Twitter界隈で、1月末頃から「#私を構成する9枚」というタグがほのかに盛り上がっていました。自分が影響を受けたCDアルバム9つを一つの画像にまとめて紹介するというもので、私も音楽が好きなので、自分の9枚を選んでみて、大学時代の友だちと一盛り上がりして楽しみました。
そこから派生して、CDだけでなく、映画や人物など、他にもいろんな9つのものたちが紹介されていました。人それぞれの個性があって、実に面白いなーと見ていたのですが、ふと、「もしこれを親鸞聖人がやったらどうなるんだろうか…」という妄想がと湧き上がってきました。いや、そこで作ってみたのが、上の画像です。題して、親鸞聖人の「#私を構成する9つの仏・僧」、です。
と、もちろんこれはあくまで私の妄想でしかないのですが、親鸞聖人はご自身が影響を受けられた7人の高僧がたを「七高僧(しちこうそう)」として敬われました。親鸞聖人自身が、阿弥陀仏の念仏の教えに出遇われたのは、この方々がおってくださったからこそである、ということで選ばれた7名です。これは言ってみれば、親鸞聖人を構成する7人のお坊さん(僧)ということではないでしょうか!そしてもちろん、親鸞聖人にとって、お釈迦さまと阿弥陀仏は外せない仏さまでありますから、その二尊を合わせて9つとして作ってみました。以下、どんな仏さまorお坊さんだったかを少し紹介していきたいと思います。アーティストレビューを読むような感じで楽しんでいただければ幸いです。
1)阿弥陀仏(真ん中)
アミターバ(限りなき光)、アミターユス(限りなき命)がその名の由来。極楽(安楽)という浄土にあって、あらゆる衆生(苦の存在)を平等に救済する、という願いを打ち立てられた仏さま。
2)釈尊(上段左)
言わずと知れた仏教を開かれた人物。すべての現象は苦であり、そしてその苦には煩悩という原因があり、その煩悩を滅する道が苦を滅する道であるという教えを説かれた。さらには「諸行無常」「諸法無我」という物事の在り方をしめされ、「私(我)」にとらわれないことによって苦から離れる道を説かれた。いろいろな教えを残されたが、親鸞聖人が大切にされたのは浄土三部経と呼ばれる「仏説無量寿経」、「仏説観無量寿経」、「仏説阿弥陀経」。
3)龍樹菩薩(上段中央)
ナーガールジュナ。南インドに生まれ、大乗仏教の祖、八宗の祖とも言われる僧。若かりし頃は姿を消す術を身につけ、悪友たちとお城に忍び込んで女性に片っ端からイタズラをしたという伝説があるが、出家後は釈尊以来の縁起の教えを「空」の思想として確立し、大きな影響を残す。浄土真宗では著書とされる『十住毘婆沙論』の中の「易行品」を重視。仏道に難行道と易行道(阿弥陀仏の念仏の教え)の2つがあることが示される。
4)天親菩薩(上段右)
ヴァスバンドゥ。インドの僧。世親とも呼ばれ、『阿毘達磨倶舎論』や『唯識三十頌』などの多くの重要な著作を残す。当初、説一切有部の教えを学ぶも、兄である無著のはたらきかけによって、大乗仏教に帰依。唯識の思想を体系化するとともに、大乗の教えに関する書を多数残す。特に「仏説無量寿経」について注釈した『浄土論(無量寿経優婆提舎願生偈)』では、阿弥陀一仏を依り所とする大切さを示し、中国・日本の浄土教に大きな影響を与えた。
5)曇鸞大師(二段目左)
中国・南北朝時代の僧。仏教を学ぶ途中病に倒れ、「仏教を学ぶためにも健康長寿が大事じゃね?」と、不老長寿の教え「仙経」を学ぶ。しかし菩提流支という僧との出会いにより、仏教こそ真実の教えであると諭され、その場で「仙経」を焼き捨てたというエピソードはあまりに有名。著書に『浄土論』を注釈した『往生論註』があり、往生成仏はただ阿弥陀仏のはたらき(他力)によるという教えを示す。
6)道綽禅師(二段目右)
中国・唐代の僧。禅定の修行につとめたが、48歳の時に玄忠寺で曇鸞大師の碑文を読んで、浄土教に帰依。『安楽集』を著し、仏教全体を聖道門と浄土門に分ける。特に末法思想の中にあって、末法の時代には浄土門にしか救われていく道はないと示された。一日に七万回も念仏したという伝説、ハンパない。
7)善導大師(下段左)
中国・唐代の僧。道綽に師事し、南無阿弥陀仏を称える「称名念仏」を中心とした思想を展開。中でも『観経疏』と呼ばれる「仏説観無量寿経」を再解釈した著書で、念仏によって往生成仏が定まるのは、それが阿弥陀仏の願いに順ずるものであるからとし、法然、親鸞に大きな影響を与える。「二河白道の喩え」もマスト。
8)源信和尚(下段中央)
平安時代の天台宗の僧。恵心僧都とも。若くして才を発揮し、宮中での法会の講師に選ばれ、天皇からいただいた品を母に送ったところ、世渡り上手の僧となることは母が望むものではない、と諭され、比叡山の一角、横川に隠遁。念仏三昧の道を歩まれる。『往生要集』を著し、比叡山における浄土教を確立。「われまたかの摂取のなかにあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつることあたはずといへども、大悲倦むことなくして、つねにわが身を照らしたまふ」という一節は至言。
9)源空聖人(下段右)
浄土宗の開祖、法然聖人(法然房源空)。9歳の時に、父であった押領使・漆間時国が争いによって殺害。しかし遺言で、仇を討つことをしてはならないと幼い法然聖人に伝えられ、その出来事をきっかけとして、比叡山で得度されたとされる。智慧第一と呼ばれるほど勝れた学者であったが、善導大師の『観経疏』に出会い、専ら阿弥陀仏の誓いを信じ「南無阿弥陀仏」と念仏を称えることのみが往生の道であるという専修念仏の教えを示される。著書に『選択本願念仏集』がある。
……
はい。いかがでしたでしょうか。妄想から始まった、親鸞聖人の「#私を構成する9つの仏・僧」。こうして見てみますと、七高僧と呼ばれるような高僧方であっても、いろんな紆余曲折や、悩み、挫折などを経験し、学びが変化し、浄土を願う念仏者となっていかれたことが感じられます。そしてその苦労の歩みが、親鸞聖人を通して、この私のところにまで繋がってきているということを思うと、とてつもないはたらきが、私にも届いているんだなあ、ということを思わずにはおれません。
皆さんも、このようなお坊さんたちがおられたんだ、ということを、知っておいていただけたら幸いです。
若干冗談めかしたところもありますが、そこはご愛嬌ということで、ご容赦の程をば……