治37年に熊本で生まれられ、昭和59年に福井の地で亡くなられました。波乱万丈の人生を歩まれ、その中で仏道に光を見出し、真言宗の教えを学びながらも、最終的には念仏の教えに帰依され、求道の苦悩や真実に出会えた喜びを綴ったたくさんの詩を残されました。それが『念仏詩抄』という詩集にまとめられ、ご往生されて32年という歳月が経ってもなお、念仏者として親しまれています。
そんな無相さんの詩がまとめられた『念仏詩抄』を私も読ませていただきましたが、本当に真剣に道を求められた姿がありありと伝わってくる詩ばかりで、読み返す中にたくさんのことを教えていただいたような思いがしました。その中でも、私が特に心を打たれた一遍の詩をご紹介させていただきたいと思います。
「ぼんのうよ」 木村無相
ぼんのうよ――
わたしが わるいのだぼんのうは
わたしの いうまま
ぼんのうは
わたしの おもうままぼんのうよ――
わたしが わるいのだ
この詩に出会った時、思わずハッとさせられました。これまで私自身、私の抱える「苦」の根源は私の「煩悩」にあると学んできましたし、実際そのような構造であるのだという認識でいました。しかし、この詩はその構造の見方をガラリと変えています。
「苦」の根源は、「煩悩」であることはおそらく間違いないことでしょう。しかし、「苦」の原因を「煩悩」という言葉を使って対象化し、それこそが悪者とするような考え方は、「苦」の原因を私の中に見ているようでありながら、どこか自分の以外の何かのせいにすることと、さほど違わないのではないかということに気が付きました。木村無相さんのこの詩は、そうではなく、「苦」の原因は、私そのものにあるんだと、より厳しい眼差しで見つめられています。
「煩悩」という言葉を使うと、どこか心のなかに、固定化された「煩悩」という要素があり、それが悪さをはたらかせることで、私の「苦」に繋がる。だから、その「煩悩」をなんとかしなければいけない、なんとかしよう、という発想になっていきがちです。しかし、「煩悩」というのは、固定化された「何か」ではなく、私の心の作用そのものに名前をつけたようなものであるのでしょう。とすれば、私の「苦」は「煩悩」のせいではなく、私そのものにあった。私そのものが「煩悩」と呼ばれる心の作用を作り出し、私そのものが「苦」の存在であった。そんなことを改めて教えてくれているかのような詩であると、私には感じられました。
厳しく自身の在り方を見つめ抜かれ、そして念仏に出会ったことを喜ばれた念仏者、木村無相さん。直接お会いするご縁はありませんでしたが、こうして不思議な出会いを果たせたことは、私にとって、本当に尊いご縁となりました。