朝、NHKの連続テレビ小説を見ることが多いのですが、その登場人物が、面白いことを言っておりました。ドーナツの穴は、ドーナツの一部であるかどうか、という問いです。ドーナツの穴は、ドーナツではありません。しかし、あの穴があることが、ドーナツをドーナツたらしめているとしたら、ドーナツの穴も、ドーナツの一部と言えるのではないか。そんな不思議な、哲学的とも言えそうな問いでした。皆さんはこの問いを、どのように考えますでしょうか。
私もその問いについて考えてみたのですが、これは「空(くう)」の見方かもしれないな、と思い至りました。「空」とは、存在というものにそれ単独で成り立つ固定的な本質はなく、全てが関係性の中において成立している、という考え方です。例えば、親という存在は、子という存在があって初めて成り立ちます。兄も、弟や妹がいて初めて兄となります。或いは、私という人間も、妻に対しては夫となり、親からすれば子であり、勉強を教えている生徒に対しては、先生となります。そのように、様々な関係性の中にあって初めて私という存在となる。人と人との関係によって、私が形作られているということです。
別の言い方をすれば、縁起的存在ということです。縁起とは縁りて起こる、つまりは他との相互関係の中にある、ということ。
ドーナツも私も、見えない関係性によって、ドーナツとなり、私となっているのかもしれませんね。